『日本史講座第4巻・中世世界の構造』

歴史学研究会他編『日本史講座第4巻・中世世界の構造』(東京大学出版会、2004)
「川内・耳学問セミナー」次回課題文献。

(1)歴史学研究会と日本史研究会という日本史学界のゴールデン・コンビ(?)が放つ日本史関連講座第4弾。前回の講座から約20年を経て登場した今回の編集方針は

  • 過去と現在と未来を因果関係でつなぐ
  • 近代国民国家の影響をつよく受けている「日本史」という枠組みを相対化する
  • 歴史を総体的に把握するなかで変革の契機をみいだす
  • 方法論を考える

という4点。第2の点以外は新味がないような気もするが、もちろん、新味があればよいというわけではない。

(2)その第4巻は鎌倉、室町という中世社会の諸構造を探る。専門外だし、あまり期待せずに読みはじめたが、

  • 元寇は日本社会の各層に巨大な「恐怖」をうえつけ、そのなかで国家権力の再編と中央集権化が進んだ
  • 仏教の輸入は「日本という辺境の小国とその神々、その神話や歴史、さらに天皇や和語・和歌の世界を、よりグローバルな時空間のなかでとらえかえし、そのなかに再生させる主体的営為でもあった」(180ページ)

といった、知っている人は知っているのかもしれないが、日本史に疎いぼくには刺激的な、ダイナミックな日本史像が展開されている(章もある)。日本史学がおおきく進化してきたことがよくわかる。

(3)必要に迫られ、第3章である柳原敏昭「中世日本の北と南」をちょっとまじめに読む。中世における「日本」の南北境界領域にあたる南九州と北東北を比較し、両者の異同とその原因を探る。氏によれば、両者の共通点は

  • 藤原氏(北東北)や阿多氏(南九州)という支配勢力の権力の基盤は、南西諸島・中国(南九州)あるいは北海道・シベリア(北東北)という「異界」との交易だった

という点にあった。両者の相違点は

  • 藤原氏は「異民族」として、阿多氏は「日本人」として、おのおの認識され、また自己認識した

という点にあった。そして、相違点の原因は

  • 「日本国北方が当時の東アジア世界の最辺境であり、住民をエゾという異民族として位置づけることが国家編成上、不可欠であった」(99ページ)

ことに求められる。これは興味深い着眼点にもとづく所説だが、「日本」というエリアと「東アジア世界」というエリアの論理的な関係はどんなものだった(と想定されている)のだろうか。この章ではこの点が明確になっていないので、いまだ試論にとどまっているという印象を受ける。こんど本人にくわしく聞いてみよう。