博多が熱い/暑い

この週末は、松井康浩さん(九大、ロシア・ソ連史)に呼ばれて、セミナーでトークをするために博多(福岡)に行ってきた。お題は、立石洋子(北大スラ研ポスドク、ロシア・ソ連史)『国民国家歴史学』(学術刊行会、2011)の書評。ソ連歴史学史を論じた大著の書評のお鉢がぼくになぜ回ってきたのか、かな〜り謎ではあるが、著者本人もいらっしゃるということだし、楽しい議論ができそうなので引き受けたという次第。昨日午後のセミナーは、高田和夫さんや上垣彰さんをはじめ、みんなで好き放題言いあう大放談会3時間一本勝負となった(著者がいるというのに・・・)。
ちなみに一泊したせいでけっこう余裕があったので、空いてる時間はあちこち街を歩きまわったが、博多は元気である。福岡市博物館(常設展の目玉「漢委奴国王金印」はさすがのオーラだったが、特別展「悲劇の皇妃エリザベート」は・・・まあねえ、なんというか、うーむ)も、BonRepasも、九大西新プラザも、太宰府天満宮も、どこもかしこも活気があって熱かった。今日の午後は、薬院から天神、川端、住吉、博多駅、さらに祇園と徘徊したが、日の光が強く、暑かった(脚韻ふんでます)。


まぁせっかくなので、土曜日のセミナーで読んだペーパーを貼り付けておこう。

立石洋子『国民統合と歴史学』(学術出版会、2011)

小田中直樹
2012年5月26日at 九州大学


【1】

 本書は、ロシア革命からスターリン期にかけてのソ連における歴史学(歴史研究、歴史教育)を対象とし、「国民史」をキーワードにもちいて、国民統合政策と歴史学の相互作用のあり方を検討したものである。
 国民国家の成立・構築にあたっては、歴史学が重要な役割を果たしてきた。「国民」は「そこにある」ものではなく「つくられる」ものであるが、この「国民」概念の形成に不可欠な「起源」神話は、なによりもまず歴史学によって供給されうるものだからである。また、かくして確立された「国民」概念は、今度は、政策担当者や一般国民のみならず、当の歴史学者歴史認識をも拘束し、「国民国家」の枠組みに沿った歴史叙述すなわち「国民史」がほぼオートマティックに生産されることになる。こういった点は、とりわけ、いちはやく&比較的順調に国民国家成立がすすんだ欧米各国について、日本でもすでに着目され、明らかにされてきた(1)  本書もまた、このような研究潮流に棹差している。
 もっとも、ソ連史には、他の欧米諸国史にはない特徴がある。ソ連階級闘争史観や反帝国主義を掲げた「社会主義」国家として、そしてそれ以前に存在したロシア帝国をはじめとする諸国家を否定する「革命」を経て成立したことである(本書pp.15, 288-9)。すなわち同国では、「国民」概念が形成されるにあたって、階級闘争を担う「労働者・農民」および帝国主義に抗する「諸民族」にプラスの価値を与えるという制約条件が課されていた。また、ソ連の「歴史」の起源はロシア革命に求められるものではないことを想起すればすぐに理解しうるとおり、革命以前すなわち「ロシア帝国」の歴史をいかに評価すればよいかという難問に付きまとわれていた。同国の「国民史」は、これら「労働者・農民」・「諸民族」・「国民」をはじめとする複数の範疇が複雑に絡みあうなかで、また、いわばソ連前史の評価という課題に直面しつつ、つむぎだされなければならなかった(p.290)。このような対象を選択し、分析したことが、本書のオリジナリティをなしている。
 まず本書の内容を要約しておきたい。革命後初期の歴史学階級闘争史観と反帝国主義に忠実であり、ロシア帝国の歴史を批判的に評価した。しかしながら、1920年代から30年代になると、内戦・農業集団化による飢饉・工業化による犯罪増加などの社会的混乱が相次ぎ、また世界革命が困難であることが認識されるとともにドイツに「スラブ人」を仮想敵とするナチス政権が成立すると、ソ連でも「国民国家」確立のための国民統合が必要であることが認識されるようになった(p.16)。政策担当者や歴史学者は、この課題に応えるべく、プロレタリア国際主義と矛盾しない「ソヴィエト愛国主義」(p.76)を経由して、反革命階級消滅論と「諸民族の友好」論(p.142)すなわち階級闘争史観と反帝国主義を維持しつつ「祖国(=諸民族の友好の中心)」としてのロシアを全肯定する条件が整ったと主張することにより、ソヴィエト国民(=ロシア民族)史を採用する方向にむかった(pp.97, 99)。その代表的な産物が、諸民族を統合したという点でロシア帝国を肯定的に評価する初等教育用歴史教科書『ソ連邦史小教程』(1937)である。さらに第二次世界大戦後になると、東西冷戦の開始を背景として、国民統合がさらに重視されることになり、「民族主義」と「コスモポリタニズム」は「ブルジョワ帝国主義イデオロギー」として否定されるべき存在となった(p.264)。


【2】

 以上の背景と内容を持つ本書のメリットは、非マルクス主義歴史学者たちが積極的に活動していたことや、ロシア帝国による非ロシア諸民族の統治をめぐって歴史学者のあいだに対立があったこと(p.208)といったファクトファインディングのほか、以下の2点に集約できる。
 第1に、国民国家形成と、その背景にあり、またその手段ともなった国民史形成が複雑なものだったことを十全に描きだしたことである。近代欧米史や近代日本史の研究領域においては、国民国家形成が順調に進んだり(前者)至上命題だったり(後者)したことを背景として、国民史の成立もまた順調に進み、また、むしろそのことが弊害をもたらしたことが強調される傾向にある。(2) しかしながら国民統合すなわち「国民」という範疇を人工的に創出するという営為は、人工的であるがゆえに、そもそも恣意的であり、矛盾をはらみ、困難なものである。史的唯物論階級闘争史観の対立に悩み、ロシア支配下の他民族地域における経済発展をいかに評価するべきかで論争を展開したソ連歴史学者たちの姿は、そのことをあらためて教えてくれる。
 第2に、国民国家形成・国民統合・国民史形成をめぐるさまざまな論点について、日本との比較を可能にすることである。たとえば、明治維新後の日本では、国民統合と植民地獲得が同時並行的に進んだことを背景として、日本国民の「範囲」をめぐる議論がすすめられた。(3) これは本書で論じられているソ連の経験とパラレルである。また両国は、ロシア革命明治維新という歴史上の「断絶」を経験し、その評価に苦しんだ点で共通している。(4) 日本とソ連はかなり違った歴史をもつようにみえるが、両者を比較することによって異同を確定することは実り多い営為かもしれないと思わされる。


【3】

 しかしながら(ソ連史の素人からして)本書に疑問・批判がないわけではない。とりあえず3点を指摘しておきたい。
 第1に、歴史研究と歴史教育の相違が十分に重視されていないことである。もちろん両者の違いの認識はされている(p.294)し、具体的な言及もあるが (5)、それは、国民意識の形成という観点に集約されている感がある。しかしながら、歴史教育には、それ以上に、歴史研究と異なる機能がある。それは、子どもの「人格形成」という教育の基本的な役割の一端を担っているということである。それゆえ、歴史教育を分析対象とするのであれば、なによりもまず、本書で取扱われるさまざまな歴史教育論が、いかなる人格を形成しようとしていたのかを検討する必要があるだろう。(6) 「社会主義的人間の創出」というユートピア的な目的を掲げていたらしいソ連を舞台とするのであれば、なおさらのことである。(7)
 第2に、諸範疇概念の可変性の如何や存否が視野に入っていないことである。このうち「国民」概念の変容可能性は論じられているが(p.14)、それ以外の「階級」や「民族」といった範疇が、政策担当者や歴史学者の各々からいかなる意味を与えられ、時間がたつにつれていかに変化したかは、本書からは読取れない。しかしながら、これら概念とてデファクトに与えられてよいものではないことはいうまでもないだろう。諸々の概念が変容しながら絡みあうさまを描き出すことは、たしかに大変な作業ではあるだろうが、分析のダイナミズムをおおきく向上させるはずである。
 第3に、国民史像の変化とソ連社会の変容との対応関係が論じられていないことである。このことは、本書で国民史像を受容する側である一般の国民の「反応」が論じられていないことと関わっている(ので、この点は「ないものねだり」といえるかもしれない)。本書では、国民史像の変化の要因は、事実上すべて「対外関係」にもとめられている(pp.287-8)。しかしながら革命直後からスターリン死去までの数十年間において、ソ連社会は大きく変化したし、その変化は国民史像の成立・確立・変容に影響し、また影響されたはずである。本書で描き出された国民史像をめぐるさまざまな営みをソ連史の総体のなかに位置づけるとき、ソ連史叙述はどのように変化するのだろうか。

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【註】
(1)フランス歴史学を対象としたすぐれた研究として、渡辺和行『近代フランスの歴史学と歴史家』(ミネルヴァ書房、2009)がある。
(2)その典型が、『国境の越え方』(平凡社、2001)をはじめとする西川長夫の一連の著作に代表される、いわゆる「国民国家」論である。
(3)小熊英二単一民族神話の起源』(新曜社、1995)、同『日本人の境界』(新曜社、1998)などを参照。
(4)この「評価」の対象は、ソ連についてはロシア帝国の進歩的性格の如何(pp.35, 105)であり、日本については明治政府の性格である。いうまでもなく、後者をめぐる論争が日本資本主義論争である。
(5)たとえば、本書によれば、1923年、ルナチャルスキーは、歴史教育においては帝国主義批判すなわち民族史の重視よりも国際主義すなわち民族史教育批判のほうが重要だと指摘している(p.43)。
(6)この点については、戦後日本の社会科教育の歴史をたどることが示唆的である。
(7)もっとも歴史研究と歴史教育は、シームレスに論じられる傾向があるようにみえる。たとえば、成田龍一『近現代日本史と歴史学』(中央公論新社、2012)は、歴史研究の成果は、一定のタイムラグをもってではあるが、いずれは歴史教育の現場に届けられるという仮定に立っている。