続・ソウルその2

どうにか無事に(でもないのだが)カンファが終わり、フライトの時間の関係でもう一泊して、いまは仁川のラウンジで仙台行きを待っている。5時に起き、5:30にチェックアウトし、5:44コンドク発の空港鉄道(Arex)に乗ったので、ひたすらに眠い。し・か・し、今日は11:30仙台着予定なので、13時から大学で会議が2つ入っていて、なぜか間に合いそうで……マジかよ。でも、ラウンジで朝からワインとビールを飲みまくっているのは、ここだけの秘密だ。

日韓歴史家会議自体は昨日の昼に終了したので、昨日午後は、木畑洋一さんとともに、木畑さんの駒場時代の教え子であるユム・ウノクさんの案内で「植民地歴史博物館」を見学してきた。日本に植民地化されて以来の朝鮮・韓国の歴史をたどる民営の博物館で、数億円の建設資金はすべて国内外の寄付金で賄ったとのこと。その一念に驚かされるとともに、ともすれば「韓国ナショナリズム」に染まりがちなテーマに対して「民主主義」という観点からアプローチするというコンセプトに深くうなづかされた。

ウノクさんのおかげで主任キュレーターのキムさんが直々に説明してくださり、1フロアみるのに3時間近くという濃密な勉強の時間を過ごした。ちなみにキュレーターのひとりは日本人女性で、男性より女性のほうが元気な日本を象徴するようではないか。

しかし、こういう展示を目にすると、日本における、とりわけ右翼系の「歴史認識」のうすっぺらさは、あれは一体なんなんだよ、まったく。「ライジング・サン」(夜明け)じゃなくて「フォーリング・サン」(日没)の国の現実を直視しきれない関係各位のダイイング・メッセージなのか? ダイイング・メッセージを発するのは良いとして、他国をまきこまないでほしいんですが。海外に出る機会が増えたワタクシにとっても迷惑である。

さて、そろそろボーディング・タイムだ。

ソウルその2

昨日から、2週連続でソウルに来ている。今回は第19回日韓歴史家会議に運営委員として参加するためだが、なんと会場が先週と同じソガン大学、先週と同じ会議室、ということで、既視感が半端ない。

今日はセッションが3つ並ぶというメインの日で、9:30から17:45まで、今年のテーマである「海洋/海域の歴史」についてみっちり勉強した。充実したトークが6本、各々にコメントが付き、各コメントにリプライが付き、フロアが口をはさむ時間は一切なし。逃げ場なしの8時間15分。

しゃべりたいフロア参加者のためには、明日、長大な総合討論の時間が用意されている。

そんなわけで、貴重なアカデミックな時間となったソウルは、先週に比して一気に気温が下がっていた。秋である。

ソウルその1

2日から4日までという2泊3日の日程で、研究打合せのためソウルに来ている。もっとも、2日はイブニングフライト(仙台発18:20)でホテルに着いたら23時、明日4日はモーニングフライト(仁川発9:30)のためホテルを6時過ぎに出なければならない、ということで、現地滞在30時間強という「何しに来たのか?」パターンである。

しかし、だれがどうみても日本人なのに、わたくしの周囲は平和なソウル(空気はちょっと悪いけど)。「韓国は危ない」とか言っているヤツ、前に出なさい。

今回の弾丸往復の目的は、アジアを代表する歴史学者であるイム・ジヒョンと、今後の研究協力について意見交換することである。もっとも、国際研究協力に先立つものがカネであることは世界共通であり、カネ確保の達人であるイムから「ポイントはツカミだから」というアドバイスを受けたのが最大の収穫だった、というのは言いすぎか。いろいろと今後の計画について(ここには書けない)ぶっちゃけた話をしあい、帰国したら忙しくなりそうだ……が、じつは8日(金)からまたソウル3泊4日なのであった。じっと手をみるソウルの夜。

小説は小説、映画は映画。

9月終わりにどうにか勤務先(部局)の国立大学中間評価用の実績報告書(正式には現況調査票と呼ぶらしい)の第1校をあげ、大学本部のチェックに回して一息ついた。これで楽になるはずが、この4か月間にたまりたまった用事がふりそそぎ、現況調査票を書いているとき以上にドタバタした日々をすごす10月である。

なぜ、こうなるのか。

そんななか、かつて愛読しまくった恩田陸蜜蜂と遠雷』が映画化されたということを知り、息抜きに見にいった。率直にいって、小説版が100点とすれば、映画版は53点というところだろうか。

小説版は「音を文字化する」という(ぼくのようにいちおう別ジャンルではあるが文章を書く機会が多い人間にとっては信じられない)タスクにチャレンジし、かなりの程度成功しているのに対し、映画版は、「音」を表現する点では有利な位置にあるはずの映画という媒体を利用しているのに、「音の表現」において明らかに小説版に後れを取っている。

それから、細かい点だし若干ネタバレになるが、黒馬のイメージがときどきはさみこまれるのだが、いらねーよ、そんなもん。本筋と、まったく関係ない(帰宅してよく見たら、小説版にも「雨の馬」というマイナー・キーワードがあった。こりゃいいすぎか)。

そして、最大の問題は「トーン」である。小説版のトーンは、基本的に「長調」である。長調でありながら、しかし、読みすすめると、なぜか涙が出てくる。これって、すごいことだ。たとえば(ぼくはクラシックには疎いのだが)モーツァルトの40番は(短調で始まることもあって)だれでも感動できるのに対して、41番はきらびやかな長調基調なのに、そのあまりの純粋さに、なぜか感動し、心が震え、場合によっては涙が流れていることに気づく。しかし、長調で泣かせる/感動させるのって、すごく大変なことだと思う(とくに、短調好きの日本では)。そこがモーツァルトのすごさである。ところが、映画版は「短調」トーンを基調としている。たとえば、ネタバレになるが、わざわざ原作にない「厳しい」指揮者を出演させ、主人公たちを苦労させる。彼らは苦労に涙し、努力し、そして成功する……じつに日本人が好きそうなストーリーだ。しかし、小説版は違う。彼らは「苦労しない」ことに悩み、しかし相互にキラキラ笑いながら成長してゆく。いわば「明るいが感動するビルドゥングスロマン」なのであり、それが小説版の凄みである。

……などといいつつ、最前列に陣取って涙をふく姿をみせないようにしていたのは、はい、わたしです。

 もっとも。

小説は小説、映画は映画。

しかし。

 

とりあえず、もっと光を。

 

 

台風につっこむ。

福岡で22日(日)に大学説明会があり、台風の博多に出かけることになった。最初は日帰りの予定だったが、天気予報をチェックしていると、どうも夕方が最接近時刻になるらしいということで、「これは帰りのフライトは飛ばないな」と判断して翌日にフライトを変更し、博多駅地下道直結のホテルを慌てて予約し、当日に備えたのであった。実際、22日午後の福岡空港発フライトは、すべて欠航となり、ぼくの判断の正しさが証明された。えっへん。

22日10時前に着いた博多はまだ雨が降っておらず、これはチャンス!!、ということでタクシーで太宰府天満宮に直行し、ひさしぶりのお参り。前回は娘の大学受験のために来たのだが、肝心の娘の受験は2年ごしの4連敗(のあとの1勝)で、

●どうした菅原道真

●パワー落ちたか、道真? 

とにもかくにも、神仏を崇めて恃まず。

その後、幸いにも動いていた西鉄で天神の説明会会場に到着。

12:30から始まった説明会は、だれも来ないんじゃないか?、という予想を覆して50人弱の参加という「大賑わい」となった。九大の地元に殴り込み、しかも台風という悪条件が重なったのだから、これは「成功」の部類に入るだろう。ちなみに昨年と比して「1人増」ということだったらしいので、「成功」という評価には根拠があるのである。

もっとも、経済学部についていえば、全体説明も、個別相談も、参加してくだったのはご父兄が1人(同じひと)。若干寂しかったが、別の某学部は参加者0人ということだったので「0は何倍しても0ですよね」と低レベルの自慢をしてしまったのは、ここだけの秘密だ。そのご父兄とのんびり世間話をし、説明会は天候悪化に備えて15:10に終了。あとはホテルにチェックインし、徐々に強まる風雨をみていた。

いまは福岡空港のラウンジ。遅延のアナウンスがとびかいまくっているが、仙台行きはどうなるか。「On verra (We will see)」である。

【追記】やっぱり20分の遅延だった。まあ許容範囲である。

風立ちぬ。

あっという間に秋となり、10日もすれば後期の授業が始まる。Time flies.

 

ようやく昨日、この間の懸案だった国立大学法人評価・暫定評価(つまり中間評価)の現況調査票(つまり活動報告書)のドラフトを勤務先の所属部局(東北大学経済学部・大学院)について書きおえた。じつに4カ月、黄金週間明けから一切の研究を放棄し、「修業年限」だの「学術コミュニティへの貢献」だの「履修支援」だのといった馴染みのない魔法の言葉をちりばめた作文だけをしていた。この活動報告書に大量の別添資料が付属するのだが、資料を作ってくれた助手の平松さんがいなかったら、大学評価の波のなかで溺れていたことだろう。

もちろん、これから修正と加筆の要求が大学本部からくる(2019年分を書かなければならないので加筆は当然だが、これまた当然ながらまだデータがない)ことになるわけだが、ドラフトを書いてしまえば、あとは「わが亡きあとに洪水よ来たれ」の気分である……と書いたが、あれ、これじゃ比喩が違う気がする。

大体において、ここ10年間、全学の学生支援の仕事にかまけ、所属部局のことをまったくわからなくなっていた(そもそも同僚の名前と顔が一致しないことが多い)ぼくに、所属部局に関する該博な知識を要する作文を任せたほう(ってだれ?)が悪いのだ……と、自分を慰めるのである。

国立大学評価期間は6年間。つまり6年に一度の頻度で評価が入るということになっているのだが、それは理論上であり、実際には「暫定評価」という名の中間評価が4年目に入る。平均して3年に一度。さらに、大学内部の部局評価が毎年あり、部局内部の個人評価が年2回。まさに「評価疲れ」である。日本学術コミュニティの生産性低下も、当然だろう。

民間企業の中期計画期間はだいたい3年ということをこの間学んだが、民間企業と比較すれば、この程度の評価は「あって当然」なのかもしれない。しかし、問題は、大学については評価基準がはっきりしていないことにある。

●卒業生が「良い企業」に入ればよいのか? いやいや、そもそも「良い企業」の定義が不明だろうが。

●外部資金をたくさん取ってくればよいのか? いやいや、カネなんか不要な学問領域もたくさんある。たとえば純粋数学とか、理論物理学とか……とかいうと、いまの理論物理学スパコン回して計算やシミュレートするからカネがかかるといわれるかもしれないが、かつて京大基礎物理学研究所の所長だった義理の伯父は、理論物性の専門家だったが、20世紀終わりになっても紙とエンピツだけで研究をしていた。

●研究者一人あたり論文数が多ければよいのか? いやいや、論文なんて玉石混交。

●IF(インパクト・ファクター)が高いジャーナルのほうが偉いのか? これはちょっと当たっている気もするが、IFの定義を知っていれば(って、ぼくも、この作文をするようになってからIFの算出方法を知ったが)IFに頼ることの危うさもよくわかる。

●「改革」と称して、組織改編など新しいことをすればよいのか? いやいや、新しいこと/ものが良いというのは、「鰯の頭」程度の単なる信仰にすぎない。

 

まあ良い。

一カ月ほど時間が出来たので、10月末締切なのに一行も書いていない高校教科書「世界史探究」の執筆と、先日大阪で会ったステファン・バーガーから頼まれたしごと(「来年夏にブダペストで『ナショナリズムと経済』に関するワークショップやるから、日本について話してくれないか? EUに研究助成を申請するためのキックオフなんだけど、シノプシスの締切が9月末なので、よろしく」)にとりかかるとするか。

「歴史を学ぶ意味あります?」

本来ならフランスで資料探索三昧になる予定だった8月上旬だが、勤務先の雑用……じゃなくて学内行政(作文とか、別作文とか、作文依頼とか、作文チェックとか、さくぶ、さく、さ)のせいでフライトも宿もキャンセルし、仙台で過ごす夏。

そんな日々のはざまを縫って、名古屋青年会議所主催のフォーラム「歴史の観方は未来を創る:平和を維持する想い」(8月20日)に参加することになった。名古屋大空襲70周年ということで、竹田恒泰氏(お!)、徳川家康公(ん?)とともに、歴史を記憶することの重要性をめぐるパネルディスカッションに出席する&司会も担当することに。

 

www.nagoyajc.or.jp

あわてて名古屋大空襲の本を買って読む今日この頃。

それにしても、ポスターの写真も(自分で提供したので自業自得だが)スゴイが、付されたコピー「歴史を学ぶ意味あります?」もスゴイ。ぼくが考えたわけではないが、歴史学界にケンカを売っているようで、なかなか意義深い。うむ。