お蔵出し

去年の8月末だったろうか、『読売新聞』(仮称)からコラム執筆を頼まれた。一人の人物の言葉をテーマに3回連載するというものである。とっさに今が旬(当時)の「レイチェル・カーソンを取上げたいっ」と思ったが、一ヶ月ほどリサーチに出かける直前だったので「9月末に帰国したら考えます」と返事し、フランスはモンペリエに出かけた。帰国してさっそく作文し、いそいそと担当編集者さんに送った・・・ら、なんと!! そのコラム欄は9月で終わっていた。がっくし(さよなら印税生活)。


結論:運命の女神は、しょせん、うしろハゲである。


せっかくなので、ここにお蔵出ししておくか。

■第1回「正確な判断を下すには、事実を十分知らなければならない」(レイチェル・カーソン沈黙の春』、1962年)
 福島第一原発の事故が発生したとき、カーソンの代表作『沈黙の春』が念頭にうかんだのは、独りぼくだけではなかったはずだ。
 かたやDDTをはじめとする農薬、かたや放射性物質という違いこそあれ、人類が発達させてきた科学技術の産物が人類を含めた自然を破壊するという構図は、半世紀前にいちはやくカーソンが指摘し批判したものだからである。
 ただし、カーソンは単に科学技術を批判し自然に帰るべきことを説いたわけではない。彼女は生物学修士号をもった科学者であり、農薬の害を指摘・批判する際も、冷静な「科学者の目」を忘れなかった。
 そして、『沈黙の春』で彼女が訴えたのは、なによりもまず事実を知ることの重要性だった。
 広範囲の低線量被ばくという現象に直面するぼくらにとっても、事態はかわらない。科学の力を借りて事実を知り、そのうえで可能な限り的確な判断を試みることが求められている。


■第2回「すべてこの世にあるものは、最後には海へ・・・帰ってゆく」(レイチェル・カーソン『われらをめぐる海』、1951年)
 東日本大震災仙台市の内陸部で経験したとき、これほどの被害が生じるとは予想だにしなかった。あの大津波は、大規模な地震に慣れているこの地域の住民たるぼくにとっても、まさに「想定外」の事態だったからである。
 停電と、被災生活のドタバタと、現実直視に対する忌避感のゆえに、津波の画面を目にするには相当の時間を必要とした。静かにおしよせる黒い水は、本当に「母なる海」の産物だったのだろうか。
 震災から三週間ほどたち、ようやく仙台市沿岸部をまわる機会があった。眼前に広がる光景は、想像を絶するものだった。しかし、過酷な状況のなかにあってなお、ガレキを片付け、のこされた自宅を掃除し、懸命に生活を立てなおそうとする人々が、そこにはたしかに存在した。
 たしかに、ぼくらもまた海へ帰ってゆくのだろう。ただし、問題は「いかに」帰ってゆくかにある。そのことを忘れてはならない。


■第3回「世界中の子どもに、生涯消えることのないセンス・オブ・ワンダーを」(レイチェル・カーソンセンス・オブ・ワンダー』、1965年)
 春の東日本大震災から、いまだ収束しない福島第一原発の事故を経て、秋の巨大台風にいたるまで、二〇一一年は人類と自然の関係について想いを巡らさざるをえない一年となった。
 とりわけ、未来をになう存在である子どもたちの心身の健康については、深い関心が寄せられている。地震津波のトラウマや、放射性物質の影響をめぐって、マスコミや世間話やインターネット上で様々な議論がなされていることは、周知の事実だろう。
 それでは、ぼくらは子どもたちになにを遺せるのか。カーソンによれば、それは、なによりもまず「センス・オブ・ワンダー」つまりワクワクできる感性である。
 人類は、自然に働きかけ、また自然から働きかけられるなかで生活しているし、また生活せざるをえない。
 子どもたちが、自然の力を畏れ、人類の力を信じ、未知なる未来にワクワクしながらみずからの将来を切りひらく力を身につけることを、心から期待したい。