『ジェンダーと成人教育』

高橋満・槇石多希子編『ジェンダーと成人教育』(創風社、2005)
いただきもの。

(1)フェミニズムが社会的・経済的なレベルで論じられるもの(女性の賃金は低い、とか)から心理的なレベルで論じられるもの(目にみえない差別がある、とか)になり、ぼくのような素人にとっては、事態は混迷の度を深めている。つまり、ここに至り、本人が差別だと思っていないものを差別だと「わからせる」営みが求められているわけだが、それって余計なお世話じゃないのか、換言すれば(あの懐かしき)虚偽意識を暴くという口実のもとに新たな虚偽意識を植え付けているだけじゃないのか、ということである。この疑問を解決するには「虚偽意識とは何か」みたいな認知科学的なアプローチが必要かもしれない、多分。ただし、その前に、「どのようなプロセスでわからせればよいのか」という、時間を考慮に入れた発達科学的・教育学的な分析も、やってみる価値がある。

(2)地味なタイトルに似合わず、本書はこの課題にとりくんでいて、なかなか面白い。結論は「理想的発話状況」みたいなところにおちつくのだが、これはまあ穏当というか妥当なところだろう。さて、本書にインスピレーションを与えているのはパウロフレイレだが、彼の『被抑圧者者の教育学』を読んでおくことにしよう。