梅雨、続く。

空梅雨かと思われていた今年の仙台の梅雨、ここのところ梅雨らしくなり、それとともに、梅雨明けがいつになるか「?」状態と化してきた。そんななか、あいかわらず戦後モンペリエ都市史に関連する研究文献を読みふける毎日をすごしている。

昨年末に、このテーマに関する研究成果の第一弾としてプティ・バール団地(Petit Bard)に関する論文を刊行したので、次はラ・ペルゴラ団地(La Pergola)を分析し、両者を比較してみようと思っていた。両者は道を一本隔てたところにあり、

アルジェリアからの引揚者を受入れるため、1960年代に集合住宅として建設された。

・ドラッグや貧困や青少年軽犯罪など、いわゆる「都市問題」の舞台となった。

という共通点と、

・前者は民間分譲団地だが、後者は公営(県営)賃貸団地である。

・都市問題の程度は、前者が圧倒的に重い。

・前者は2000年代まで放置されていたのに、後者は1990年代はじめに大規模改修の対象となった。

という相違点を持つ。こんな異同を持つ両者ゆえ、きっと比較したら面白いだろうと考えたのである。

それじゃ、どこでどんなかたちで発表しようか……と考えていたときに目に留まったのが、次の「ヨーロッパ社会科学&歴史学会(European Social Science History Congress、ESSHC)」が2018年4月にベルファストで開催されるというニュース。ベルファストか!!、こんな機会じゃなきゃ訪問しないよなあ、と思い、アブストつくってアプライしたのだが、先日チェックしたら、どうも却下されてしまったらしい。

 

 

遥かなり、ベルファスト

 

 

でも、せっかくあーだこーだと考えてアブストつくったのに、このままではもったいない。どうにか使いまわす方法はないものか……と不届きなことを考えていたときに再度目に留まったのが、次の「国際都市史学会(International Congress of Urbain History)」が2018年8月にローマで開催されるというニュース。うーむ、なんとかリサイクルできないものか……と頭をひねるのだが、なかなか名案が思いうかばない日々。

 

 

やはり梅雨である。

本郷へ。

本郷に行くときは、なるべく上野で新幹線をおりて歩いてゆくようにしている。昨日もそうした。地下深くの新幹線ホームから、いまでは利用者が少なくなったためガランとした感のある新幹線地下コンコースを通り、古き良き時代を偲ばせる不忍口に出る。ガード下を通り、旅行者で混雑する京成上野駅コンコースを強引に横切り、不忍池をつっきると、そこは東大本郷キャンパスでもっともマイナーといってよい池之端門だ。東大病院裏の寂しい坂道をトコトコ上がってゆくと、右手に第二食堂がある。
さて、久しぶりに二食のカレーを食べるか、中央食堂のカレーと(同じ生協食堂なのに)なぜか違って美味しいんだよなあ、懐かしいなあ……と思って階段を上がったら、二食は土曜日休みになっていた。梅雨の中休みとはいえ暑く湿っぽい空気のなかを歩いてきたというのに、ガックシ。最初のミッションからしてコケてしまった。
第2のミッションは、政治経済学・経済史学会(旧・土地制度史学会)の春季学術大会「グローバル経済史にジェンダー視点を接続する」。春季学術大会は、最近、フルペーパーを事前にダウンロード可能にしておき、参加者がそれを読んできたことを前提にセッションを進める、という世界標準形式を採用し、密度の濃い時間をすごせるようになった。
今回は、歴史学界の一部からは「なぜ、いまさらグローバルヒストリー?」&「なぜ、いまさらジェンダー?」という疑問が呈されるやもしれぬテーマであり、また、4本のトークのあいだの関係が十分にはわかりがたいきらいはあった(が、これはまぁ斯界ではよくあることである)ものの、個々のトークは高水準&興味深く、全体として満足できるものだった。ジェンダーという視点は、じつは「生産、流通、交換、消費、再生産」というプロセスを対象とする経済史学にとってこそ重要であり、有用なのだ、ということが、さわさわと感じられる時間となった。
そして最後のミッションは、東京都美術館で開催されている「バベルの塔」展。土砂降りのなか開門を待ち、オープンするや否や、他の絵には目もくれずに「バベルの塔」に走りよる。頑張った甲斐があり、ほぼ「ガラガラ」といってよい理想の状態でみることができた。
ちなみに最前列は整理用のロープが張られ、立ち止まって見学していると(うしろにも、ロープのうしろにも、だれもいなくても)職員が「動きながらみてください」と注意するという、ガラガラな状態ではじつに無意味な、まさにマニュアル化されたシステムが作動していて微苦笑を誘う……が、もうちょっと状況に応じてアタマつかおうよ、ね。ともあれ、しかたないので、最前列のロープがはられた部分を退出しては、また最前列のロープがはられた部分に回りこむという、人気の少ない会場をグルグル回る「怪しい影」化する15分。
とにかく細密なので、よくみないとわからんのだよ、ワトソンくん。

長い二日酔いの時代に。


さきほど「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律」通称共謀罪法が成立した。内容、審議過程、採決方法、採決方法採用の動機、どれをとっても「不明」の一言に尽き、くらくらしてくる。まるで二日酔いのときみたいだ。
民主党政権期(2009-2012)が終わってから、ぼくらは長い二日酔いの時代をすごしているのかもしれない。そして、この間隙を利用して制定されたのが特定秘密保護法、安保法制諸法、共謀罪法……次は「お試し改憲」だろうか。
ふりかえってみると、民主党政権に対して、人びとは大きな期待をかけた。過大な、といってもよいかもしれない。官僚支配の打破、増税なき財政再建、コンクリートからヒトへ……どれをとっても、基本コンセプトはさほどまちがっていないが、実現には多大の知的努力と、試行錯誤と、なによりも時間が必要な政策課題である。
したがって、ぼくらはガマンしなければならなかった。選挙という民主主義的な手続きでみずから選んだ政権だったのだから、なおさらのことである。自分の行為の結果は自分で責任をとる。当たり前のことだ。
しかし、ぼくらはガマンできなかった。そして、なまじ期待が大きかっただけに、失望とアパシー(無関心)がミックスされた、いわば二日酔いの気分が社会を覆いはじめた。そんな雰囲気のなかで、政権が交代し、長い二日酔いの時代が始まった。
もっとも、二日酔いはいつかおさまる。それが歴史の法則だ……というか、日々ぼくらが身をもって証明しているとおり、単にアルコールがアセトアルデヒド代謝され、アセトアルデヒドが最終的に水と二酸化炭素に分解される、というだけのことなので、法則というのは大げさかな。うん、大げさだな。

ソウルの思ひ出


先週の今頃はソウルで過ごしていたのだが、ということは、つまり、あれから一週間たってしまったということである。なんでこんなに時がたつのが早くなってしまったのだろうか……って、それは加計学園問題から目が離せないからである(半分ホント)。
さて、その第8回東アジア・スラブ&ユーラシア研究学会だが、すばらしい好天のソウルで無事に開催された。ぼくがコメンテータとして参加したセッション「ユーラシア化された記憶・歴史紛争」は、なんと国際中東欧研究評議会(International Council of Central and Eastern European Studies、ICCEES)会長を務める重鎮ジョルジュ・マンクさん(Georges Minkパリ政治学院名誉教授)が聴衆として参加し、「左翼から右翼に転向する現象が世界各地でみられてきたのはなぜか?」といった含蓄ある質問をくりだしてくれて、おおいに盛上った。ちなみにマンクさんのパートナーは恵比寿の日仏会館の現館長セシル・サカイさんだと聞き、世界は狭いことを実感した一幕でもあった。
また、ソウル滞在中に時間が出来たので、チョン・ジンソンに「内容は別として、建築学的には興味深いよ」と推薦されていた「戦争と女性の人権」博物館を訪問してきた。同博物館は、元従軍慰安婦の支持団体として日本の自称右翼の方々の一部から蛇蝎のごとく嫌悪されている挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が民間の寄付を募って開設した博物館であり、当然ながらメインテーマは元従軍慰安婦である。ジンソンに「内容は別として」とあらかじめ注意されていたとおり、ぼくのような日本国民にはツライ展示が続くが、歴史屋としては「知ってナンボ、耳を傾けてナンボ」であり、行かない手はない。
同博物館でもっとも心を打たれたのは、本筋とは関係ないのだが、特別展として、ベトナム戦争に従軍した韓国兵がベトナム人女性に対してはたらいた強姦という史実がとりあげられていたことである。ここに「《日本と韓国・朝鮮》に対する《韓国とベトナム》」という相同関係をみてとることは難しくないだろう。同博物館のキュレーターにとって、韓国は単なる「被害者」ではなく「加害者」たりうる存在として在る。韓国の正史(オフィシャル・ヒストリー)の殿堂のひとつたる戦争記念博物館の展示をみればわかるとおり、韓国の正史にとって「韓国軍のベトナム戦争従軍」はプラスの価値をもつ栄光の史実であり、「ベトナム戦争における加害者としての韓国軍」について展示をおこなうことは、相当の覚悟を要する営為だったはずだ。ここに「公正(フェアネス)」の存在をみてとるのは、ひとりぼくだけではあるまい。
ついでにいうと、学会会場であるチュンアン大学(Chung-An University、中央大学)の最寄駅である地下鉄9号線・黒岩(ヒュクソク)駅の改札を出てエスカレータを上がると、出口の近くに、日本大使館の向かいにある従軍慰安婦記念像のレプリカが置いてある。件の少女像である。横には例によって椅子があるので、ぼくは「座ってみましょうか」といって同行者の顰蹙を買ったが、「戦争と女性の人権」博物館では、大略「横の椅子に座って少女像の手をにぎってみてほしい」というアナウンスがなされていた。おお、ぼくの判断も、まんざら間違いではなかったというわけである。

こんな日が来るとは。

第8回東アジア・スラブ&ユーラシア研究学会にセッションのコメンテータとして参加するため、昨日からソウルに来ている。今朝は6時ころから朝食を買いがてら30分ほどホテル(カンナム地区)の周辺を散歩したが、からっとした好天で、気持ちの良い一日になりそうだ。もう少ししたら会場のチュンアン大学(中央大学)に出かけなければならない。
それにしても加計学園問題である。ここのところ政府の行動が各方面で「底抜け」をおこしていて、いらいらしながら、とりあえず地元の「九条の会」にカンパを送ったりしているのはここだけのヒミツだが、なんと文科省、前川前次官(イヤイヤながら『週刊文春』買って読んだが、スゴイ人がいるもんだ)の堂々たる行動に続いて、今度は現役官僚の内部告発。日ごろ文科省のワケワカラン要望に苦労している大学上層部をみてきたので、まさかその文科省を心から応援する日が来るとは思わなかった。
やはり時代はまわるのである。スピードはともかくとして。

レ・ミゼラブル(新プロダクション)


週末は、横浜はみなとみらいで元教え子(ゼミ生)の披露宴。新郎新婦は小中(高校は別だったらしいが)大の同級生ということで、ほのぼのとした良い雰囲気の披露宴だった。写真が披露宴の光景だが、主菜は子羊のクスクスだった……というのは(もちろん)冗談で、これは過日の中野「カルタゴ」における大学入試センター試験作題委員同窓会の一幕である。
そんでもって、ちょうど帝国劇場でミュージカル「レ・ミゼラブル」が始まったところだったので、ついでに=行きがけの駄賃でみてきた。2011年以来ということは6年ぶりであり、また、2013年に音楽・セリフ・台本以外を一新したので、今回が初めての新プロダクション参戦である。
旧プロは、ちょっとヴィクトル・ユゴーの原作に寄りかかっているところがあり、原作がわかっていないとツライ場面が散見された。これに対して新プロは、舞台装置、振り付け、歌い方などで場面の意味をクリアにする努力がなされたようで、わかりやすくなっていた。ただし「わかりやすくした」は「単純化した」とほぼ同義であり、「こんなに単純でいいのかよ、ホントに?」と感じる機会があったこともまた事実である。ちょっと抽象的な表現になってしまったが、「レ・ミゼラブル」ファンであればわかることであろう。いすれにせよ、エンディングで例によって滂沱の涙と化したことはいうまでもあるまい。
それにしても旧プロの初演(1987年)から数えて30年。ぼくがはじめてみたのは、たしか再演の1988年。当時の主要配役は、鹿賀丈史滝田栄岩崎宏美島田歌穂野口五郎斉藤晴彦鳳蘭、それにコゼット役は鈴木ほのかだっただろうか……ときは経つのである。
それでも、1832年のパリ反乱を後半の舞台とする「レ・ミゼラブル」は、近現代フランス史研究者の端くれたるぼくにとって、つねにマストである。1832年反乱は失敗に終わるが、その経験は、16年後に二月革命として結晶する。そういえば旧プロのモチーフは「時代はまわる」であった。そしてまたこれは、たしか中島みゆき「時代」のモチーフでもなかったか。

日本西洋史学会報告⑤

  • 第5試合

谷口良生「フランス第三共和政前期(1870-1914年)における地方議会と議員の経歴―ブーシュ=デュ=ローヌ県議会を中心に―」
そろそろ記憶が(いろいろな意味で)怪しくなってきたが、たしか上記タイトルとは異なり、第三共和政前期(第一次世界大戦までの時期を「前期」と称するのが慣例)におけるブシュ・デュ・ローヌ県(県都マルセイユ)において、県議会が中央政府に発する「請願(voeu)」の性格が行政的なものから政治的なものに変化してゆくことを見出し、その背景を探るものだったと思う。利用される資料は、おもに県議会議事録、そして中央文書館・同県文書館・マルセイユ市文書館に所蔵されている一次資料である。
「政治」と「行政」を峻別し、そのうえで県議会という「組織」に即して両者の関係を探るという谷口さんの研究計画は重要であり、興味深い。
し・か・し。
肝心寛容の「政治」と「行政」の定義が、最後まで出てこない。谷口さんは、今日的な観点から「政治」と「行政」を定義して分析概念として利用することを批判し、当時の人びとが抱いた「政治」と「行政」のイメージに即して分析を進めることが重要であると説く。それはその通りであり、それによってみえてくることが多々あるという意味で生産的なスタンスである。しかし、そのうえで、当時の人びとが抱いたイメージを今日の用語に翻案して提示しなければ、「政治とは政治であり、行政とは行政である」という循環論法に陥ってしまう。この点は山崎耕一さんが質問していて「さすが」と思ったが、もう一歩の踏み込みが必要であり、というよりは不可欠だろう。