『自動車の社会的費用』

宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波書店岩波新書、1974)

(1)「名著再訪」9月号は(わかる人しかわからない)「だから原点」ポスターの天使姿がチャーミングだった世界的経済学者・宇沢弘文の問題提起作である。宇沢は、交通事故や大気汚染など自動車を原因とする公害に着目し、自動車がもたらす外部不経済のうち自動車所有者が負担していない部分である「社会的費用」を計測し、彼(女)たちに負担させることによって内部化すれば、公害を抑制できるのではないか、と考えた。
 もちろん、自動車の社会的費用を計算する方法が考案されていなかったわけではない。このうち人命と健康にかかわる被害に関する被害をみると、それは通常、経済的損失の現在価値として計算されている。この方法を「ホフマン方式」と呼ぶ。
 しかし、宇沢によれば、ホフマン方式は「市民的権利」にかかわる損失を考慮に入れていない。それでは、この損失を含め、ただしく社会的費用を測定するには、いかなる計算方法を採用すればよいのだろうか。かくして宇沢は

自動車の運行をこのような市民的権利を侵害しないようにおこなおうとすれば、道路の建設・維持にどのような追加的な費用を必要とし、自動車の無公害化のためにどれだけの投資をしなければならないか……に、現在の道路建設費を加え、自動車通行者が負担している額を差引いたもの」(159〜160頁)

という定義に至りつく。この定義を採用して計算された社会的費用の額は、ホフマン方式にもとづく額の数十倍という、驚くべきものになった。
 このような宇沢の所説は、公共経済学や環境経済学におけるひとつのアプローチを提示しているものとして、今でも傾聴されるべき内容を含んでいる。

(2)ただし、本書の意義はそれだけに留まらない(小島寛之『確率的発想法』日本放送出版協会NHKブックス、2004、参照)。社会的費用を計算するにあたり、宇沢は、存在する(自動車が市民的権利を脅かしている)世界を予件とするのではなく、存在したかもしれない(自動車が市民的権利を脅かしていない)世界を構想して存在する世界と比較するという手続きを採用する。それでは、とるべき経済行動を選択するにあたり、ぼくらは、選択してこなかった経済行動をどう考慮に入れればよいのだろうか。本書の射程は、このような、いわば哲学的な問題にまで届いているのである。