『西洋哲学史・上巻』

熊野純彦『西洋哲学史・上巻』(岩波書店岩波新書、2006)
おすすめ。

(1)岩波新書リニューアル。冒頭を飾る10冊のラインナップのなかでまず指を屈するべきは、西洋哲学の歴史を新書2冊で通観するという無謀(?)な試みにとりくんだこの本だろう。熊野さんといえば、あるセミナーではじめてお会いした(というよりも、一回しかお会いしたことがないのだが、その)とき、あまりの若々しさに大学院生と勘違いし、本人を目の前にして(セミナーの主催者だったので)「熊野さんはまだか」と騒いで周囲に笑われたことをなつかしくおもいだす・・・あれから約10年である。

(2)上巻では、古代哲学と中世哲学が論じられる。頁を繰って驚かされるのは、なによりもまず、とくに古代哲学を対象とする諸章における文体の詩的な性格(リリカリティ?)だろう。哲学と詩作とは、どんな関係にあるのだろうか・・・そういえば、たしか『詩学』の著者は偉大な哲学者でもあった。

(3)歴史学の片隅に生息するものとしては、「はじめに」に記された

哲学史の、たとえば教科書にもとめられるのは、なによりもまず、そうした哲学者たちとその学説、ならびにおたがいの関係にかんする、簡潔な情報でしょう。けれども、皮肉なことに、そうした哲学史の本は、哲学そのものへと読者をみちびき入れるものとはなりにくい。哲学的な思考とは、なにか情報を伝達しようとするものでは、おそらくはないからです。哲学者たちの思考は、それぞれの哲学者にとって出発点となった経験の場面から、世界について、また世界と自分との関係をめぐって、かろうじてことばを紡ぎだし、撚りあわせようとしたものです。そうした思考のみちすじを手みじかなコメントでまとめ上げ、それを歴史的に位置づけるだけでは、哲学的思考の現場へとひとをいざなうことは、むずかしいように思います・・・。この本は、三つのことに気をつけて書かれています。ひとつは、それぞれの哲学者の思想がおそらくはそこから出発した経験のかたちを、現在のわたしたちにも追体験可能なしかたで再構成すること、もうひとつは、ただたんに試行の結果だけをならべるのを避けて、哲学者の思考のすじみちをできるだけ論理的に跡づけること、第三に、個々の哲学者自身のテクストあるいは資料となるテクストを。なるべくきちんと引用しておくこと、です

という文章がひっかかる。うまくいえないのだが、そうだよなあという気もするが、どこか違和感も感じるわたしである・・・いずれにせよ、ここで論じられているのは、どんな文章(文体、構成、その他)を用いれば読者に声が届くか、という問題である。そして「なにか情報を伝達しようとするものでは、おそらくはない」という性格がおそらくは「哲学的な思考」に限定されるものではない以上、これは、あらゆる文章を書くものに対して、そしてとくに哲学史の近接学問領域たる歴史学を生業とするものに対して開かれている問いなのだろう。