『思想としての「共和国」』

レジス・ドゥブレ他『思想としての「共和国」』(みすず書房、2006)
おすすめ(こりゃー面白ーていかんわ)。

(1)有給休暇(全員強制)と夏季特別休暇で、一週間ず〜〜っとお休み。でも、天気がぱっとしないので、あまり有意義な日々にはならない。ドラフト書かなきゃいけないし、娘の相手はせにゃならんし……

さてさてそれは措いておき、リベラル・デモクラシーに対立しうる政治思想たる共和主義の重要性を、今から15年以上も前にいちはやく指摘した人物といえば、それはフランスの思想家レジス・ドブレ(ドゥブレ)である。この『ヌーベル・オプセルバトゥール』紙上に発表された論文「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」をメインに置き、周辺にすぐれたフランス学者にして鋭敏なフランス・ウォッチャーたる三浦信孝や水林章の手になる対談(w./樋口陽一)や小論文をフィーチャーした本が、なぜか今ごろ出版された。

というわけで、本の作りも出版タイミングもなんとなく不思議ではあるが、じつは、これが、フランスに関心がある人もない人も、共和主義なる政治思想に関心がある人もない人も、ついでに、かのチェ・ゲバラの元同士として伝説化されているドブレに関心がある人もない人も、必読の一冊である。

(2)《差異の政治》がさまざまな領域で論点になって久しいが、その際には《国民国家モデルvs.帝国モデル》とか《人種の坩堝モデルvs.サラダ籠モデル》とか、いろいろな表現こそあれ、基本的には《同化モデル》と《寛容モデル》のあいだで対立軸が設定される。そして、どうも前者のほうが評判が悪い。しかし、《寛容》が《無関心》に、《サラダ籠》が《一級市民と二級市民》に、おのおの転化する危険はないのか、本当に。

というわけで、ドブレは、前者のモデルを「共和国」と呼んだうえで、大胆にも(時代錯誤的にも?)それを支持する。《寛容モデル》における《複数コミュニティの並存》と《政治領域に対する経済領域の優位》が論理的にどうつながるかわからない点に不満は残るが、どえりゃー面白ーていかんし、痩せ我慢的でへそ曲がり的なのがじつに良い。いーぞ、いけいけ。

p.s.ちなみに《寛容モデル》における《複数コミュニティの並存》と《政治領域に対する経済領域の優位》の論理的関連については、やはりトクヴィル『アメリカの民主主義』を読みかえすことが必要そうだ。

(3)もうひとつ、圧倒的な快作『ドン・ジュアンの埋葬』(山川出版社)で知られる水林さんは、たしか18世紀フランス文学者だったはずだが、フランスの現状を論じても面白い。たとえば、ライシテ(非宗教性)についての

共和国におけるライシテが解放の原理たりうるのは、「学校」における〈ユマニテ=人文学的教養〉教育が存在するからだということに注意を促したいと思います。ふたつは密接に結びついている(255-6頁)

という指摘なんて、どえりゃーシャープでたまらんわ、こりゃ。