【4/29】耳を傾けるということ

震災から四九日がすぎた。今日から連休ということで、被災地域に入ってくるボランティア諸氏も増えることだろう。それは、皮肉抜きでありがたく、また大切なことである、などと思いつつ、わが大学に設置予定の「ボランティア支援室」の室長をおしつけられ・・・じゃなくて拝命されそうな雲行きのなかで、職場に来て不良債務(ちなみに最大の不良債務は、締切が5月半ばなのに一行も書いてない科学研究費最終成果報告書だが、さてどうなるか)の返済にいそしむ連休初日である。


さて、一昨日、天皇夫妻が宮城県の被災地(具体的には南三陸町仙台市)にお見舞いに来た。
ぼくは天皇制というシステムそのものには反対である。
それでも、被災者さんたちに耳を傾ける夫妻の姿には、ホントに感服した。とにかく耳を傾ける、なにがなんでも耳を傾ける、四の五のいわずに耳を傾ける、というスタンス、それは言うは易く行うは難い類いのものである。自分の話を聞いてもらえることで、心身ともに救われた被災者さんがどれほどいたことかという点に想いをはせると、夫妻の被災地訪問はまこと有意義なものだったと評価せざるをえない。
しかし、なぜ&いかにして、夫妻は、この「耳を傾けるスタンス」を身に付けたのだろうか。もしかすると、それは「象徴」という名のもとに、あらゆる意味でパッシブな存在を義務づけられた、戦後の天皇制の産物なのかもしれない(=根拠レスな単なる思い付き)。
被災地そっちのけで政争に明け暮れようとしている政治家諸氏の醜態や、ネットで垣間見られる一部(とりわけいわゆる文系)知識人諸氏の「耳を傾け《ろ》スタンス」をみるにつけ、そんなことをつらつら考える桜吹雪最終版の仙台である。