『道徳の伝達』

松下良平『道徳の伝達』(日本図書センター、2004)
おすすめ…したいが値段(7800円+税)が、ちょっと。

(1)民博連携研究「地域研究における叙述」研究打ち合わせ「隣接分野へのめくばり」(ってなんですか、赤嶺さん?)が名古屋市立大学であったため、名古屋一泊出張。それにしても、楽しいブレーンストーミング(?)であった。というわけで、車内のおともは、学振人社プロの同僚である教育学者・松下さんの大著(ご本人いわく「漬物石」)。

(2)道徳および道徳教育の意義をアプリオリに前提にしがちな近代主義(闘争理論)と、道徳および道徳教育の意義をアプリオリに否定しがちなポスト近代主義(逃走理論)をともに批判し、あるべき&可能な道徳および道徳教育の姿を探る骨太な一冊。ベースになるのはアフォーダンス論(知覚の公共性)とプラグマティズム(プロセスとしての正当化)だが、カバレッジがすさまじく広く、参りました。ついでに「逃走」と「闘争」は掛詞ですよね?

(3)松下さんは、認識の権力性を説くポスト近代主義に対して、アフォーダンス論に拠りつつ

人間が野球のボールや水晶玉を球と見ることは(支配の道具としての)イデオロギーであるといわなければならないのだろうか…。そこにある「排除=隠蔽」について現実にはだれも問題にしようがないそうした認識を、あえて支配や抑圧の道具とみなす必要がどこにあるのだろうか(119頁)

と述べ、イデオロギーを超えた認識は可能であると主張する。そして、その延長線上に、支配や抑圧の要素を含まない道徳の可能性を見出す。ぼくもまったくその通りだと思うが、ただし、ポスト近代主義者だったら「それはイデオロギーであり、したがって支配や抑圧の道具であるとみなさなければならない」というのではないだろうか。

(3)細かい点だが、ぼく自身は(近代主義者なので)松下さん言うところの「客観主義的逃走理論」に最大の親近感を抱くのだが、これに対する松下さんの批判(299〜303頁)がよくわからなかった。というか、十分でないような印象を持ったのだが…二日酔いなのでこれ以上展開できない。