『学生反乱』

松浦高嶺他『学生反乱』(刀水書房、2005)

(1)1969年に発生した立教大学紛争の記録。紛争の中心である文学部の学部長代理だった松浦さんと、紛争に対応した教員2人の手になるこの本は、教員側だけからみているという限界はあるが、1968年前後の大学紛争の実情を物語る貴重な記録であることに違いはない。

(2)読んでいて感じるのは、圧倒的にまず、紛争に参加した学生たち(「文共闘」)が「教育」の孕むアポリアを理解せず、そのくせわかったようなわからんような言葉や理屈を並べていたということだ。たとえば当時の学内新聞『チャペル・ニュース』には

学生の役割は根本的に現実的基本的矛盾を学問によって根絶することである。学生が親に金銭を出してもらって学校にきていることは原則的には社会に内在する具体的諸矛盾と闘うためだと思う。親は闘っている息子に自分がかつて闘えなかったことをふくめて仕送りをし、逃げてかえってきた息子をかくまわなくてはならない(96頁)

なる学生の声が載っている。第1文はよいとして、でも、そこからどうして第2文以下が導出されるのか。おーい、甘えてんじゃねーぞ、と、半畳の一つも入れたくなる。もっとも、ぼくがこんな印象を持つのは、親にして大学教師だからにちがいない。「存在が意識を規定する」好例だな、これは。

(3)ただし、この本には、ところどころに学生・教員双方のはっとするような意見が載せられている。たとえば、「このたびの問題は秩序破壊の問題ではなく、あくまでも教育の問題として対応してきました」と断言した総長所信表明(71頁)や、他者とどう関わるかという観点から紛争を捉える学生の見解(97-115頁に掲載された座談会における鈴木育三さんの諸発言)などは、まさに一服の清涼剤だったというべけんや。