『大塚久雄』

石崎津義男『大塚久雄』(みすず書房、2006)

(1)かつて『大塚久雄著作集』を担当した岩波書店の元編集者の手になる大塚の評伝。『著作集』編集中に大塚から聞いたエピソードに基づく。師匠だった本位田祥男から東大出入禁止令を言い渡されるなど、大塚をとりまく人間関係が垣間見えて、個人的にはなかなか面白い。だが、もっとも印象に残ったのは

大塚は大学の講義に集中度を高め、もっぱら学問的レヴェルを落とさないように努めた。ところが学生のほうはきわめて冷淡で、試験を受けるために聴いてはいるけれど「つまんないなあ」という顔をしている学生が、教室のあちこちに目につき始めた。それは話しているほうでも気になった。せっかく授業料を払って勉強しに来ているのに、わからぬ話を聞かせてもしようがない。なんとか出来ないものかと考えた。これは一にかかって自分の話術にあると大塚は思った。彼は幼児のとき謡曲を習ったせいか、身体に似合わず声は大きかったし、言葉もはっきりしていた。問題は話し方に違いない。そこでまず近所の子どもや知り合いの子どもを相手に童話を話したり、いろいろなお話をしてやることを始めた。そうしているうちに、子どもたちのほうから「お話してちょうだい」とやってくるようになった。これは話し方が成功したことだと思った。一つの自信にはなった。その上で今度は落語について研究した。噺し家がいかにして客を引きつけているか、その噺し方を勉強した。こうした努力は大塚の話し方に成果をもたらした。大塚は教室でノートを読むようなことは一切しなかった。メモは持っていったが、それを見ることはほとんどなかった。講義の内容は前日に整理して頭の中に入れた。それから今度はそれを出来るだけ忘れようと努めた。忘れてしまうことはさほど重要ではない、重要なことは頭に残っているはずだと考えたからだ。講義は学生の顔を見てその反応を見ながら話すことにした。わからないような学生が見えれば、その学生がわかるように話した。そしてときどき学生が喜ぶような余談を間に入れた。これは大成功で、聴いている相手を自分の話の中に引き込んでいく結果となった(47-9頁)

という法政大学時代のエピソード(後年は、肺結核のせいで、授業形態はおおきく変わるのだが)。うーん、あの大塚にして、そこまでするか。それにくらべて(以下略)。