あとの祭り。

今日でニーム2週間が事実上終わった。同市文書館で、資料請求上限をぶっちぎりで無視して(もらって)200箱以上チェックし、7000枚以上の写真を撮った。いろいろと情報も得たし、まずまずの成果ではなかろうか。

しかし。

全部終わり、館長のヴァゼイユさんとお別れの雑談しているなかで、ニームがあるガール県の県文書館でも資料をチェックしなきゃならないという話になった。ぼくが関心をもっているいくつかの地区は、県公共低廉住宅公社(Office Public HLM du Departement du Gard)など、県の関連団体が開発しているので、それは正論である。

その県文書館であるが、これまでの(レンヌやモンペリエでの)経験から夏休み閉館中かと思ったら、ヴァゼイユさんいわく「ガール県文書館は、夏休み閉館ないよ」。

がーん。

そんな大事なことが、最後の日にわかるとは。語の真の意味における「あとの祭り」である。いやはや、これだからリサーチってやつは、先がみえなくて、だから面白いのだが。

NEMAUSUS

日本も台風接近で亜熱帯からふきとばされつつあるらしいが、翁長雄志・沖縄県知事の逝去の報に接する。

R.I.P.

当地ニームもようやく最高気温32度と、扇風機しかないところでしごとをするのに相応しい温度となってきた。明日は前線が通過して嵐になるらしい。嵐もどうかと思うが、猛暑よりはましだろう。そんなわけで、ようやく散歩に出る気(温)になったので、近くにあるNEMAUSUSをみにいってきた。

見よ。

なんだこれは、である。

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1986年、ニーム市はジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)に対して、低所得者向けの低家賃住宅(フランスでは社会住宅と呼ぶ)の設計を依頼した。その結果として生まれたのが、このNEMAUSUSである。ちなみにネモシュス(Nemausus)というのは、ローマ時代に遡るニームの旧名コロニア・ネマウサ(Colonia Nemausa)のもととなった泉の名前らしい。

しかし、ヌーヴェルといえば、アラブ世界研究所(パリ)、ケ・ブランリ美術館(パリ)、「かの」モンペリエ市役所、日本では電通本社ビルなど、シャープなガラス遣いで知られるオシャレ系建築家ではなかったか。それが、この、メタル感バリバリの、宇宙船をほうふつとさせるといえばカッコいいが、どう見ても「中は暑いだろうなあ」としか思えない建物である。

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反対側からみてみたが、これ、冷房付いているんでしょうか。付いてないな、多分。

ちかよって見ると、半地下がピロティ構造の駐車場になっていることがわかる。なんとなく、マルセイユにあるル・コルビュジエ(Le Corbusier)の輝く団地(La Cite Radieuse)に対するオマージュのような感があるが、いかがだろうか。

そういえば、輝く都市を見にいったときも、暑かった。あれは2014年夏、じつに4年も前のことだったのだよ、ワトソンくん。

後半戦、始まる。

第2週、つまり後半戦が始まった。第二次世界大戦ニームでは、他の多くのフランス都市と同様に、市その他が資本参加した公私混合会社(第3セクターみたいなもの)が都市計画を推進してきた。その嚆矢が、1950年代(具体的な年は失念)に設立されたニーム地域開発会社(Societe d'Exploitation de la Region Nimoise, SERNI)である。今日、ようやく、SERNIの資料(資料系列2T)をチェックしはじめた。

しかし。

ちょっと気になってジョルダヌに「ニーム市文書館では、一日あたりの資料請求上限数はどれくらい?」と聞いたら「午前と午後で、おのおの5箱。合計10箱」という返事。

10箱。

う、うーむ。

地球の反対側のニッポンから来ているので、大目に見てくれているのだと思うが、それをはるかに上回るペースで資料請求している自分。いや、申訳ないことをしてしまった/している/するだろう。あわてて、職員の皆さんに差入れるべく、アイスクリームとオレンジジュースを買いに走ったのであった。

トラムバスという選択。

【8月5日追記

これだけだとニームにカライ話になって申訳ないので、付記しておくと、感心したのは紙の切符がリチャージャブル(再利用可能)になっていることだった。フランスではバス・トラム・トラムバスなど都市公共交通機関の切符が共用になっていることが多いが、それら切符は

・紙製の一回券(または数回券や一日券など)

・プラスチック製の定期券(日本のスイカみたいなもの)

にわけられることが多い。前者はバス停の自動販売機、バスの運転手さん、その辺の店で売っており、後者は、顔写真が必要なことが多いので、営業所に出向いて購入するのが普通だ。

ニームでは、このうち(定期券がリチャージャブルなのは当然だが)紙の切符もリチャージャブルになっている。つまり、一回券の場合だと、最初に1.6ユーロ払って買うのだが、これには0.3ユーロのデポジットが入っており、次回からは自動販売機などで1.3ユーロ払ってチャージすることになっている。紙の切符まで再利用するとは……かかるコストは、リチャージャブルな特殊な紙を使用しなければならないわけだから、一回使ったらオシマイのものよりも高いんじゃないかと思う。そうだとすると、これは、一種の環境政策と考えるべきなのだろう。

ぼくも、0.3ユーロのデポジットを考え、昨日買った一回券を大切に保管することにした。

でも、今日も暑いんですが。

【本文】

日本も暑いがニームも暑いなか、どうにか週末を迎えた。南仏の暑さの特徴は午後遅くから夕方に最高気温が来ることで、今日も、ニームが最高気温38.5度を記録したのは15:30。要するに「仕事は午前中に片付けるべし」ということである。この一週間のぼくの行動が、これをもって正当化されたわけだ。

今日土曜日は「グラン・デパール(大脱出)」、すなわちフランス人のバカンス出発日であり、しかもグラン・デパールのなかでも最大の人数が動く日である。こんな日は、遠出をしようなどと考えると、ろくなことにならない。電車は遅れ、バスは来ないに決まっている。今日も、もっとも近い海であるグロ・デュ・ロワとニームを結ぶローカル線は、国鉄の(もちろん日にちと場所を狙った)部分ストでほぼ全休。駅をのぞいてみたら、長距離列車はTGVを中心に120分とか90分とかいった遅れが頻発していた。例年の大混雑に加え、今年は猛暑で(線路をはじめとする設備にムリをさせられないため)速度制限がかかっているらしい。

そんなわけで、最近ニームが導入したトラムバスに乗ってみた。トラムバスとは聞きなれない言葉だが、要するに、極力専用軌道を整備し、交差点では優先的に進入できるようにしたバスのことである。本来であればトラムを導入したいのだが、それだけの財源と予想利用者数がない規模の地方自治体がセカンドベストの方策として頼るシステムという位置づけだろうか。

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ニームでは、2016年末に1号線が開通し、現在は、2号線の開通に向けて住民意見調査が進められている。

ローマ博物館(建物は、そろって建築家のポルザンパルク夫妻のうち、妻エリザベトのデザインで、これは一見の価値がある)をざっとみて、トラムバスに飛び乗る。

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ちなみに、こんなピカピカのローマ博物館が、ローマ時代の遺跡であるコロシアムの隣に建っているのは、コントラストが強くて素敵である。

ラムバスは、街の中心部から、黒川紀章がデザインしたニーム都市圏庁舎「ル・コリゼ」の横を通り、町はずれの終点に至る。終点まで乗り、そのまま折り返しのトラムバスに乗って戻る。

乗った感想は、残念ながら「選択としては、中途半端」の一言。欧州が「トラム・ルネサンス」にあるというのは良く知られたことだが、トラムの導入は「自動車の排除」を中核とする「街の再生」政策の一環としてなされている。ところが、トラムバスだと、なかなか「自動車の排除」にならない。専用軌道に(フランス人らしく)勝手に割り込んでくる自動車もあるし、なによりトラムバス自体がしょせんは自動車なので、「自動車の排除」をイメージしがたい。難しいものだなあ……と思いつつ、バス停からホテルまでテチテチと歩いて帰ったのであった。

誤算。

【8月3日追記

昨日のニームの最高気温は40.2度だったらしい。聞くだけでめまいがしてくるわ!!

【8月2日追記

チョー暑がりのぼくの悲惨な姿をみて、親切なジョルダヌが扇風機をぼくのほうに向けてくれた。すこし、生き返った……気がする。

【本文】

ニームでしごとを始めて二日。ホテルは駅から徒歩1分、ニーム市文書館からは徒歩5分、冷房完備。風呂の水栓がなくシャワーしか使えないことだけが、いまのところは不満である。文書館はちゃんとほぼ8時にオープンし、資料のことはなんでも知っている館長ヴァゼイユさんも健在で、助かる……というか、「あんな資料があるぞ、こんな資料もあるぞ」と教えてくれるので、チェックする対象が増えすぎて困る、という贅沢な悩みを抱えはじめている。

唯一の誤算は、猛暑である。

日本もひどいが、フランスもひどい。ニーム周辺は最高気温が35-38度という、かの亜熱帯ingする日本とかわらない最高気温をたたきだしている。もちろん日本に比すれば乾燥しているので、屋内に入って日光を避ければ温度はそれなりに下がるのだが、それでもこの温度だと限界がある。

問題は、当然ながら(?)文書館の閲覧室に冷房がないことだ。古い民家を間借りしているのだから、まぁ予想された事態である。3台の扇風機がフル稼働しているが、いうまでもなくムリ、力不足。しかも、扇風機のうちデカい2台は、なぜか職員さんの方向を向いているではないか。

誤算である。

そんなわけで、午前中4時間働くと、意識がもうろうとしてくる(大げさ)。閲覧室は昼休みのため12時にいったん閉まるのだが、14時の再開館に戻ってくる気力がない。午後は(17時に閉まるので)3時間しかしごとできないし。かくして冷房の効いたホテルの部屋で資料の整理と資料リストの改訂をするほうに心が傾いてゆく。

この猛暑が終わったら、午後も文書館でしごとすることになると思うが、先ほどの天気予報では「しばらく猛暑が続く」ということだったので、さて、どうなるか。

夏休み? 夏休み!

地獄のドタバタデイズ(当社比)の前半が、どうにか終わった。

6月末に『フランス現代史』(年内刊行予定らしい)のドラフトを書きおえ、一服したのち、出稼ぎ先のしごとの一環で1週間フランスに出向き、戻って、さるタスクに没頭すること約2週間。日曜日も(単に暑い太陽を避けるためという理由だったのだが)朝5時から大学(でしかできないタスクなので、やむなくオフィス)に出向いて働き、メドがついたのが25日(水)。これで、いちおう、安心立命して自分のプロパーのしごとに戻れることになったわけである。

そんなわけで、明日から2週間ほど南フランスはニームに出向き、ニーム市文書館でリサーチをしてくる。モンペリエ市文書館のアスベスト騒ぎが収まらず、どうしようもないので、研究フィールドをかえた、というわけである。ニーム市文書館は朝8時開館なりで能率が上がるし、いちおうインベントリーは作ったので、今回の第一目的は「あたりをつける」つまり

  -資料の閲覧とチェックを始める。

  -同文書館における資料の整理状況を体感・体得する。これがなによりも大切。

  -今後のしごとの進め方を考える。

ことになる。ヘンなユーモアと該博な知識にあふれた館長ヴァゼイユさんや、フランス人とは思えないほど(失礼!!)サンパな職員ジョルダヌに再会できるのは、うれしいことだ……が、天気予報によれば、ニームは最高気温38度という好天(?)が続いているとのことで、かの地のエアコン事情の貧弱さを認識している身としては、「うーむ」の一言に尽きる。

ちなみに、帰国したら、高校世界史の新科目「歴史総合」の教科書執筆その他、いろいろとステキなしごとが待っている(らしい)。仙台はここ数日涼しい日々が続いているが、農家の皆さんには悪いが、この天気が続いてほしい。

台風直撃かと思ったら、台風のスピードが早く、明日の羽田は大丈夫そうだ。例によって24時間がかりの移動を楽しむことにするか。

『フランス現代史』を書きおえて。

月曜日に担当編集者さんと最終打合せを終え、火曜日にドラフトを直して送付した。とりあえず、これで新書『フランス現代史』は一件落着。7月と8月は地獄(当社比)のドタバタデイズが待っているので、その前に終えられてホッと一息ついている。ゲラを9月に出してもらうことにし、刊行は年内だろうか。

当初「250枚」といわれていたのが、とりあえず書きはじめたら400枚+図表ということになり、当然ながら「カット」指令発動となってしまった。結局320枚(および目次・索引・年表)程度だろうか。書いていて若干くどいなと自分でも思っていたので、こんなところが妥当なんだろう。

それにしても知的「土地カン」がなく、調べては書き、書いては調べる、という自転車操業の二ヶ月だった。そんななかでも得るところはあるもので、色々なことを学んだ。

なかでも重要だったのは「ミッテランの実験の失敗」(1982/3)すなわちケインズ主義的需要喚起政策から新自由主義的緊縮政策への移行の理由で、この点をちゃんと説得的に説明している概説書は、ぼくが知る限り存在しない。すなわち、この理由は、たいていは「インフレ対策」とか「フラン防衛」とかに求められるのだが、インフレやフラン安は、経済学的に言うとマネタリーな現象なので、それ自体が問題ではない。それがリアルな現象、すなわち購買力や失業といった国民生活の実質的な側面に影響を及ぼして、はじめて真の問題となり、経済政策の対象となるのだ。

そんなわけで、なんでミッテラン政権が政策転換に追込まれたのかどうしてもわからず、しばらく「ウーム」と悩んでいたのだが、現代フランス経済に関する本を何冊か読んでいて、ようやくわかった。要するに「スネーク・欧州通貨制度・通貨統一」という欧州統合政策が「コルセット」として機能し、実験の継続を阻んだのである。

ここが腑に落ちて、ようやく「書ける」という気がした。たかが新書、されど新書、じつに危なかったのである。

戦後フランスにおけるケインズ主義的需要喚起政策は、おもに「競争的平価切下げ政策」というかたちをとってきたが、欧州統合に伴い、またニクソン・ショックによって変動為替相場制に移行しなければならなくなったこともあり、平価切下げが事実上不可能になってしまった。そうだとすると、残された(この場合は石油危機がもたらした)不況対策は、通貨供給を絞り込み、事実上強制的に産業構造を転換させる、通称「競争的ディスインフレ政策」しかなくなる。これが、政策転換後にミッテラン政権が採用し、その後、経済政策のスタンダードとなり、民衆層の怨嗟の的となる「緊縮政策」である。

もちろん競争的ディスインフレ政策を採用したのは、フランスではミッテラン政権が最初だったわけではない。すでに、ジスカールデスタン政権下で、シラク内閣(経済冷却計画、1974)やバール政権(バール・プラン、1976)が同政策を実行に移している。重要なのは、ケインズ主義的需要喚起政策に親和性が高い左翼政権たるミッテラン政権までもが競争的ディスインフレ政策を採用した、という点にある。

こうなると、左翼はアイデンティティ危機に陥る。この危機を脱するには、じつに15年近くを要した。シラク政権下のジョスパン内閣(1997)は、左翼のアイデンティティを経済領域から社会領域に移し、社会的リベラリズムの実現こそ左翼の本領であると主張することにより、左翼アイデンティティの復活と高い国民的人気を実現した。

しかし、社会的リベラリズムの次元で右翼との差別化を図るという戦略は、経済的困窮に苦しむ民衆層には届かない。彼らは、緊縮政策に反対する「左翼の左翼」か、経済的困窮の原因を「統合欧州」や「移民」に求める「極右」を支持するようになってゆくだろう。

これが、現代フランスのダイナミズムの一端である。

さて、それでは、日本はどうだろうか。