【3/27】復興の音が、かすかに聞こえる。

震災から2週間。ようやく重い腰を上げ、被害がひどい沿岸部の状況をみてきた。被災地にいるヘタレ人文系インテリとしては、せめて現場を自分の目でみて、次の世代に語り伝えることが義務だと考えたからである(もう一つ用事があったが、こちらは企業秘密)。自転車で2時間半、サドルにすわりつづけたケツが痛い。
地図をみていただければわかるとおり、仙台市沿岸部には、海岸線から大体3キロはなれたところに、海岸線と並行して「仙台東部道路」という自動車道がはしっている。この道路は、新幹線みたいな橋ゲタではなく、土を盛った土手のうえの高架になっている。今回は、この東部道路が最後の防波堤になった。そのため、東部道路の東(沿岸部)と西(内陸部)で、まったく光景が違う。西は「普通の大地震のあと」であり、東は「津波のあと」である。


以下、細かい地名が続く。
自宅から仙台市中心部を通り、河原町から六郷地区にむかう。各地で、ガソリンをもとめる車の長ーーーーーい列。数時間待ちだろうが、日曜日だから、今日しかないということか。
六郷地区から井戸浜地区(沿岸部)に向かう。途中、東六郷地区で仙台南部道路をくぐるのだが、ここにチェックポイントがあり、警察が検問をしている。ここから先は、一般人は立入禁止。ぼくは超法規的措置・・・は冗談で、諸事情(詳しくは企業秘密)を話し、身分証明書を提示してクリア。ちょっとこわれた家とか、傾いたブロック塀とか、普通の「地震後」の光景が続く。
しかし、さらに東部道路の下をくぐると、光景が一変する。一面、ガレキ以外はほぼ何もない。木が全部なぎ倒され、一部は家につっこんでいる。電柱もすべてなぎ倒されている。なかには、途中で折れ、さらになぎ倒されたものもある。
言葉を失いつつ井戸浜地区に入ると、いくつか残った民家があり、住民の皆さんが片づけをしている。


タフだ。


自警団がパトロールをしている。空き巣や窃盗があるからだ。道路は通れる。自衛隊がガレキを全部横にどけてくれたからだ。ただし、一部ではアスファルトが剥げていて、被害のすごさを物語っている。よくみると、民間の重機ががれきの片づけを続けている。自衛隊が住民の皆さんの手伝いをしている。
井戸浜から北上し、荒浜地区(同じく沿岸部)に向かう。壊滅的な打撃を受けたという報道は、それほど誇張ではない。残っているのは、2階建ての老人施設の建物と、3階建ての荒浜小学校と、いくつかの民家だけだ。こっちの方がひどい気がする。それでも、住民の人々が乗った車とすれ違う。生活を立て直そうとしてるんだろう。


タフだ。


沿岸部は、現在でも、自衛隊や民間重機オペレーターなど、プロの世界である。素人ボランティアが参加する余地はない。


荒浜の交差点から西に向かい、荒井地区で仙台東部道路を再度こえる。ここにも警察のチェックポイントがあり、東六郷と同様に、ここより東は一般人は立入禁止である。ふたたび普通の「地震後」の光景が広がる。自宅の片づけをする人々。


タフだ。


仙台市水道局の車が走り回っている。この地域では、水道復旧作業が佳境に入っているんだろう。
そのまま進むと七郷中学校がある。ここは指定避難所で、荒浜地区の皆さんが避難している。ところが避難場所である体育館が相次ぐ余震で使用不可となり、今日、別の避難所に移動することになった。学校の横に仙台市営バスがとまり、市の職員さんが避難した皆さんを誘導している。正門に「報道関係者立入禁止」の張紙がある。よほどヒドイ報道を経験したんだろう。報道関係者のバカモノどもが。
被災したみなさんやプロのタフさに、こっちの方が元気をもらいながら、さらに西に向かう。国道4号線バイパスをこえると、かなり「日常」感覚が強くなる。若林区中央市民センターでは、災害ボランティア(仙台市在住者限定)の受付をしている。リュックをしょった若者たちが並んでいる。近頃の若いもん、バカにできない。


井戸浜も荒浜も、言葉を失うほどの状況ではある。しかし、人々は黙々と復興に励んでいる。民間重機オペや自衛隊が、最低限の「健康で文化的な生活」を保証しようとして活動している。他の町のことはわからない(申訳なく思う)が、こと仙台では、先は長いかもしれないし、震災前とは違う街の姿になるかもしれないが、人々のタフさをみるにつけても、

復興の音が、かすかに聞こえる。この音を消してはならない。