【3/30】続・避難所というアポリア

・・・と、思わせぶりな伏線を張っておいて、松下良平さんから貴重なコメントを頂いたわけだが、そのご事態はどう進行したか?
校長先生は、三連休(3/18-20)は先生方を休ませたい、ということで、17日(木)に避難所を閉鎖する意向を固めた。そして、15日(火)夜に避難者さん全員集会を開き、意向を伝えた。当然ながら避難者さんの一部は反発し、一触即発状態となった。さて、どうしたものか?
この時点で避難所にいた約50人のうち、数日中に退所できそうなのは約30人であり、問題は残り20人弱である。
もちろん、この20人弱の避難者さんも「この」避難所に固執しているわけではない。しかし、帰る場所がないゆえ「どこかの」避難所が紹介されることは、閉鎖を飲むための必要条件である。したがって、別の避難所を紹介できれば、いいかえれば「避難所の集約」が可能であれば、

  • 避難所として使用する教室を減らす。
  • そのうえで、周辺で同様に避難者さんが減少している避難所をさがし、徐々にそこと集約統合する。

というのが、学校と避難者さん双方のコンセンサスを得うるという意味で、正しい解である。
そんなわけで、校長先生は市教育委員会に電話し、集約の可能性を探った。ありていに言えば、集約は、避難所に詰めなければならない市職員さんの数も減らせるし、先生方(の母数が増えるので、個々)の負担も減るので、リソースの点からみても最適な解である。
ところが、である。市教育委員会の担当者の答えは「集約は基本的に考えられません」の一点張り。校長先生が先生方のギリギリの状態を訴えても、人数が減って集約可能になってきたことを報告しても、帰ってくるのは「指定避難所なんですから、避難者さんが滞在したいというかぎりは運営を続けてください」という、そりゃたしかに正論ではあるが、しかしまさにマニュアル化されたとしかいいようがないセリフばかりだった。わが娘の小学校の校長先生はわりとタフな方だが、この時はさすがに、片手に受話器を持ち、片手で頭を抱えていた。
そんなわけで、わが娘の小学校の避難所は17日以降も存続することになった。たった20人弱の避難者さんに対して市職員が24時間はりついて避難者さんの出入の受付をするという、経済学者だったら人的資源の浪費として激怒し、行政学者だったら典型的なお役所仕事と揶揄するだろう現象が、しばらく続くことになったわけである。おまけに施設管理者たる校長先生と教頭先生が交代で泊まるという、やがて哀しき現象も継続されることになり、あまりにナンなのでPTAや学生ボラが夜はカバーする(前述)という体制になったのだった。
かくして残らざるをえなかった避難者さんは厄介者視されはじめ、そのことを敏感に感じとった彼らは校長先生や教頭先生に食ってかかるようになるという「lose-lose」現象が散見されるようになった。
なぜ現場に一任しないのか。「集約」であれば双方のコンセンサスは得られ、「win-win」(懐かしい言葉だ)関係が成立したかもしれないのに・・・17日はすでに指揮命令系統が復旧しはじめた「戦後」であり、現場一任で「暴走」するには、ちょっと遅すぎたのかもしれないが。