『現代市民社会論の新地平』

川原彰『現代市民社会論の新地平』(有信堂、2006)

(1)もう15年くらい前になるが、たしか大学院のゼミでのことである。ぼくの(数少ない)師匠のひとりは、だれにいうともなく「やっぱり彼のほうが正しかったのかねえ」とつぶやいた。ここでいう「ぼくの師匠のひとり」とはフランス革命史研究の大家であり、師匠が口にした「彼」とは……内緒でんねん(ゼミに出ていた人はおぼえているかもしれまへんな)。

師匠にこんな言葉を吐かせたきっかけは、ベルリンの壁の崩壊を受けて、フランス史研究のトレンドが劇的に変化している、という話題だった。つまり

  • 「革命は一体である」とのスローガンのもと、革命勃発からジロンド派支配期までと、ジャコバン独裁期を、ともに肯定的に評価する……ソブールなど「正統派」
  • 両者を区別し、前者だけを肯定的に評価する……フュレなど「修正派」

という時期を経て、革命二百周年のころになると、折からの社会主義崩壊を受けて、

  • 両者を(「革命は一体である」というスローガンは使わないが)ともに否定的に評価し、つまりはフランス革命を総体として否定する

というトレンドが登場し、人口に膾炙しはじめていたのである。そして、このトレンドは、フランス革命の知的起源をルソーからプラトンまで遡り、これら思想家を一気に(ついでにフランス革命を経由して、その後継者と目されていたロシア革命まで)断罪するという荒療治すらやってのける勢いだった。まことハイエクチックなトレンドではあったが、日本でも優勢だった「正統派」的なトレンドのなかでフランス革命史研究を進めてきた師匠にとっては、そんなものが流行るという光景はけっしてよろこばしいものではなかったはずだ。

この言葉を耳にしたぼくは、どういうわけか、反射的に思った。


そんなことはない。


そして、それ以後ぼくの研究は、基本的に、この「そんなことはない」という思いによって枠付けられてきた……フランス革命史の専門研究者ではないくせに、われながらずうずうしいというか、いい度胸であるというか、まあそんなところではある。

(2)そんな逸話を思いだしたのは、アレントの政治思想を論じるこの本を読み、そこで見事に整理されているアレントフランス革命評価に(数年前にゼミで『革命について』を購読して以来)再会したからである。つまり、川原さんが明確に指摘している通り

アレントフランス革命解釈のポイントは、フランス革命の人々が超越的な絶対者を設定して「権力」を規定したために、結果的にこの権力が「暴力」の問題と結びついてしまうという点を強調しているのである。その原因をアレントは、「貧困」のような社会問題を革命によって解決しようとしたことに求めている……。アレントによれば、フランス革命は貧困の解決という政治的には解決が困難な問題を背負い込んでしまったために、自由と解放を求めた革命がジャコバン独裁によるテロルによって自壊したという構図になる(112-3ページ)

わけだが、「社会問題」なり「貧困の解決」なりを目的としない政治なんて存在しうるのだろうか。アレントによれば、アメリカ革命がそうだった、というわけだが、それは単に社会問題が存在しなかった(と認識されていた)という初期条件の産物にすぎなかったかもしれないだろうに。暴力と権力を峻別するアレントの問題提起にふかく頷きつつも、しかし思いは強まる。


そんなことはない。