『教育における自由と国家』

今野健一『教育における自由と国家』(信山社、2006)

(1)教育法学者・憲法学者が、《教育の自由》と《憲法教育》のあるべき関係を求めて、フランス革命後のフランスにおける公教育法制の歴史をたどる書。大作だとは思うが、1万円+税というのは高すぎるんでないかい、信山社

(2)著者である今野さんの所説を強引に要約すると

  • 戦後日本の批判的教育学・教育法学においては、教育に対する国家介入を否定する《教育の自由》と、憲法に規定されている(基本的人権国民主権、平和主義とをはじめとする)基本的な価値の教育たる《憲法教育》は、たがいに整合的に追求しうるものとして、肯定的に評価されてきた(堀尾輝久など)。
  • しかし、フランスの経験をみると、2つの概念は相互に対立してきたことがわかる。
  • そもそも、《憲法教育》は国家介入によってなされるのだから、両者がたがいに整合的であるとは考えにくいはずである。
  • この点を考慮し、近年、日本の教育学・教育法学界でも、どちらかだけを肯定し、他方を部分的に否定する所説が登場しつつある。つまり、国家介入による《憲法教育》を進めるべく、国家の民主化を求める立場(樋口陽一など)と、《教育の自由》を尊重するためには《憲法教育》すら好ましくないと考える立場(西原博史など)である。
  • しかし、これは、どちらも正しくない。前者の立場では復古主義的で国家介入主義的な教育政策に対抗できないだろうし、後者の立場では市場主義的で新自由主義的な教育政策に対抗できないだろう。
  • 《教育の自由》と《憲法教育》は、保護者と教員の協力や、保護者の学校参加といった方策にもとづいて、新しいかたちで結びなおされるべきである。

という感じだろうか。堀尾たち・樋口たち・西原たちの各々の立場に対しては、教育学・法学の素人であるぼくですら、うっすらと違和感を感じてきた。そのよって来るところが明確に指摘されていて、ありがたい。

(3)もちろん教育が抱える諸問題に対する処方箋を《参加》に求めることに対しては、さまざまな批判が予想されるだろう(この本でも、その可能性が指摘されている)。でも、やってみなきゃわかなんないし……って、われながら無責任な。