「因果の果ての物語」

佐藤俊樹「因果の果ての物語」(『社会学史研究』27、2005)

(1)『不平等社会日本』から『桜が創った「日本」』まで、神出鬼没かつなにを書かせても面白い社会学者・佐藤俊樹さんが、歴史社会学に物申す論文。歴史学界の片隅に生息するものとしても、うならされた。こういうものの存在を教えてもらえるので、インターネットはありがたい(ありがとうございます)。とりあえず2点だけ備忘録として書きとめておこう。

(2)まず

百年単位のより長い目でみると、歴史学はもともときわめて広い範囲をごく少ないデータで議論する学であった。それゆえ、きわめて細かい実証と超巨大な理論(例えばマルクス主義の発展段階説)との組み合わせで成り立っていた。個性科学か法則科学かという、ドイツ歴史学派以来の論争は、本当は論争ではない。その特性上、歴史学には個性記述と巨大法則の両方が必要であった。データの大量蓄積は、そういう組み合わせで学を支える必要性を減少させつつある(34頁)

という整理は、うーむ。や、や、やっぱりそうなんだろうか。「データ革命」か…。

(3)そして、さらに追い討ちをかけるがごとき

国史あるいはそれに類似した形で複数の対象を設定しない限り、因果関係は同定できない…。二つの対象間に因果関係が想定できるのなら、それを別々の対象として扱ってはならない…。歴史を因果関係の科学として徹底していくと、最終的にはすべてを一つとしてあつかうしかなくなり、それゆえ因果関係の同定ができなくなる。そこでどんな「因果」を語ろうともそれは論理的に検証不可能なもの、すなわち物語にならざるをえない。「歴史historyとは物語storyである」とよくいわれるが、これは科学的な厳密化の帰結でもある(38頁)

という主張。歴史学のみならず、ほとんど全ての科学にケンカを売ってるんじゃないかと思わせるがごとき、刺激的な発言ではある。うーむ、「因果の果て」か…。本当に「二つの対象間に因果関係が想定できるのなら、それを別々の対象として扱ってはならない」のか、ちょっと考えなければなるまい。