『近代経済学史』

杉本栄一『近代経済学史』(岩波書店、2005、初版1953)

(1)戦後直後に刊行された経済学史の教科書の復刻版。第1部では古典派からパレートまで、第2部ではマーシャルからケインズまで、第3部ではマルクス派経済学が、おのおの分析される。なにが悲しゅうて半世紀も前のものを蘇らせたのか(岩波)、なにが悲しゅうてそんなものを買ってしまったのか(自分)、とぶつくさ考えながら読みはじめたところ、これがなかなか面白い。とくに第1部と第2部。

(2)著者は、理論と理論の論理的な関係、理論と経済状況の関係、この2つを重視しながら、経済学の歴史というストーリーをおりあげてゆく。たとえば、しばしば「新古典派は生産から消費に関心を移した」といわれるが、その理由について、この本は

186・70年代の「近代経済学」たる限界効用理論にとって、そのような独立した個人を、社会的生産の過程で具体的に発見することは、もとより不可能であった。そこで限界効用論者は、当然に、その観察の眼を、社会的生産の過程から個人的消費の過程に転じたのである(90ページ)

と説く。うーむ。眼からウロコ。仕事柄、経済学史の教科書にはずいぶん目を通してきたが、きちんとストーリーが出来上がっておらず、したがって読むに耐えないものが、残念ながら多い。この本のストーリーがすべて正しいか否かについては議論の余地があるだろうが、それでも「一冊の本として」読ませるものになっていることは評価されてよい。

(3)ついでに、ぼくはこれまで、古典派から新古典派への移行について、古典派は

  • 需要と供給が一致して経済システムが安定する(市場メカニズム
  • 商品の価格は価値で決まり、価値は労働量で決まる(労働価値説)

という2つのテーゼを立てるが、両者は矛盾するため、この矛盾を解消するべく後者を放棄することによって新古典派が成立する、と説明してきた。しかし、この説明では、

  • なぜこんな矛盾する2つのテーゼを立てたのか

という疑問が残る。この本は、この点について

貨幣を尺度として測った諸商品の価格は、名目価格にすぎないのであって、尺度たる貨幣の価値が変化するにつれ、たえず変化するものである。そのように変化する外在的尺度で測った「自然価格」は、「安定および永続の中心点」とはなりえないであろう。そこにスミスが、「不変の価値尺度」たる労働を導入し、労働を内在的尺度として実践的に測った安定的な「真実の価格」を考え、諸商品の価値のみならず貨幣の価格をも、この共通の内在的な価値尺度で測って、安定的な経済体系を構成しようとした、真の理由があった。スミスの労働価値論は、この意味においては、財と価格との内面的な統一原理であると同時に、安定的な経済体系を実践理論的に構想する手段でもあった(25-6ページ)

と説く。うーむ、そりゃそうだ。そりゃそうなんだが、しかし、どこか疑問が残る。本当にそうなのか? これってちょっと貨幣理論的すぎないか? 貨幣ヴェール説はどうなった? 「真実の価格」なんぞなくとも、経済システムは安定しとるだろうが、とはいえないか? という次第で、疑問は膨らむばかりである。