『慰安婦と戦場の性』

秦郁彦慰安婦と戦場の性』(新潮社、1999)

(1)おしごとの準備のために再読。「自虐史観」派と「自慰史観」派がはげしく対立した従軍慰安婦論争について、自慰史観派寄りの立場から「慰安婦百科全書」(あとがき)たらんと目指して書かれた書。ときどき自慰史観派的な物言いがちらちらするのには閉口するが、各種の証言や文書史料にもとづいて議論しようとしている点には好感が持てる。

(2)従軍慰安婦論争をはじめとする近年の歴史認識論争を整理する際には、「自虐史観vs.自慰史観」という対立軸だけではなく、「歴史vs.物語」という対立軸を利用しないと、全体像が捉えられない。前者は「日本は悪いことをしたか否か」という問いをめぐる軸であり、後者は「大切なのは史実の存否か否か」という問いをめぐる軸である。4つの象限を代表する論者としては、「自虐・歴史」は吉見義明、「自虐・物語」は上野千鶴子、「自慰・歴史」は秦郁彦、そして「自慰・物語」が坂本多加雄、ということになるだろうか。従軍慰安婦論争が不毛なものになったのは、ひとつには両「物語」派が論争をリードするようになったからだった。これでは事態が水掛け論に陥るのは、火を見るより明らかだろう。

(3)とはいえ、両「歴史」派が史実の存否をめぐって議論を続けていればよかったかというと、そう単純ではない。たとえば、有名な陸軍省副官通牒「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(1938年)という資料がある。全文は

支那事変智に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り、故らに軍部諒解等の名儀を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を招く虞あるもの、或は従軍記者、慰安者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起する虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調を受くるものある等、注意を要するもの少なからざるに就ては、将来是等の募集に当りては、派遣軍に於て統制し、之に任ずる人物の選定を周到適切にし、其実施に当りては、関係地方の憲兵及警察当局との連携を密にし、以て軍の威信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す。

というものだ(吉見義明『従軍慰安婦』、岩波書店岩波新書、1995、35ページ)。これについて、

  • 吉見『従軍慰安婦』は、全文を引用したうえで、とくに

将来是等の募集に当りては、派遣軍に於て統制し、之に任ずる人物の選定を周到適切にし、其実施に当りては、関係地方の憲兵及警察当局との連携を密にし、以て軍の威信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す

という部分を重視してか「陸軍省がみずから慰安婦政策にかかわる事を宣言している」ものと判断する(36ページ)。

慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦を募集するに当り故らに軍部諒解等の名義を利用し…募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調べを受くるもの

という部分だけを引用し、「この通達は、とかく軍が関与したことを立証する公文書として利用されているが、一面では犯人が悪質な経営者やブローカーで、警察は検挙などで取り締っていた事実をも示している」(270-1ページ)と述べる。
つまり、同じ文書が、一方では国家権力による強制連行の存在を証明する資料として、他方では強制連行はなかったことをサポートする資料として、使われている。これは解釈の対立といえるだろう。ともに「物語」派ではなくて「歴史」派であり、歴史学者であり、しかもこの問題の専門家である2人にしてこうなのだから、さてどうすればよいものか。

(4)ただし、解釈の対立は、きちんと議論しあえば、全部とはいわずともそこそこは解決できるだろう。ついでにいえば、相対立する解釈を提示し、そこから何がよみとれるかを考える、というのは、絶好の歴史教育になるだろう、云々。

これでオチになるだろうか…。うーむ、もうちょっと考えることにするか。