『工業化の歴史的前提』

川北稔『工業化の歴史的前提』(岩波書店、1983)

(1)『経済セミナー』連載「名著再訪・20世紀日本の経済学編」12月は、日本の西洋経済史学界の光景を一変させた川北稔『工業化の歴史的前提』。これが経済史学者ではなく西洋史学者の手になるものであることがなんとなく悔しいのは、経済史学者のはしくれたるぼくのセクト主義のなせる業だろう。ついでに、比較経済史学派の末裔たるぼくとしては、常行敏夫『市民革命前夜のイギリス社会』(岩波書店、1990)の復権を訴えたい…というのは措いておいて、専門分野に近いと書きづらく感じるぼくは小心者です。

(2)経済史学における最大の課題は、長いあいだ、世界で最初の工業化がイギリスで生じた理由を探ることだった。日本を見ると、第二次世界大戦前から1960年代まで経済史学界を支配した比較経済史学派は、マルクス経済学の影響のもとに、工業化のメルクマールを「資本賃労働関係の成立」に求めた。そのうえで、この学派は、独立自営の生産者たる「中産的生産者層」がローカルな商品取引によって富を蓄え、やがて「国民経済」を構築しつつ工業化を実現したと主張した。比較経済史学派のイギリス工業化像のキーワードは、したがって「資本賃労働関係の成立、中産的生産者層、国民経済」である。

(2)この歴史像に対しては当初から様々な批判があったが、それを包括的に批判して新しい歴史像を構築しようとする営みが現れるには1970年代を待たなければならない。そして、この営みの最初にして最大の成果が、1983年に刊行された『工業化の歴史的前提』である。著者の川北稔(1940〜)は日本を代表するイギリス史学者であるが、ウォラーステインの世界システム論の紹介者としても知られている。

(3)川北は経済成長論を受容し、工業化の定義として「経済成長」を採用した。ここから始めて、彼は比較経済史学派のものとはまったく異なるイギリス工業化像を提示した。彼によれば、イギリスにおける16〜17世紀は経済成長の鈍化で特徴づけられるが、その原因は経済システムが人口圧をカバーできなかったからだった。この危機を打開したのは、17世紀後半に植民地の拡大が始まり、西インド諸島をコアとする「重商主義帝国」が成立したことだった。植民地から最大の利益を得たのは地主を中心とする「ジェントルマン」であり、やがて彼らの主導のもとに工業化が始まった。川北が提示したイギリス工業化像のキーワードは、かくして「経済成長、帝国、ジェントルマン」となる。これは、あきらかに、比較経済史学派のものの対極に位置していた。

(4)工業化における帝国の役割を重視する彼の所説は、新従属論の成果をとりいれた、当時としてはユニークなものだった。また、工業化におけるジェントルマンの役割を強調する彼の所説は、イギリスにおける同様の議論たる「ジェントルマン資本主義論」(ケイン他『ジェントルマン資本主義と大英帝国岩波書店、1994、参照)に先駆けるものだった。16〜17世紀のイギリス経済像をめぐって深刻な批判が提示されているとはいえ(常行敏夫『市民革命前夜のイギリス社会』岩波書店、1990、参照)、工業化の歴史を論じる際に本書を避けて通ることはできないだろう。