モンペリエ滞在32日目

9月23日(金)
昨日は、20時から、モンペリエ旧市街のはずれにあるバーDeboteeで「われはいかに津波の被害を逃れしか」(ウソ)なるスピーチをする。日仏人あわせて30人ぐらい集まっていただろうか、震災から六ヶ月たって、今でもはるか異国の地モンペリエで「記憶」している諸氏がいることは、「歴史」と「記憶」の関係の重要性を物語って余りある・・・などとえらそうに歴史屋らしいことを書いてみたが、とにもかくにも、これはじつに有難いことである。主催者(Asociation Solidarite Japon 34、ASJ34)と会場を貸してくれたバーのパトロン・エマニュエル(たぶん)に「サンクス」。
スピーチの内容はそのうちASJ34のサイトに載ると思うが、教育関係の雑誌の記者の方も来ていたので、そのうち記事になるかもしれない・・・ワクワク。
すこし遅れて始まり、一時間ぐらいしゃべり、質疑応答を30分ぐらいやり、22時すぎにいったん解散。
その後、残りたい人は残って、飲みながら駄話。ちなみにぼくは、この場で「ようやく」山本妙子さんに会えたのが収穫だった。山本さんは深沢克己さんのお弟子さんで、現在モンペリエ第3大学の博士候補生。名前だけは以前から聞き及んでいて、モンペリエで仕事をする前に、ADHの現状やモンペリエ第3大学近現代史部門の状況(まえはレイモン・ユアール[Raymond Huard]やジュヌヴィエヴ・ガヴィニョ[Genevieve Gavignaud]がいて、なんとなく状況がつかめていたのだが、近年世代交代が進んで、よくわからんのだった)について聞きたかったのだが、アーカイヴァル・ワークが終わってから会うことになるとは・・・ちょっと遅いが、会えなかったよりは良し。いずれいろいろと話を聞きたいものである(いつ?)。


そんなこんなで、バーをあとにしたのは午前1時すぎ、宿に戻って寝て、どうにか8時すぎに目を覚ます。一瞬逡巡したが、フランスの鉄則「可能な限り早めに行動せよ」を思い出し、どうにか9時前にADHについて今日も落穂ひろい。結局、合計で2箱みつけてチェックすることができた。最後の箱を返しつつ、今日のカウンターの担当のサンパなマドモワゼルに「これはder du der(最後の日の最後の箱)」と宣言して終わり!!
さて、あとは帰国の準備。ノートPCを2つかかえた旅となるので、肩こり必須。捨てられるものは全部捨ててくぞ。