アーカイヴァル・ワークとはなにか(6・完)。

【2月17日追記】

Merci Montpellier, a la prochaine fois......s'il y en aura (peut-etre pas, au moins  dans l'avenir prochain).

【本文】

そんなこんなで、エロー県文書館における2週間のアーカイヴァル・ワークが終わった。115箱をチェックし、約12000枚の写真を撮った。実働8日で12000枚ということは、一日平均1500枚である。いやぁ疲れた。こんな自分をほめてあげたいと思います。

2496W「エロー県公共低廉住宅公社理事会会議関連資料」をチェックしているうちは、わりとゆとりがあった。ところが、2497W「同公社、予決算書類」に入ると、膨大な資料に圧倒され、期間内に終わるか否か「?」となって、精神的にも肉体的に追い込まれれた。

当地に来る前は「予決算書類」って何よ、と思っていたのだが、実際に箱をみてみると、これが長大な予算書と長大な決算報告書なのであった。それも、1968年から2006年までは、ほぼ完全にそろっているという、喜ぶか悲しむべきか「?」な状態ときている。これを撮影するというのだから、気が遠くなりそうになる。なにせ、終わらなかったら、またモンペリエに来なければならない破目になる。それも、週4日しか開いていない県文書館……宿からトラムで45分もかかる県文書館……ぜひご遠慮したい事態である。

ダメ、ゼッタイ。

そんなわけで、飲むものも飲まず、食べるものも食べす、トイレにもゆかず、ひたすら撮影。その甲斐あって、どうにか終わった。「安堵」のひとことである。これで、とりあえず「安心立命」の心境で帰国できる。

アーカイヴァル・ワークとは、かくのごとく、なにが生じるかわからないサバイバルの世界なのだよ、ワトソン君。

しかし、ホントのしごと(資料の分析、ペーパーの執筆、など)は帰国してから始まるのだが、うむ。

アーカイヴァル・ワークとはなにか(5)。

月曜日(12日)は、エロー県文書館は休館日なので、しばらく(眠いので)ためらったのち、7:14の各駅停車で隣県ガールの県庁所在地ニームに出かける。いずれ同市についてリサーチしようと考えているので、主要資料が保存されているニーム市文書館に「ご機嫌伺い」に行くのである。

ちなみにモンペリエの地方(市、県)文書館が10時開館なのに対し、ニーム市文書館は8時開館!! なんたる勤勉さか。この2時間の違いは、きっと

宗教的な理由

に因るものだろう。モンペリエカトリック都市だが、ニームプロテスタント(いわゆるユグノー)が優勢な都市なのである。おお、こんなところでマックス・ヴェーバー・テーゼが実証されるとは!!

モンペリエニーム間は各駅停車で30分なので、ちょうど開館時間にドアの前に立つことになる。館長のヴァゼイユさん、秘書のジョルダン、出納係のフォフルノさん、そして受付の男性(名前失念)という4人体制はかわっていない。閲覧用スペースは、前回は4人分だったのが、今回は6人分(つまり椅子が6脚)に増えている。「スゴイじゃないすか」と言ったら、ヴァゼイユさんに「前は閲覧用机の上に箱を積み上げていたんだけど、机をどけて、床から箱を積みかさねたんだよ」と返された。とにかく資料を置くスペースが足りず、町はずれに臨時資料保管庫を借りたということだった。いやはや。

「なにしに来たのかね?」と聞かれたので「エロー県文書館は月曜日が閉館なので、情報収集に来ました」と答える。ヴァゼイユさんは「なに? 県文書館のくせに、閲覧室が火曜日から金曜日まで4日間しか開かないのか? マジか?」と仰天するので「いや、月曜日は資料の整理日なんじゃないかなあ……」とフォロー。

ところが、さらに「朝10時に開館だろ? 夜は19時ぐらいまで開いてるのか?」と聞かれたので「いや、18時。でも、昼休みがないから、そんなもんじゃないかと思います」とフォローその2。じつは、ニーム市文書館は8時から17時まで開館しているが、途中12時から14時までは昼休みで閲覧室が閉まるのだ。

そのことを指摘すると、ヴァゼイユさんは「いやいや、でも、キミみたいに、はるか地球の裏側から閲覧者が来た場合は、職員が交代に昼休みを取るとかして、閲覧室をノンストップで開けてあげてもいいぞ」とつっこんでくる。親切すぎますって、それ。

このヴァゼイユさん、長く文書館長を務める「ニーム市文書館の生き字引」的存在で、あまりにも資料に精通しているため、資料について質問すると返事が止まらなくなる。しかもしゃべるのがムチャクチャ早く、機関銃のように情報が降ってくるので、ぼくみたいにフランス語「?」人間にとっては「質問の中身に気を付けよう」なのは、ここだけのヒミツだ。でも、彼がいるうちにリサーチを始めたいものだ。きっと強力な援軍になるにちがいない。

ちなみに、この「ご機嫌伺い」すなわち情報収集、これもまたアーカイヴァル・ワークの重要な一環である。

アーカイヴァル・ワークとはなにか(4)。

【2月16日追記】

ちょっと請求番号の記述が混乱していたので、修正した。

【本文】

すこし具体的な話で考えてみよう。

いま、ぼくは、戦後モンペリエの都市計画・都市化の歴史を調べている。もうちょっと詳しくいうと、1960年代からおもに市の北西部に拓かれはじめた民営・公営の団地が、その後、マグレブ北アフリカ)移民の集住によって(なぜか)「アブナイ地区」とみなされ、都市再開発政策/事業の対象になるプロセスとメカニズムを分析している。

「そんなことを細かなことをニッポンジンが調べて、なんになるんかいね」といわれるかもしれないが、これが面白いからどうしようもない……というか、面白ければよいのである。

ま、もちろんこれは動機の半分で、残り半分は、日本でも、少子高齢化の進展と、ありうる政策的選択肢としての移民の増加によって、各地の大規模な団地(多摩ニュータウンとか、千里ニュータウンとか)はどうなってゆくのか、ヘタを打つと「アブナイ地区」とみなされてゆくのではないか、その場合に採用されるべき都市再開発政策はいかなるものであるべきか……といった問題関心に基づいている。

そんななかで、とくにぼくの関心をひいたのが、1960年代初めにアルジェリアからの引揚者(ピエ・ノワール)に住居を提供するために建設された民営団地プティ・バール(Le Petit Bard)と公営団地ラ・ペルゴラ(La Pergola)だった。

両者は道を一本隔てたところにあり、

(1)ほぼ同じ時期に、ほぼ同じ目的のために建設された、という共通点。

(2)前者は民営、後者は(エロー県公共低廉住宅公社[OPHLMDH]が建設・管理するという)公営であり、21世紀に入ると、前者は「アブナイ地区」とみなされてゆくのに対して、後者は、1991年に大規模な改築・改装をしていたおかげで、さほど問題なく今日に至っている、という相違点。

を、ともに持っている。

このうちプティ・バールについては、すでに活字に出来た(Naoki Odanaka, "Cinquante ans d'un quartier montpellierain: Le Petit Bard, 1960-2010," Bulletin Historique de la Ville de Montpellier 38, 2016)ので、いまは後者、つまりラ・ペルゴラの歴史を追っている。もちろん、プティ・バールの歴史との比較を念頭においていることはいうまでもあるまい。

ちなみに、現在のラ・ペルゴラは、こんな感じ。近くにトラムの駅もでき、それなりの雰囲気でないかえ。

f:id:odanakanaoki:20170924161531j:plain

 

さて、ラ・ペルゴラの歴史にアプローチする際に利用しうる主要な資料としては、

(1)「アブナイ地区」再開発事業は1980年代から始まるが、事業主体は市町村なので、これら事業に関する資料は、モンペリエの場合は、モンペリエ市文書館に所蔵されている。ラ・ペルゴラについても、再開発事業の対象とするべきか否かをはじめとする議論の対象となったこともあり、一定の資料が残っている。そんなわけで、これらを対象とするアーカイヴァル・ワークを進め、あと20箱程度というところまで来ていたのだが、資料保管庫にアスベストがみつかり、2015年12月からアクセスできなくなって、今日に至る。つまりデッド・エンド状態。

(2)建設・管理の主体であるOPHLMDHは、当然ながらラ・ペルゴラに関する大量の資料を所蔵している。OPHLMDHはのちに「エロー・アビタ」と改称されて今日に至るが、日本でいうと地方自治体(この場合はエロー県)の外郭団体にあたり、資料は独自に保管している。外郭団体所蔵資料については、アクセスはなかなか大変なのが通例だが、エロー・アビタについては、さいわいなことに、本部改築にともない、2016年末、2006年までの資料がエロー県文書館に移管された。そのなかで、ぼくにとって重要なのは

 -ラ・ペルゴラに関する一件書類:約30箱(これが一番大切)

 -エロー・アビタ理事会の議事録と理事会会議関連文書:約200箱

 -会計資料:約30箱

の3つである。これら箱の各々に、請求番号(フランス語でコート)が付けられている。

地方文書館の場合、請求番号は、

  -どんな歴史的性格をもっているかを記すアルファベット、

  -どんな具体的性格をもった文書群として文書館に預託されたかをあらわす数字番号、

  -そして個々の箱を表す数字、

という3つの部分からなっている。なお、このうち最初のものを資料系列(英語でシリーズ、フランス語でセリー)と呼び、前二者を合わせて下位資料系列(英語でサブシリーズ、フランス語でス・セリー)と呼ぶ。そして、三者を合わせると請求番号になる。

たとえばエロー県文書館で「2496W169」という請求番号で表現される箱は、目録をチェックする(ことは、じつは2496Wという下位資料系列は目録が未公表なので不可能なのだが、職員さんがもっている非公式目録をみせてもらう)と

-W:新しい資料(資料館によって異なるが、だいたい戦後のもの)

-2496:エロー県公共低廉住宅公社理事会会議関連資料

-169:1994年の同資料

を含んでいることが判明する。つまり、この箱には「エロー県公共低廉住宅公社(OPHLMDH)理事会会議資料、1994年」といったタイトルがついていることになるわけだ。

そんなわけで、いまは、ひたすら、これら箱を開けてはチェックしている、というわけである。ヘロヘロと、だが。

 

アーカイヴァル・ワークとはなにか(3)。

モンペリエの一週目が事実上終わった。最近は二週間しか滞在しないことが多いが、今回もその例に漏れないので、これで滞在が半分すぎたということになる。エロー県文書館は週四日しか開館しないが、今週は四日で61箱開け、約4500枚の資料を撮影した。残りは54箱、どうにかなるだろうか。

さて、地方文書館におけるアーカイヴァル・ワークである。箱を出してもらうまでは前回記したが、当然ながら、問題は「そのあと」。箱を開けると、わけのわからん資料がひもでくくられてとびだしてくる。

これら資料は、基本的にはアーキヴィストがトリアージ(残す価値があるか否かを判断し、不要なものは廃棄&必要なものは保存を決定)し、テーマごとに整理(してどの箱にどんな順番で入れるかを選定)するという「ひと手間」がかかっている。したがって、基本的には、どれもじっくりチェックする価値があるはずなのだが、ぼくのように短期間の滞在ゆえ時間がない研究者にとっては、一枚一枚ちゃんと内容をチェックしているひまはない。ばっとみて、自分の研究テーマにとって意味がありそうか否かをとっさに判断し、ありそうだったら「保存」作業に入る。

この「保存」作業、むかしはハンドライティング(手で書き写すこと)を意味し、膨大な時間を要したため、意味があるか否かの判断は慎重にならざるをえなかった、らしい。

ぼくがアーカイヴァル・ワークを始めた1980年代後半は、ワープロやパソコンが導入されはじめた時期にあたり、保存=タイプライティングを意味するようになっていた。だいぶ時間が節約できるようになったので、「とりあえずタイプライティングしておくか」という雰囲気が強くなっていた。

保存作業のありかたが劇的に変化したのは、デジカメが導入されてからである。デジカメで撮り、日本に戻ってオフィスのパソコンの画面上で読めばよいのだから、意味があるか否かで悩む必要はほとんどない。とりあえず撮っとけ、である。

ぼくは機械に凝るたちじゃないので、ごくごく普通の安いデジカメをずーーーっと愛用している。いま確認したら、2009年物で、もうすぐ10年。てぶれしまくるし、解像度も低いが、とにかく大体のところが読めればよい。最初に書いたとおり、だいたいにおいて一日に1000枚程度撮影するので、こまかいことを気にしていたら仕事がすすまないのである。

こうして「出納依頼、チェック、撮影、返却」をくりかえしているうちに、出納カウンダ―の担当職員さんは「またかよ」という顔になってくる。ここで愛想を付かされたらマズイので、「今度の箱は重いねえ」とか「おお、あと3箱だ」とかいいながら、ずっしりと重い箱を引取ったり返したりするためカウンターと座席を往復していると、15箱はあっというまである。

こうしてみるとすぐに理解できるとおり、アーカイヴァル・ワークには、知性を働かせる余地はない。それは、ひたすらに肉体労働である。頭を使うのは帰国してからなのだよ、ワトソンくん。

アーカイヴァル・ワークとはなにか(2)。

【追記】

ぜんぜん話は違うが、エロー県文書館からの帰り道に、日本でもフランチャイズチェーン展開して有名になったパン屋であるポール(Paul)があり、そこでパンを買って帰るのを日課にしているが、なんか不味くなってないか、ポールのバゲット? スカスカのフカフカになっていて、かつての「カリッ、パリッ」感が消えてしまったと感じるのは、ぼくだけだろうか。そういえばCDG国鉄駅の上にあったポールも、いつの間にか別のチェーン店である「ブリオッシュ・ドレ」にかわっていたし、大丈夫か、ポール?

【本文】

フランスの地方(県、市町村)文書館におけるアーカイヴァル・ワークについて、もうちょっと書いてみたい。こんなマイナーなテーマに関心があるひとは、ごく一握りにすぎないと思うが、とりあえず備忘録がわりである。

フランスの地方文書館で重要なのは、なによりもまず「ひとをみる眼」である。ここでいう「ひと」とは文書館の職員さんのことだが、だれと仕事をするかによって、アーカイヴァル・ワークの効率と、そしてしごとの「楽しさ」は、格段にかわってくる。地方文書館職員のしごとは、とにかく属人的な裁量が大きいからだ。

たとえば、親切な職員さんであれば、ぼくみたいなアジアンが「地球の裏側から来ました、あまり滞在時間がないんです」といえば、おおっという感じで「一日あたり閲覧可能箱数上限(英語でコータス、フランス語でコートゥス)をこえられるよう取り計らってあげようか」といったありがたい申出をしてくれるかもしれない。最近は地方文書館もかなり機械化され、上限をこえると閲覧申請用マシンのディスプレイに無情な「上限をこえました。請求不可能です」サインが出るものだが、職員さんは制限解除権限をもっているので、お願いできれば一発でオッケーである。ただし、この場合、出納業務(肉体労働)が増えることになるので、ひたすら頭を下げまくるか、可能であれば差入れをすることが望ましい。

今日も、ぼくがみている「エロー県公共低廉住宅公社理事会会議関連資料」担当の職員さんが、今回閲覧を予定している115箱の現状(どこにどれくらいの箱があって……とか)と、今後の閲覧請求の方法について、色々と説明に来てくれた。こういう情報がないと、閲覧申請用マシンの前で「あれ、請求できないぞ、なぜだ」などという羽目に陥ってオロオロしてしまうのがおちである。

さて、ぼくの個人的な経験からすると、こういった親切さ……というか臨機応変さを発揮してくれるのは、まずはお兄さん(若い男性)、ついでおじさん(若くない男性)とお姉さん(若い女性)、そして最悪なのがおばさん(若くない女性)である。なんでこんな順番になるのか理由はわからないが、大抵はこの順番である。ウーム、不思議だ。

今日も、午前中の出納カウンター担当者のひとりがこの手のおばさんで、ぼくが請求する重い箱をもつのがメンドイらしく、挨拶しても「メルシー」といっても反応レスだった。寂しいなあ、ぼく。

「だれと仕事をするか」が重要だというのは、そういう意味である。ぼくは性差別手記者ではないつもりだが、とくに面倒な=例外的な=裁量が必要な取り扱いをお願いしたいときは、出納カウンターにだれがいるかチェックしてから行動に移るようにしている。おばさんだったらちょっと待ち、お兄さん(か、ダメだったら、おじさんまたはお姉さん)が登場したら立ち上がる。おばさんがいても無視し、お兄さん(か、ダメだったら、おじさんまたはお姉さん)にむかって突進し、ホントに申訳ないという感情を全身から発散させつつ(自社比)「すみませんが……」と切り出すのである。

とにもかくにも、こうして、めざす資料が入った箱を手にし、閲覧席に戻る。ホントのアーカイヴァル・ワークは、ここから始まるのだが、その話はまたあとで。

アーカイヴァル・ワークとはなにか。

5か月ぶりのエロー県文書館の作業初日は、とにかく「腰が痛い」の一言。パリも寒いがモンペリエも寒く、おまけに今日は珍しく本格的な雨が続くということで、アーカイヴァル・ワークをしていれば腰が痛むのはすぐそこ、腰痛にはうってつけの一日となった。

さて、今日から、5か月ぶりにエロー県文書館で「アーカイヴァル・ワーク」を再開した。しかして、数少ない読者諸賢は「アーカイヴァル・ワーク」と言われても、実際になにをしているのか、なぜそれが腰痛につながるのか、よくわからないに違いない。

アーカイヴァル・ワークとは、要するに、文書館(アーカイヴ)に出かけ、保存してある一次資料をチェックする、という作業のことである。フランスの地方(県、市町村)レベルの文書館の場合、大体の資料については目録(英語でインベントリー、フランス語でアンバンテール)が出来ており、まずはそれをチェックし、面白そうな資料を請求することになる。資料には請求番号がついており、それにもとづいて請求するわけだ。

ちなみに請求単位(すなわち請求番号の単位)は、通称「箱」(英語でカートン、フランス語でカルトンまたはボワト)。ただし、箱のなかに具体的にどんな資料が入っているかは、フランスの地方文書館レベルでは、普通はわからない。フランス中央文書館(Archives Nationales)だと、目録に中身が大体書いてあるのだが、地方文書館だと、基本は出たとこ勝負。関係ありそうな箱の請求番号をチェックしてリストを作り、それを、順番に、ひたすら請求するのである。

箱は、大体、40センチ×30センチ×15センチぐらいの大きさで、そのなかにわけのわからん紙……じゃなくてタイトルに関連する資料がつっこまれている。この箱が、とにかく重い。ここで腰痛が効力を発揮する。

このむやみに重い箱を、えっさらほいさらと出納カウンターから自分の閲覧席に運び、開け、資料を取り出し、端からチェックしてゆく。面白そうな資料だったら、デジカメで撮影する。とにかく時間がないので、撮影した映像を本格的に解読するのは、日本に帰国してからのこと。一期一会だから「面白そうだったら、とにかく撮影する」のが鉄則。であり、これをひたすらに繰り返す。以上が、なんのことはない「アーカイヴァル・ワーク」の中核をなす作業である。

一日に請求できる箱の数は、文書館によって異なるが、大体、10-20箱となっている。職員さんは、請求された箱を保存庫(デポ)に取りにゆき、出納し、返却されたら再び保存庫に戻すわけだから、請求数に上限があるのは、これは当然のことだろう。

ちなみに、エロー県文書館では、請求数の上限は一日20箱。これは、他の県・市町村文書館と比して、かなり多いほうだと思う。ただし、ぼくは一日15箱でやめるようにしている。なるべく早く仕事をあがって、ノンビリとカフェのテラスでワインを飲みたいから……ではなく、請求を続けている箱である「エロー県公共低廉住宅公社理事会会議資料」が、物理的な意味で重く、職員さんの物理的な負担になっていることが明白だからだ。

どうみても4-5キロ近くある、パンパンに膨れ上がった箱を、痛む腰をかばいながら「いたたたた」と毒づきながら運んでいると、これを出納する職員さんも大変であることがわかってくる。こんな作業をマキシマムの20回ずつお願いしていたら、絶対に嫌われるだろう。人間関係がものをいう地方で、職員さんに嫌われないのは致命的に重要な条件である。15箱でやめるのは、職員さんとの関係を悪化させないための「大人のたしなみ」なのである。

「嫌われない」手段としては、もうひとつ、差入れという手がある。ぼくも、エロー県文書館のもう一つ下位に位置するモンペリエ市文書館でアーカイヴァル・ワークをするときは、毎週月曜日にチョコレートを差入れするようにしている。「今週もよろしく」というわけだ。もちろん「はるか極東から来ているので、出来れば特別扱いしてほしい」という意味が込められているのは、これは言うまでもあるまい。このへんの気配りもまた、アーカイヴァル・ワークの重要な一環をなしている。

今回は2週間の滞在だが、エロー県文書館は火曜日から金曜日までしか開いていないので、作業できるのは8日。8日×15箱で、請求できるのは実質120箱。チェックしたいのは115箱なので、計算上は完璧である。

さて、どうなることか。

色々と寒い冬。

【追記】

それにしても驚いたのは無料公衆wifiの普及ぶり。ANAは、有料だが、約2000円でフライト中つなぎっぱなしという太っ腹サービスが国際線で始まり、ぼくもちょっとぐらついたがやめて、酒と古いドラマの時間をすごした。で、ふるえながらTGVに乗ったら、なんとTGVは無料公衆wifiを導入しているではないか。これは素晴らしい。もっとも、乗ってすぐに爆睡し、wifiサービスに気づいたのはモンペリエ到着直前だったので、これまた利用せず。フランスでは(最近は日本でもそうだが)駅など公共施設もほとんど無料公衆wifiが通っているし、電話回線経由でネットにつなげる時代は過ぎてゆくのかもしれない。

【本文】

年明けから公私ともにドタバタの日々が続き、身も心もフトコロも寒い冬となった。とにもかくにも仙台は久々の寒気で、根雪のうえをペンギン歩きするとか、坂が登れなくなった車を押すとかいう経験をしたのは、一体いつ以来だろうか。

そんな寒い仙台を逃れ、2週間の予定でモンペリエでリサーチをするべく、さきほどCDGに着いたところである。

と・こ・ろ・が。

仙台も寒いがパリ周辺も寒い。16時でゼロ度、外は雪。空港に直結している国鉄駅構内のカフェで、いつもと同じくビール片手にモンペリエ行きの18時発TGVを(飛行機が早く着いたので)2時間ほど待っているのだが、ここで重要なのは「CDG国鉄駅は構内に暖房が入ってない」こと。しかも、いつものカフェが、いつものとおりオープンカフェとなっており、なんなんだ、まったく。足元からしんしんと冷気が上がってくるため、ビールの冷たさが一層しみるではないか、まったく。ちなみに、まわりのフランス人たちは平気な顔をしているが、これにダマされてはいけない。彼らは(ぼくの個人的な経験からいうと)寒暖に鈍感であり、彼らに合わせていると泣きを見るのはほぼ確実である。

今回のミッションは、エロー県文書館で、残っている120箱強の資料をやっつけることだ。これが終わったら、いよいよ研究対象を移すという大仕事が待っているが、さて、どうなるか。

それにしても、春はいつ来るのだろうか。