【3/22】国際化時代を実感する。

【ほんのちょっと加筆あり・・・3/24】
【追記】
三条中のデマ、ツイッタでそれなりに騒がれてたらしいので、まとめページである「トゥゲッタ」とやらをみてみた。いやあ、こんな低レベルな元ネタ(上から11番目のmizubasyo)がそれなりに拡散してくのかと思うと、ますますご遠慮したい世界である。とりあえず、ぼくのわかる範囲でいうと、

  • 三条中の避難所は3/14に閉鎖された。「中国人やりたい放題」という元ネタが出たのは3/17なので、どこ&いつの話? しかも元ネタの主、自分&自分の話を正当化するためにどんどん話がかわってくし。怖いですね、恐ろしいですね、それではサイナラサイナラ・・・じゃなくて、ぼくは3/13(下記参照)のあと、3/14にも行って閉鎖を確認しているので、モンクがあるやつは出てきなさい。
  • 避難所閉鎖の理由は、北校舎4階美術室の火事を受けて、学校が可能な限り縮小・できれば閉鎖したいという意向となったためである。そのため、建物がゆがんで戻れなくなっていた市立および県立の留学生寮の住人や、周辺民間アパートの留学生を東北大学学生寮で受入れることは可能だろうか、という相談があり、そのコーディネートをしている(最終的に、職員さんの「独断」で全員受入れてもらった)うちに、滞在「5分」の予定が「5時間」になっちゃった(下記参照)わけである。
  • ただし、三条中避難所がオーバーフローだったのは確かである。だって千人以上が体育館と武道館に詰込まれたんだぞ。これじゃ横になるスペースすらない。ぼくの同僚も、その筋では有名な上杉山通小学校で一夜を過ごしたらしいが、体育館に千人来たので、パイプいすを並べて座って寝たそうだ。すごい光景だったことだろう。しかし、それが「戦時」なのである(ちなみにうちの娘の小学校避難所は350人だったので、横にはなってもらえた)。

【本題】
3月22日の地元紙『河北新報』に、こんな記事が載っていた(ウェブ版にも出ているが、そのうち消されるので、部分的に引用する)。

「性犯罪や略奪行為多発」… デマ横行し不安が増幅
東日本大震災の後、被災地で性犯罪や外国人による略奪行為が多発している、といったデマが横行している。専門家によると、先々の見通しが立たない不安が背景にあるとされ、惑わされないためには、積極的に報道などの正確な情報に触れる必要があるという。
「避難所となった三条中(仙台市青葉区)で中国人らが支援物資を略奪している」。震災数日後、ネットや口コミを通じ、こんなデマが流れた。三条中の教員は「ネットで流れたような行為はなかった」と否定する。
 三条中では一時、配給を12歳以下の子どもと乳幼児のいる母親に限ったことや、通電後に校内で火災が起きたことなどから不安が広がり、デマにつながったとみられる。

三条中は近くに東北大学宮城県仙台市の留学生寮がたちならび、裏道にはハラルフードを売る店があるという、仙台でもっとも国際的な地域にある。そのため、地震直後には、東北大学の留学生が大挙して指定避難所である三条中におしかけた。
ぼくは、全学の学生支援担当ポストを拝命させれられてしまってワンワンワン・・・なので、13日(日)夕方、校長先生に受入れのお礼をいいに出向いた。ついでに避難所に顔を出した(ら色々と手伝いを依頼されてしまい、5分のつもりが5時間になった)ところ、さまざまなエピソードを垣間見ることになった。
(1)中国人による略奪は、なかった。記事にあるとおりで、そもそも略奪しようにも略奪できる物資がなかったのだから、笑えないデマではある。ウラをとれ、ウラを(ちがうって)。
(2)ついでに隣にある大学の留学生寮に行ったら、インドネシア国旗を付けたバスが停車している。インドネシア大使館がチャーターしたバスで、仙台周辺在住のインドネシア人を乗せて東京の大使館に保護するということだった。出発予定時刻は13日24時。一番早い対応だったんじゃないだろうか。これなら緊急車両として東北自動車道を通行できるし、さすがは地震津波大国インドネシア、良いしごとしてますね、と感心。
(3)また三条中避難所に戻ったら、今度は「イギリス大使館」というジャケットをまとった3人組が来る。イギリス人2人、日本人1人。仙台周辺在住イギリス人の安否確認をしているとのことだったが、日本人大使館員から「こちらが大使です」といわれ、のけぞる。大使みずから仙台にのりこみ、主要な避難所をまわって安否確認をしているのだ。「ノブレス・オブリージュ」の国イギリスを、ちょっと見直した瞬間。
(4)避難所の片隅に、オレンジ色のつなぎを着た外国人の一団がいる。仙台近海を航行中に津波座礁し、自衛隊に救助されて(たぶん、仙台で一番国際的な地域にあるという理由で)三条中に連れてこられたらしい。当然パスポートもない、ホントの避難民である。避難所側もどう扱ってよいかわからず、敬遠気味。留学生寮を再訪して職員さんに話したら、「うちで受け入れましょう」と即決。まさに「戦時」だが、

これが現場の力である。

職員さんに事情を聞いてもらったら、韓国籍の船で、船長と航海士が韓国人、それ以外のクルーはフィリピン人だった。この船長、仙台の事情がわからないためか、えらく強気に避難民にふさわしい人道的待遇を求めてくる。いわく「シャワーはないのか?」、「ベッドはないのか?」・・・。しかし、われらが留学生寮の職員さんもさるもの、ぼくが「どうしましょうか?」といったら「イヤなら出てけといいますから、大丈夫です」。

これが現場の力である。


(5)またまた三条中避難所に戻ったら、どこからか良い匂いがしてくる。避難していたインド人留学生たちがカレーを作って食べてるではないか!! 旨そうで、おなかがすいてくる。ちなみに先述したフィリピン人クルーたちは、その辺の枯れ木を集めて火をつけ、鍋を借り、中学校のプールの水を汲んできてスープを作って食べていた!!、という。生命力の差を感じるのはぼくだけか?