『自由』

齋藤純一『自由』(岩波書店・思考のフロンティア、2005)
いただきもの。
おすすめ。

(1)卓越した整理能力で「公共性」に関連する所説の見取り図を描きだし、そのうえで、これまた卓越した論理性で自説を提示する、という快挙をやってのけた前著『公共性』(岩波書店、2005)から5年、齋藤さん久々の単著である。今回のお題は「自由」。これだけ個人に自由が認められていながら、どこか不自由を感じざるをえない今日この頃にあって、まさに時宜を得た出版であらふ。

(1)この本では、自由をめぐる現状には様々な「落差」があることから議論を始め、第1部で

  • 自由への脅威としてなにが挙げられてきたかについて、政治思想史をふりかえり、
  • アイザイア・バーリン「2つの自由」論に対する批判を顧みたうえで、

自由とは、人びとが、正当にアクセスしうる自己・他者・社会の資源を用いて、達成・享受するに値すると反省的評価にもとづいて自ら判断する事柄を、他者の作為・不作為によって阻まれることなく達成・享受することができる、ということを意味する(54-5頁)

という定義を導出する。続いて第2部では

  • アイデンティティの可変性を指摘することによって自由が社会的な性格を持つことを論じ、
  • 共約的、非共約的という2つの次元について、自由の擁護の仕方を考えたうえで、
  • 規律、安全、公共性といった現実の諸問題と自由との関係を検討する。

(2)今回も、とにかく齋藤さんの議論整理能力に驚愕。第1部第1章第1節なんて、たった15ページで自由をめぐる政治思想史(ホッブズ、ロック、モンテスキュー、カント、トクヴィル、ミル、ルソー、マルクス新自由主義ハイエクノージックロールズ丸山真男…)を鮮やかにまとめきってしまう。それ以外の議論も説得的で、今日「自由」がはらんでいる諸問題がすとんと腑に落ちてくる。

(3)ただし「アイデンティティの可変性」という論点に限っては、ちょっと首肯しがたい。ぼくはぼくなんだし…って、そういう問題じゃないか。