『ウェーバーとマルクス』

カール・レーヴィットウェーバーマルクス』(柴田治三郎他訳、未来社、1966、原著1932)

(1)週末に、かつて娘が通っていた保育所のキャンプに家族3人で参加して以来、全員風邪。台風接近で秋雨前線が活発化するなか、海辺で遊び、さらに夜中まで屋外テラスで飲んでいたのだから、風邪を引きたいといってるようなものである。とにかく、そろそろのど飴にも飽きてきた。おまけに、ドラフトの執筆もちょっと煮詰まってるし……こういうときは古典にかえるのが一番!! で、レーヴィット

(2)ヴェーバーが『プロ倫』で論じた合理化論と、『客観性』で提示した理解アプローチの論理的連関について、レーヴィット

合理化のもっとも普遍的かつ根本的な成果は世界を徹底的に魔術から解放したことであり、ウェーバーが特に「科学」の力をかりて論証したものもこれである。かつて世界に対する人間の関係にまつわっていた魔術は――合理的な表現を用いれば――なんらかの種類の「客観的」意味に対する信仰であった。ところが魔術からの解放とともに、最近ではわれわれのいう客観性とはいかなる「意味」であるかを問う必要が出てきた……。人間によって遂行された合理化の結果、かつて客観的であったものはすべてその客観的な意味を失い、客観性の意味を規定する仕事はいまやあらたに人間の主観性の手に委ねられるにいたったといってもいい……。時代の運命や時代の要求を越えたもの――客観的に存在する価値、意味、妥当性――に対するこのような信仰欠如の積極面は、合理的責任――自分自身に対する個人の純粋な自己責任――の主観性ということである(65-6ページ)

と説明している。おお、頭すっきり……というわけには、さすがにゆかないか、この風邪じゃ。