台風につっこむ。

福岡で22日(日)に大学説明会があり、台風の博多に出かけることになった。最初は日帰りの予定だったが、天気予報をチェックしていると、どうも夕方が最接近時刻になるらしいということで、「これは帰りのフライトは飛ばないな」と判断して翌日にフライトを変更し、博多駅地下道直結のホテルを慌てて予約し、当日に備えたのであった。実際、22日午後の福岡空港発フライトは、すべて欠航となり、ぼくの判断の正しさが証明された。えっへん。

22日10時前に着いた博多はまだ雨が降っておらず、これはチャンス!!、ということでタクシーで太宰府天満宮に直行し、ひさしぶりのお参り。前回は娘の大学受験のために来たのだが、肝心の娘の受験は2年ごしの4連敗(のあとの1勝)で、

●どうした菅原道真

●パワー落ちたか、道真? 

とにもかくにも、神仏を崇めて恃まず。

その後、幸いにも動いていた西鉄で天神の説明会会場に到着。

12:30から始まった説明会は、だれも来ないんじゃないか?、という予想を覆して50人弱の参加という「大賑わい」となった。九大の地元に殴り込み、しかも台風という悪条件が重なったのだから、これは「成功」の部類に入るだろう。ちなみに昨年と比して「1人増」ということだったらしいので、「成功」という評価には根拠があるのである。

もっとも、経済学部についていえば、全体説明も、個別相談も、参加してくだったのはご父兄が1人(同じひと)。若干寂しかったが、別の某学部は参加者0人ということだったので「0は何倍しても0ですよね」と低レベルの自慢をしてしまったのは、ここだけの秘密だ。そのご父兄とのんびり世間話をし、説明会は天候悪化に備えて15:10に終了。あとはホテルにチェックインし、徐々に強まる風雨をみていた。

いまは福岡空港のラウンジ。遅延のアナウンスがとびかいまくっているが、仙台行きはどうなるか。「On verra (We will see)」である。

【追記】やっぱり20分の遅延だった。まあ許容範囲である。

風立ちぬ。

あっという間に秋となり、10日もすれば後期の授業が始まる。Time flies.

 

ようやく昨日、この間の懸案だった国立大学法人評価・暫定評価(つまり中間評価)の現況調査票(つまり活動報告書)のドラフトを勤務先の所属部局(東北大学経済学部・大学院)について書きおえた。じつに4カ月、黄金週間明けから一切の研究を放棄し、「修業年限」だの「学術コミュニティへの貢献」だの「履修支援」だのといった馴染みのない魔法の言葉をちりばめた作文だけをしていた。この活動報告書に大量の別添資料が付属するのだが、資料を作ってくれた助手の平松さんがいなかったら、大学評価の波のなかで溺れていたことだろう。

もちろん、これから修正と加筆の要求が大学本部からくる(2019年分を書かなければならないので加筆は当然だが、これまた当然ながらまだデータがない)ことになるわけだが、ドラフトを書いてしまえば、あとは「わが亡きあとに洪水よ来たれ」の気分である……と書いたが、あれ、これじゃ比喩が違う気がする。

大体において、ここ10年間、全学の学生支援の仕事にかまけ、所属部局のことをまったくわからなくなっていた(そもそも同僚の名前と顔が一致しないことが多い)ぼくに、所属部局に関する該博な知識を要する作文を任せたほう(ってだれ?)が悪いのだ……と、自分を慰めるのである。

国立大学評価期間は6年間。つまり6年に一度の頻度で評価が入るということになっているのだが、それは理論上であり、実際には「暫定評価」という名の中間評価が4年目に入る。平均して3年に一度。さらに、大学内部の部局評価が毎年あり、部局内部の個人評価が年2回。まさに「評価疲れ」である。日本学術コミュニティの生産性低下も、当然だろう。

民間企業の中期計画期間はだいたい3年ということをこの間学んだが、民間企業と比較すれば、この程度の評価は「あって当然」なのかもしれない。しかし、問題は、大学については評価基準がはっきりしていないことにある。

●卒業生が「良い企業」に入ればよいのか? いやいや、そもそも「良い企業」の定義が不明だろうが。

●外部資金をたくさん取ってくればよいのか? いやいや、カネなんか不要な学問領域もたくさんある。たとえば純粋数学とか、理論物理学とか……とかいうと、いまの理論物理学スパコン回して計算やシミュレートするからカネがかかるといわれるかもしれないが、かつて京大基礎物理学研究所の所長だった義理の伯父は、理論物性の専門家だったが、20世紀終わりになっても紙とエンピツだけで研究をしていた。

●研究者一人あたり論文数が多ければよいのか? いやいや、論文なんて玉石混交。

●IF(インパクト・ファクター)が高いジャーナルのほうが偉いのか? これはちょっと当たっている気もするが、IFの定義を知っていれば(って、ぼくも、この作文をするようになってからIFの算出方法を知ったが)IFに頼ることの危うさもよくわかる。

●「改革」と称して、組織改編など新しいことをすればよいのか? いやいや、新しいこと/ものが良いというのは、「鰯の頭」程度の単なる信仰にすぎない。

 

まあ良い。

一カ月ほど時間が出来たので、10月末締切なのに一行も書いていない高校教科書「世界史探究」の執筆と、先日大阪で会ったステファン・バーガーから頼まれたしごと(「来年夏にブダペストで『ナショナリズムと経済』に関するワークショップやるから、日本について話してくれないか? EUに研究助成を申請するためのキックオフなんだけど、シノプシスの締切が9月末なので、よろしく」)にとりかかるとするか。

「歴史を学ぶ意味あります?」

本来ならフランスで資料探索三昧になる予定だった8月上旬だが、勤務先の雑用……じゃなくて学内行政(作文とか、別作文とか、作文依頼とか、作文チェックとか、さくぶ、さく、さ)のせいでフライトも宿もキャンセルし、仙台で過ごす夏。

そんな日々のはざまを縫って、名古屋青年会議所主催のフォーラム「歴史の観方は未来を創る:平和を維持する想い」(8月20日)に参加することになった。名古屋大空襲70周年ということで、竹田恒泰氏(お!)、徳川家康公(ん?)とともに、歴史を記憶することの重要性をめぐるパネルディスカッションに出席する&司会も担当することに。

 

www.nagoyajc.or.jp

あわてて名古屋大空襲の本を買って読む今日この頃。

それにしても、ポスターの写真も(自分で提供したので自業自得だが)スゴイが、付されたコピー「歴史を学ぶ意味あります?」もスゴイ。ぼくが考えたわけではないが、歴史学界にケンカを売っているようで、なかなか意義深い。うむ。

はじめてのイギリス。

今日は参議院選挙なので、霧雨のなかを自転車で投票してきたところである。えらいなあ、自分。

さて、7月初めに、はじめてイギリスを訪問してきた。出稼ぎ先である社会人研修会社(今月末で退任予定)の仕事の一環で、海外研修につきそったわけである。「brexit後のイギリス経済・社会・政治のあり方を展望する」というテーマで、ロンドン、ケンブリッジマンチェスターマンチェスター近郊の町プレストン、エジンバラを一週間でかけぬけ、20本を超えるインタビューをこなす、という強行日程。ロンドンでは元外相、ケンブリッジではスタートアッパー、エジンバラではスコットランド自治政府の高官など、さまざまな立場の人に会えたが、もっとも印象的だったのはプレストンである。

人口約14万人のプレストンはランカシャーに位置し、かつて繊維工業などで繁栄したものの、産業構造転換のなかでさびれはて、失業率や自殺率は高騰し、人口は減少する、という、典型的な衰退都市だった。これではまずい、ということで、プレストン市議会(市役所を兼ねる)はマンチェスターの町おこしシンクタンクに依頼し、同市に適合的な町おこし計画を策定し、実行に移した。これが、通称「プレストン・モデル」である。その後、地元にある大学(中央ランカシャー大学)などとも組み、モデルの充実を図っている。

その一端は

globalpea.com

に詳しいが、今回は当該シンクタンクの研究員、モデル拡充に参画している上記大学教員、市議会議長、町おこし担当市議会議員にインタビューでき、このモデルが多様な側面を持つ野心的なものであることを実感して帰ってきた。

ちなみに、印象的だったのは、市議会議長と担当市議会議員の若さ。議長はおそらく40代、議員に至っては大学卒業直後の20代なのではなかったろうか。

これは研修中の皆さんや通訳もしてくださった地元在住の日本人都市計画コンサルタントと一緒にプレストン市役所の玄関前で撮った記念写真だが、一番右のハンチング姿(取るとスキンヘッド)が市議会議長。これくらい若くなければ新しいことにチャレンジする体力と気力と勇気を持つことは難しいということなのだろう。

ひるがえって、日本は、日本の地方議会議員の平均年齢はどうか。

 

うーむ。

憲法記念日に想う。

あっというまに憲法記念日である。毎年、5月3日に「憲法記念日」を迎えるたびに、大略「この一年間もまた、どうやら『近代の超克』を見ずにすんだ」という安心感に襲われる。

さて、憲法記念日を迎えたということは、新年度も一か月たったということである。とにもかくにも疲れる4月だった。

 

つまり、

・新年度から、全学の役職である「副理事(学生支援担当)」とともに、所属部局である(うちは大学院が部局単位なので)経済学研究科の役職である「副研究科長(予算・評価・広報担当)」を兼務することになり、

・しかも、なんだかよくわからない理由で「複数の役職を兼務する場合は、役職手当は一つに限定される」らしく、副研究科長職は丁稚奉公、すなわちタダ働きで、

・ところが、この10年ほど全学のしごとにかまけて部局の情報をシャットダウンしていたため、まさしく「無知の知」(違うか)の状態から始まり、

・副研究科長というのは部局内の「どぶさらい」……は言いすぎだとすれば「トラブルシューター」の別称であることをはじめて知り、

・あれこれドタバタ無駄に走りまわっているうちに連休となってしまった。

という次第である。「どぶさらい」……じゃなくて「トラブルシューティング」をし、そのうえで当然の義務である授業をすると、自分の研究をする時間はせいぜい1.5時間/日しかない。すなわち、オフィスに着く7:00から職員諸氏が仕事を始める8:30までの90分だけである。8:30をすぎると、夕方まで、毎日が電話とメールの大運動会状態となるのだから、どうしようもない。せめてもの対策として、メールを書きながら電話できるようにスピーカーホン付きの電話機をオフィス用に買ったのが、唯一の一歩前進である。そのうえ、ラッキー(?)なことに、むこう4年間(2019-2022年度)の個人科研費(つまり基盤(c))が当たったので、研究をしなければならない。さあ、どうする?

 

さらにいえば、じつは本番はこれからで、

・副研究科長としてのぼくの業務内容に「評価担当」とあるが、

・2019年度は、2020年度に予定されている国立大学法人評価「暫定評価」のための提出書類を作成する年であり、

・だれがこの膨大な書類を作成するかというと、経済学研究科では「評価担当」つまりぼくらしいのだが、

・10年間、部局の情報を一切(自発的に)シャットダウンしてきたおかげで、ぼくは何もわからず、何も知らない。

のである。さあ、どうする?

 

ここは「副」理事と「副」研究科長のイエローカード2枚で自主的に退場しようか、とも考えたのだが、これはムリか、やっぱり、うむ。

帰国、迫る。

あっというまに2週間がすぎ、明日のフライトで帰国である。ちなみに明日は土曜日、土曜日ということは「黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)の日」、当地ニームの近くにあるアヴィニョンでは盛大なデモが予定されているらしく、ニーム駅には「明日、アヴィニョン行きの電車とバスはすべて運休する」という掲示が出ていた。頑張るなあ、ジレ・ジョーヌ……じゃなくてマクロン。そろそろ妥協しないと、すでに定着しつつある「金持ちの大統領」というレッテルが剥がせなくなると思うぞ、きみ。

今回は、昨夏に続き、ニーム市文書館で、同市三大団地(シュマン・バ・ダヴィニョン[CBA]、マス・ド・マング、都市化優先地域[ZUP])に関する資料を資料請求番号順に開けつづけた。存在しない(=インベントリーが作られたのちに廃棄された)ことが確認できたものも含め、210箱強を開け、11000枚弱の資料を撮影できた。すごいぞ、自分……ではなくて、これもすべて、全面的に協力してくれた職員のジョルダヌのおかげである。

彼女にはホントに助けられた。なにしろ請求番号が飛ぶので書庫中を捜しまわらなければならないし、書庫が小さいので2か所(先に一か所と書いたが、その後増えたらしい)に設置されている外部書庫(すごく遠い)にあるか否かまで調べなければならない。館長のヴァゼイユさんは「無料でダイエットできたじゃないか」などとのんきなことを言っていた(ちなみに彼女はじつにスリムである)が、文書館職員のしごとは体力勝負なのである。今回はチョコを1回差入れただけだが、次回(いつのことか……)は2回にしよう。

そのあいだを縫って、CBAにも行ってみた。やはり現地を踏んでみないとわからないものがある、という気がするからである。夕方に散策したCBAは、団地の改修もそれなりに進み、また周辺部には新しい集合住宅が建てられ、「そうでもないじゃん」という気がしたが、あとでヴァゼイユさんに話したら「マジか?」という顔をされた。実際にはいろいろあるのだろう。ちなみに、ニームの大本命にして天王山はZUPであるが、こちらにはまだ足を踏み入れる自信がない小心者の日本人である。

さて、帰国したら会議の嵐の日々が待っている、らしい。とりあえず半年はまったく勉強できそうもないな、うん。

 

 

命の洗濯、またはアーカイヴァル・ワークの悦楽

4月から雑用(学内行政とも呼ぶらしいが)がひとつ増え、とりわけ2019年度前半はなにも出来ないほどドタバタになることが確定したので、現実から逃避するべく二週間ほどニームで資料収集することにした。年度末だというのに、考えてみれば優雅なことである。

7:50にニーム市文書館に着くと、掃除をしている職員さんが気付いてくれて、開館前に中に入れてくれた。館長のヴァゼイユさんも来ていて、感動の(ウソ)再会。そのうち秘書のジョルダヌも来て、今後のリサーチの打合せ。今回から資料請求番号系列Wに入るのだが、Wの資料は、ここ市文書館に付属している書庫と、市の中心部にある総合図書館カレ・ダールの地下にあるアネックスに分かれて所蔵されているのだ。請求番号順に請求するとごちゃまぜになり、職員さんの負担が増えていやがられることが確実なので、まずは双方を区分し、付属書庫所蔵資料から閲覧することにする。

例によって一日あたり請求可能数を大幅に超える資料の閲覧を求める交渉(悪いんだけど……遠くから来ていて……日数も限られていて……)のすえ、「一日20箱程度」で妥結。今日は20箱で1000枚以上の写真を撮り、ヘロヘロしながらホテルに戻る。

初日としてはまずまずの出だしではないかね、ワトソン君。