『アンチ・オイディプス』続

(1)『アンチ・オイディプス』における微分法の利用の読み方について、先日頂いたメールの発信者の方から、匿名&部分的であれば紹介してよいとの許可を頂いた。あらためて、ありがとうございます。こういうコメントを頂くと、こんな拙いブログを続けていることにも意義(メリット)があるんだなあ、と感じてしまう今日この頃。

それにしても、ここで論じられているアプローチは、ひろくは歴史学、狭くは思想史・学説史研究の王道を行くものだろう。歴史学界の片隅に生息しているのに、こんな大切なことを忘れていたとは、われながらボケているとしかいいようがない。

ドゥルーズガタリが用いる微分法の比喩は……現代の数学はもちろん、経済学にとっても、何の意味もないただの勝手な比喩の濫用だと言ってしまっていいように思います……。しかし、さらに素人了見を続けさせていただくなら、話はそこでは終わらないのではないかと思われます。ドゥルーズらがいう「微分」を、今日の数学や経済学の特殊な術語(数学的・経済学的にいって正確な理解に即した術語法)として考えるのではなくて、むしろ、ドゥルーズがこの術語を哲学用語として受け取った歴史的(哲学史、あるいはフランス講壇哲学の歴史に関わる、といった程度の意味での)脈絡を調べてみるべきではないか、と思います。つまり、ドゥルーズらの著作も、いったんは特定の時代の特定の状況のなかで特定の脈絡をもって書かれた歴史的なものとして、位置づけてみる必要があるのではないかということです。 


哲学における微分法の歴史といえば、ヨーロッパの大陸哲学に限っていうなら、ライプニッツが嚆矢だとされていますが、むしろここでは、一時代を画すほどに流行しながらもすぐに衰退してしまった新カント派運動に注目するのがよいのではないか、と思われます。


とりわけ、ヘルマン・コーヘンは、『微分法の原理とその歴史』および『カントの経験理論』(とりわけその第二版)で、はっきりと微分法を認識批判の原理として改鋳しようとしていました。コーヘンの問題意識を要約すると……、ひとつには、「この世界で可能になっている経験は、すべて現象だ。しかし、だからといって、現象としての世界が空虚な幻想だということにはならない。現象としての世界には、それ固有のリアリティがあるはずだし、実際わたしたちは日々そのリアリティのなかを生きているではないか。では、そのリアリティは、経験主義にも形而上学にも訴えないとしたら、人間の認識能力のメカニズムのなかで、どのように根拠づけることができるだろうか」、というようなものだったと思います。もちろん、カントの洞察のさらなる展開として、です。まさにこのような、現象としての事象(ことがら一般)のリアリティを、コーヘンは微分法をモデルにして定式化しようとしていました。その際に、コーヘンは、ドゥルーズが好んで言及するザロモン・マイモンの先駆性を称揚してもいます。


ドゥルーズが何の脈絡もなしにザロモン・マイモンの著作そのものに出会ったとは考えにくいので、微分法の比喩とザロモン・マイモンへの言及は、ドゥルーズがコーヘンの著作に何らかの形で親しんでいたことを示していると考えるのがよいと思われます。つまり、コーヘンの認識論が微分法をモデルにして認識の対象一般(経験されうるこの世界の事象一般)のリアリティを根拠づけようとしていたのを踏襲して、ドゥルーズガタリは、微分法をモデルにして(というよりは「ダシ」にして)、彼らの分析対象に固有な、何らかのリアリティを、何とか表現しようとしていたのではないか、と思われます。これがあまりにも勝手な術語法だったために、いや、もう少し穏当かつ哲学史的に正確を期していうなら、今日では「終わった」というような扱いを受けているコーヘン流の発想法に連なっていたせいで、コーヘンらの新カント派運動の伝統から切れてしまっている今日の読者にとっては「訳が分からない」という印象しか残さない、という不幸な結果になっているのではないでしょうか。


コーヘンの『微分法の原理……』における数学史の理解や、数学的モチーフの認識論的な意味づけは、ズーアカンプ版や著作集版の解説によれば、数学史的・数学的にはほとんど間違っているとのことです。このような点もドゥルーズガタリの文章に対する評価に一致してくるように思われますが、実際、フレーゲラッセルがコーヘンに対する批判を発表しています。しかし、コーヘンの間違いを訂正しながら、コーヘンの「認識論の対象のリアリティを根拠づけよう」というモチーフを引受けるような仕事が、たとえば彼の高弟であったカッシーラーによって継続されていました(『認識問題』『実体概念と関数概念』、また相対性理論の研究など)。ドゥルーズが自己形成をしたフランス哲学のなかでも、たとえばレオン・ブランシュヴィックなどは、新カント派運動に棹さしながら、数学の哲学(いわゆる「数理哲学」)を探究していましたし、ジュール・ヴュイユマンなどは、『カントの遺産とコペルニクス的革命――フィヒテ・コーヘン・ハイデガー』などという著作によって、ハイデガー主義の流行のなかにあってさえ、コーヘンの業績を不当に軽視しない態度をはっきりと見せています……。


彼らがそのような術語法を用いた(あるいは「振り回した」)という「事実」を、「できるだけ合理的に」「理解」しようとするなら、現在では忘却されて顧みられることの少ない新カント派運動と、そこに発する講壇哲学のある種の伝統を調べてみて、そのなかで自己形成した(つまり術語法を学び、それに慣れ親しみ、我がものとした)はずのドゥルーズを、無批判に称揚するのでもなければ切って捨てるのでもなく、哲学史上の一対象として位置づけてみるのがよいのではないか、と思った次第です……。ドゥルーズの一見めちゃくちゃな術語法の来歴を、オーソドックスな哲学史的脈絡(とりわけドイツに発する新カント派運動とその展開・衰退)のなかでとらえ直すこと、これは十分に可能なことだと思われます