【4/6】カテゴリー化の罠(自戒を込めて)

『ウォールストリートジャーナル日本版』で関本英太郎さんが「震災ドキュメント」を連載している。東北大学職員組合・・・最近幽霊組合員化しつつあるワタシ・・・でご一緒したことも多い関本さんは、かなり気合の入ったメディア・思想系の研究者である。
読んでみると、同じ職場とは思えない苦労話(ぼくがいる川内キャンパスはマシ、関本さんがいる青葉山キャンパスは悲惨)と、同じ仙台市北部に自宅があるとは思えない苦労話(ぼくが住んでる北西部は地盤が固いためかマシ、関本さんが住んでる北部はナゼか悲惨)がてんこ盛りで、まったくもって申訳ない限りである・・・今度からちゃんと組合費払いますから、許してください許してください。


その連載のなかに「民間企業のきめ細かさに感心」という文章がある。大略すると

  • 仙台市の給水サービスは、マニュアルなしでボランティアに任せるというヒドさ。
  • それに対して、近くの大手スーパーは「お客が第一」の親切さ。
  • 結論は「役所と民間の違いか。今回の地震。こんな落差を感じさせられる経験を何度もしている。民間にできることは民間にまかせようとは思わない。就業時間、待遇などで我慢を強いられる例をいくつも見ているからだ。しかし、当事者意識の面からみれば、民間の対応が優れていることは否めない」。

である。


さて、ホントにこの結論でオッケーなのだろうか?


とりあえず、ぼくの避難所お手伝い=受付係経験からいうと、

  • 避難所には、ちゃんと毎日仙台市職員がキチンと交替で24時間つめていた。しかも、きいたら「つめてる時間以外は、本務をしてます」。
  • わが家の近くのコンビニは、震災翌日から、ドアを閉めたまま開店するか否かまったくわからない状態となり、それでも開店の可能性に賭ける人々が、ドアの前で行列をつくっていた。
  • 結論は「役所に全部をまかせようとは思わない。避難所運営をめぐる校長先生の苦労、おそるべき市教委の規則第一主義=思考停止状態!!、の例を見ているからだ。しかし、当事者意識の面からみれば、役所の対応が優れていることは否めない」。

となる。おお、関本さんの結論と正反対ではないか!!


「虫の目」アプローチは、いうまでもなく大切である。現場でなければわからないことは山ほどあるからだ。ぼくも、これまで、「恵まれている」とはいえ一応は被災地・仙台にいるという特権をいかして、いろいろと偉そうなノーガキを垂れてきた。
ただし、「虫の目」アプローチは、できれば「鳥の目」アプローチをもちいて、そうでなければ別の「虫の目」アプローチをもちいて、相対化されなければならない。そうしないと「カテゴリー化(あるいは、過度の一般化とでもよぶべきか)の罠」が待っているからだ。
関本さんの結論は明らかに一面的であり、この罠に陥っている。もちろん、上述したぼくの結論も明らかに一面的であり、同じ罠に陥っている(じつは、このコンビニだって、震災当日は、ひきつづく余震のなか、店員さんたちは割れたビンを片付けつつ営業を続けてくださったのである。そのことを知ったうえで、なおも「役所の対応が優れていることは否めない」と言いきるとすれば、それはどう考えたってゴーマンである)。
むしろ

「民間か、役所か」の対立軸ではなく「気がきくか、気がきかないか」の対立軸で考えるべきではないか?

これもまた「カテゴリー化の罠」に陥る危険を重々承知しつつ、避難所の受付で「今晩はここに泊まるとして、明日は休みですか?」というぼくの無邪気な質問に「役所で本務をします」と答えた市職員さんの顔を思い浮かべると、こっちのカテゴリーの方がマシだと感じるのは、ひとりぼくだけだろうか。