更新停止のお知らせ

2005年5月10日にネタ帖を公開しはじめ、まもなくちょうど3年になります。ちなみに最初の文章を書いたのは、日本西洋史学会と高校教員インタビューのために神戸に一週間強滞在している最中のことでした。初夏のような暑く快晴の日々だったこともあってか、滞在最終日の早朝に尿管結石になって瀕死の(誇張)状態で神戸市民病院の救急部にとびこんだことをなつかしく(?)思い出します…というのは措いておき、そんなわけで切りが良いので、今回をもって更新を停止します。それに伴い、既存の文章の公開は続けますが、コメントやトラックバックの受付は停止します。


■「良い区切り」というのは、単に、ネタ帖開始から満3年ということだけではありません。■もうちょい具体的にいうと、『岩波講座・哲学』所収予定「言語論的転回以降の歴史学」の執筆は、すでに最終ドラフトを送付済。よほどのことがない限り、あとは刊行待ちで、イエーイ(死語)。■『どうしてぼくらは投票に行かなきゃならないんですか、または合理的選択論の憂鬱』(当然仮題)の執筆は、つい先日ドラフトを完成して送付完了。あとは担当編集者さんの判断待ちですが、本人としては「It's over now」の心境で、これもイエーイ(死語)。■某月刊誌連続特集「批判的転回以後のフランス歴史学」の企画&翻訳は、ラインナップや執筆依頼をはじめとする企画も、フランス側論文の翻訳も、とりあえずオッケー。一部論文の版権の問題……こらぁArmand Colin、まじめにやれ〜っ……はありますが、先日、同誌編集長さんから8月開始という連絡を受け、これまたイエーイ(死語)。■これでどうにかホームグラウンド、つまり近代フランス社会経済史研究にもどる準備ができました。


■考えてみると、ここ10年ばかり、ホームグラウンドではほとんどしごとをしてきませんでした。まぁ「能力不足のなせる業」といわれればそれまでですが、それでも、一応いくつか理由はあります。■1995年に博士論文を刊行したあと、次のしごとのメインテーマについて準備リサーチを数年間続けていたのですが、2000年にフランスに在外研究に行ったところ、そのテーマをあつかった博士論文がちょうど刊行されたことを知りました……愕然。諸君っ、こういう失敗はしないよう、日ごろから十分な情報収集に努めたまえ(空元気)。当然ながら新しいメインテーマを探さなければならなくなりましたが、そんな簡単にみつかるわけがありません。■おまけに、この在外研究中に体調を崩し、帰国後しばらくはまともなしごとになりませんでした。■そのうちに体調は戻りましたが、今度は、娘が小さかったり、科研費に5年連続落選……涙目……したりして、フランスでリサーチすることが難しい時期が続きました。しかし、事情はわかるが、2002年秋から2007年春までフランスを遠ざかっていたというのは、これはフランス史研究者としてはいかがなものかね、きみ。■そんななかでテクストブックや啓蒙書の執筆オファーが舞込むようになり、執筆に忙しかった、ということもあります。もっともこれは、ホームグラウンドのしごとがすすめられないぼくにとっては、じつにありがたい話でした。■かくのごとくして、この10年は、まさに「自分のサバイバルの方策を考え、どうにか対応してきた」時期でした。奇妙な言い方かもしれませんが、このネタ帖も、これら方策のひとつだったわけです。


■ところが、ようやくここのところ事情がかわりはじめました。つまり、娘もだいぶ大きくなり、体調は問題なくなり、次のメインテーマらしきものを思いつき……という感じです。「おいおい、アイディアひとつおもいつくのに10年かよ」といわれると、返す言葉がありませんが、まぁ事実なので仕方がありません。■そのテーマで今年の科研費に応募したところ、ようやく……苦節6年……あたり、今後3年間は年に数週間ずつフランスでリサーチできるようになりました。かつては「科研費は使い勝手がわるいから、あってもなくてもかわらない」と豪語していた=うそぶいていたものですが、時代はかわるものです。■2000年にレンヌでリサーチをともにしたフランスの友人たちがそろそろ大学教員職を得る時期になり、彼らがいろいろと便宜を図ってくれるようになりました。■かくして、ぼくもホームグラウンド以外のしごとは基本的にお断りするように心がけることになり、このたび、どうにか債務完済状態にこぎつけたという次第です。


これまで拙文をお読みいただいた皆さま、どれだけいらっしゃるかは(アクセスログやページビューをとっていないので)わかりませんが、ありがとうございました。しばらくは地道で地味ぃな実証研究にはげむ所存ですが、いずれ、また、ぜひ。