【4/4】コドモの力

【追記】
「こんな状態では、ついったもメールもソーシャルメディアもへったくれもない。ちなみに一番つながったのは、当然ながら公衆電話である」と書いたが、NTTドコモの記者会見では、宮城県では、ケータイは電話が90パーセントの発信規制、メール・ついったなどパケット通信は30パーセントの発信規制だったそうなので、謹んで「公衆電話>パケット通信>ケータイ電話」と修正したい。ついった・メール・ソーシャルメディアくん、すまん。
【本題】
あれは、震災翌日のことだったと思う。朝イチで職場に行って研究室の「本のカーペット」を見学し、すぐにドアを閉めて「(み)なかったこと」にし、現実逃避も兼ねて娘の小学校の避難所にゆき、受付を手伝っていたら、目を泣きはらしたハイティーンの女の子が「ここは避難所ですか?」といってやって来た。一緒に受付をしていた先生とともに事情を聞くと、わりと近くにある調理師学校の生徒さんで、ふだんは塩釜市の自宅から通っているとのこと。学校で授業中に震災にあったわけだ。震災当日の夜をどうすごしたのかは聞き忘れたが、この小学校が指定避難所だということをだれかに聞き、まさにひとりで「たどり着いた」んだろう。
しかし、塩釜といえば沿岸部・・・公共交通機関(メインはJR仙石線)は全面ストップだし、電話は発信規制がかかっててつながらないし、ラジオでは「沿岸部は被害甚大」というニュースがくりかえされてる。そんなわけで、自宅には戻れないし、家族の安否は確認できないしで、彼女が動転するのは当然である。まずはとりあえず、疲れ果てているだろうから、避難場である教室に入って一息ついてもらう。
しばらくすると、校庭に、何度もケータイで家族と連絡をとろうとする彼女の姿がある。しかし、震災翌日の発信規制はスサマジく、だれが何回どうやってもぜんぜんかからない(こんな状態では、ついったもメールもソーシャルメディアもへったくれもない。ちなみに一番つながったのは、当然ながら公衆電話である)のだから、彼女の努力も実らなかった。またも目に涙がたまってくるのがみえる。そりゃそうだ。家族のことは心配だろうし、そもそもこの避難所に彼女の知合いはだれもいないのである。
さて、困った。
うーむ、と唸っていると、受付の先生が「そうだ、児童館にゆきましょう」という。児童館は校舎内にあり、畳敷きのため、乳幼児を連れた家族用の避難室となっていた。「大丈夫、大丈夫」と(根拠なき)慰めの言葉をかけながら、児童館につれてゆく。児童館には(かつてうちの娘もお世話になった)児童館職員さんがいたので、事情を話すと「そうかあ、大変だったね。それじゃ、悪いけどコドモたちの相手のお手伝いをお願いしたいんだ。いい?」。先生も、児童館職員さんも、さすがプロ。まずは気を紛らわせることの重要性を、ちゃんと理解していた。
しばらくたってから見にいったら、笑顔で小さなコドモたちの相手をしている彼女の姿があった。まさに「コドモの力」である。問題が根本的に解決したわけではないけれど、泣いてるよりは笑顔でいるほうが、百倍もいい。
その後彼女がどうしたか、ドタバタしていたぼくにはわからない。無事に家族と再会できていたら嬉しいのだが。