『反社会学の不埒な研究報告』

パオロ・マッツァリーノ『反社会学の不埒な研究報告』(二見書房、2005)

(1)快著にして怪著『反社会学』(イーストプレス、2004)の続編。冗談と皮肉に彩られたまっとうな議論が一段とパワーアップ…といいたいところだが、ちょいとパワーダウンという印象。たとえば、人為的物価上昇による景気回復を主張するリフレ理論について、著者は

リフレ理論は、土地の値段を上げて不良債権をチャラにすることを大前提としています。でもそれをやってしまうと、地価が暴落しても、じっと待ってさえいれば損を取り返せるという目論見にお墨付きを与えてしまいます。懲りない人たちは永久に土地投機をやめず、バブルと崩壊は繰り返されます。それに、これ以上土地の値段が高騰すると、住宅購入予算に占める土地代の割合がさらにアップして、もはや庶民の予算では安普請の欠陥住宅しか購入できなくなるおそれがあるんですけど、リフレ派のみなさんは土地政策にも借家政策にも、まったく関心がないようです(28頁)

という評価を下している。これは、一般物価水準と個別物価水準を混同した、世間でよくみるタイプの議論にすぎない。リフレ派が読んだら、怒るか、それとも呆れるか…。

(2)なぜこうなるのか。ただちに思いつくのは、社会学者たる著者に経済学の知識を求めてはならない、というものだろう。

(3)でも、もうちょっと深読みしてみたい。前作『反社会学』の基本的なスタンスは、冗談と皮肉にあふれた文章を用いつつ、じつはちゃんとした「専門知」を使って、世にはびこる「世間知」を批判する、というものだった。「近頃の若いもんは」ってよく聞きますが、統計とってみると昔のほうが悪かったんですよ、怖いですね、すごいですね、ではさよならさよなら…みたいな感じ。ところが、『研究報告』になると、どういうわけか「世間知」に拠って「専門知」を嗤うという色彩が濃くなる。これじゃ議論の切れ味は悪くなるし、ハズす危険性が高くなるのは当然。

(4)この変化のかげには複雑怪奇にして人知を超えた理由があるのだろうが、ぼくにはわからない。本人じゃないし。でも、残念だなあ、前作『反社会学』をはげしく使いまわしている愛読者としては。

(5)あ、もちろん、たとえばぼくが書く本なんぞに比べれば、ずっと面白いことはたしか。