『市民社会と社会主義』

平田清明市民社会社会主義』(岩波書店、1969)

(1)連載予定「名著再訪・20世紀日本の経済学編」第5回、8月号は、「個体的所有」というキーワードで知られた平田清明市民社会と資本主義』である。大学院生のとき某先生に「個体的所有と個人的所有の違いについてどう考えるか」と問われ、絶句したことをおもいだす。それにしても勉強不足だったなあ…今もそうだけど。

(2) 平田によれば、市民社会とは、自由で平等な個人が、「個体的(インディヴィデュアル)な」財産所有にもとづき、分業や交換などの対等な関係をとりむすぶ場である。そこでは、個人おのおのの自由や平等や財産所有が侵害されるという事態は生じない。ただし、分業と交換はただちに貧富格差をもたらし、市民社会は、資本家が賃金労働者を雇用する関係が優越する「資本家社会」に転化してしまう。この資本家社会では、賃金労働者の自由や平等や財産所有は、まさに自由と平等と財産所有の名のもとに、侵害されてゆく。市民社会と資本家社会の関係をこのように整理したうえで、平田は資本家社会を揚棄するものとして社会主義革命を捉える。そうだとすると、社会主義革命のあとに現出する社会主義社会とは、個体的な財産所有にもとづき、自由で平等な個人が対等な関係をとりむすぶ社会、つまり市民社会の「再建」にほかならない。平田は、かくして、市民社会を包摂する社会主義社会の存在証明に至りつく。

(3)『市民社会社会主義』は、「人間の顔をした社会主義」をスローガンとする「プラハの春」が武力で弾圧され、あるいは日米仏などで学生反乱が勃発するなど、世界各地で市民社会社会主義の関係が問いなおされるなかで刊行された。また、そこで平田は、個人と社会の関係というまさに大問題を、真正面から論じていた。かくして同書は多くの読者を獲得し、平田の所説は大きな影響力を誇ることになる。なお、市民社会派のマルクス経済学者たちは、その後、フランスで構築された「レギュラシオン理論」に接近してゆくが、それはまた別の話。