二宮宏之さんの(チョー数少ない)思い出

入梅して回顧モードだからか、木曜日の飲み会のダメージがいまだ尾を引いているせいか、昔話は続くのであった。
二宮宏之さんといえば、今のぼくにとっては、なによりもまず「フランス絶対王政の統治構造」(吉岡昭彦他『近代国家形成の諸問題』木鐸社、1979)の著者としてあるが、大学院に入ったころ(1986)は、まさに仰ぎ見る存在だった。また、当時は「フランス国制史研究会」という、フランス史を研究する大御所から若手が一堂に会する研究会があったが、その主宰者としても令名をはせていた。
そんな二宮さんであるが、はじめて遠くから姿を拝見したのは、あれは日本西洋史学会かなんかの機会だったろうか。そのファーストコンタクトの瞬間、ぼくは

敬して遠ざけるべし

と感じたのだった。論理というよりは感覚のなせる業であり、われながらスゴイ論理の飛躍ではある。事実、そのあと、二宮さんとのおつきあいは、言葉を交わす機会を二・三度えるだけにとどまった。
なぜか。
二宮さんが、じつに(人格的にも、学問的にも)魅力的だったからである。魅力的なアカデミカーは人を惹きつけるが、惹きつけられた人は、往々にして、彼(女)がもつ「磁場」から脱出できなくなってしまう。それは、「こちらが考えていることが吸収されてしまう」のではなく「彼(彼女)が考えていることを、自分のものと勘違いしてしまう」ということである。
もちろん能力がある人は、やがて、彼(女)をのりこえてゆくことだろう。しかし、端的にいって、それには大変な労力を要するし、当時のぼくにはそんな自信はなかった。ぼくは、二宮さんにそんな「魅力=危険」をみたがゆえに、敬して遠ざけることにしたのである。
かくのごときぼくのスタンスは、二宮さんも感じていたらしい。数年前に京都で二宮夫人(もまたフランス近世史の研究者である)を交えて飲む機会があったが、そんな話をされた記憶がある・・・酔っぱらっていたぼくの記憶が正しければ、だが。
いま思えばもったいない話であり、ぼくの研究能力を向上させるためには、もっと二宮さんの謦咳に接するべきだったのかもしれない。しかし、ぼくは、じぶんの選択は間違いではなかったと思っている。たとえばあのときフランス国制史研究会に参加していたら、今のぼくは単なる二宮さんのエピゴーネンとなっていたことだろう。それでは、あまりにも寂しすぎる。
「敬して遠ざける」というのは、別の言い方をすれば「私淑する」になる。考えてみれば、この四半世紀、ぼくは二宮さんに私淑していたわけだ。それもまた、研究者間のつきあい方として「あり」なのだろう。