『書斎の窓』9月号を読む。

【追記の追記】
ブックマークで元・労働研究者(?)稲葉振一郎くんが「すべり芸って難しいよね」と書いていたが、まことそのとおり。
個人的な意見としては、この手の罵倒芸を巧みにこなすには、すくなくとも、「自虐的センス」とでもいうか、自分の弱みをみせて笑いをとることの必要性に思いが至るだけの感性と知性が不可欠だと思う。
ちなみに、ぼくは最近のお笑いにまったく関心がわかないのだが、それは、多くの芸人さんがこの自虐的センスを失い、相方をはじめとする他者を攻撃することによって笑いをとろうとする「さもしい」芸に頼っているからである。
それから、擬古体を使うのも難しい。どうしてもその人の教養が出てしまうからなあ、これが。
ちなみに、擬古体の使い方が抜群にうまいのは、若手では『神さまのカルテ』(小学館)シリーズで人気の夏川草介氏ではなかろうか。娘が好きなので、新刊が出るたびに速攻で買っては取りあいながら読んでいるが、夏目漱石とか読みこんでるんだろうなあ、この小説家兼医師。超多忙だろうに大したもんだわ、まったく。げにいずこより読書の時間をひねりだしておられるのでせうか(擬古体のつもり)。
【追記】
ちなみに、ぼくはどうか、というと、

  • 文体がどうかはどうでもよいことで、昭和軽薄体(古っ)であれ擬古体であれ、要するに読めればよいのであって、しょせんは趣味の問題にすぎないと思っている。
  • 書名については、サンデル先生の何番か煎じ(失礼!!)という感じでダサいと思うが、「正義」の具体的な内容については人それぞれなので、ま、どうでもよいことだと思っている。
  • 「倫理」を「エトス」と訳すと、地下の大塚久雄先生が怒り狂うと思うが、それは措いておいて、倫理も情もひとによって選択が異なる価値観の問題にすぎないと思っている。

問題は、まさに労働法の存在理由、換言すれば労働契約・労働市場が一般の契約・市場と異なる独自の性格を備えているか否かをめぐる評価にある。嶋崎さんはこの問いに「イエス」と答え、その点で、ぼくもその末席を汚している古典芸能的戦後社会科学の徒か、あるいはアンラッキーなロスジェネ世代に近い。これに対して、大内さんは「ノー」と答え、前二者の狭間に位置するヤンエグでトラバーユなバブル世代(全部死語)に近い。ま、そんな感じ。
ちなみに、この問いに答えるのは、まずは、労働市場の特殊性如何を理論レベルから分析する労働経済学者のしごとである。
ところが、だ。
いわゆる「労働研究者」はそれなりにいるのに対して、主流派経済学=「近経」(「きんけー」と読むべし)を理論的ベースとする労働経済学(labor economics)の専門家は、最近あまりみない気がする。石川経夫さんの夭折が尾を引いているとか、「レイバーなんて泥臭い領域やっても、ねえ」という評価が人口に膾炙しているとか、色々と耳にはするが、やるべきこと/やれることはたくさんあると思う・・・んだが、これは素人の浅知恵にして近視眼の産物なのだろうか。
ついでに、雇用関係が非対称的なものになる理由というのは、そういえばマルクスの問題関心のひとつなのだった。
まあしかし、書評だけ読んで作文しても、あんまり生産的じゃないよな。古文書の世界に戻るとするか。


【本論】
上の写真のとおり、今日も良い天気だ。ここは勤務先のキャンパスのちょうど中心にある三叉路だが、書斎ならぬ研究室にこもって古文書三昧の一日をおくるのは、惜しい。
書斎といえば、『書斎の窓』という有斐閣の月刊PR誌がある。毎月送ってくださるので、教授会のときなどにパラパラめくっている。昨日ようやく9月号を手にとり、ごくごく一部で噂になっている嶋橋右近「書評:大内伸哉『労働の正義を考えよう』」を読んで、ぶっとび。「あの『書斎の窓』が!!」とぶっとび、おもわず「書斎の窓」から投げだしそうになった(ウソ)。ぼくの研究室は5階にあるので、ホントに投げだしたら迷惑だったろうなあ。
しかして、なにしろ、擬古体で綴られたその内容たるや

  • 口語体を使用しているが、その「格調のあまりの低さ」は「読者への露骨な迎合」のゆえか。
  • 「正義」を書名に掲げるも「正義」の議論はなく、その「軟弱な思考」にとって書名は羊頭狗肉である。
  • 著者には「倫理(エトス)」も「情(パトス)」もない。
  • これでは「著者を、労働法研究者と称すことは、先学に対して失礼千万であろう」。

である(カギカッコはすべて引用)。ウーム、なんだこりゃ?
もっとも、評者の最大の不満は、大内さんが労働法の領域に「自由」・「自律」という概念を安易にもちこみすぎ、労働法そのものの存在理由を否定している(ようにみえる)ことに向けられている。たしかに、理論的には対等であるはずの労働者(雇用者)と企業(雇用主)のあいだで結ばれる雇用契約は、現実には圧倒的に前者に不利な非対等的で非対称的な雇用関係に帰結するのであり、このゆがみを是正するために労働法があるのだから、評者の懸念はもっともかもしれない(専門家じゃないから推測)。
Cf.なお「労働法の存在理由」については、労働法学の領域で議論がなされてきたやに仄聞している。
また、雇用関係が非対称的なものになる理由については、歴史的なアプローチとしては森建資(『雇用関係の生成』木鐸社、1988)の所説があるし、理論的なアプローチとしては(ぼくは詳しくないが、おそらく)情報経済学やゲーム理論をもちいて分析することが可能だろう。
ぼくは本書を読んでいないので偉そうなことはいえないが、もしも本書が評者が言うような類のものであれば、「まだまだなすべきことは多い」といわざるをえまい。
ちなみに、評者について検索してみたのだが、「嶋橋右近」なる名前はほとんどヒットしない。肩書きは「労働研究家」だし、これはペンネームだろうか? 2ちゃん方面では「炎上マーケティング」という噂まで出ているらしいが、いやはや。

伝統と格式を誇る『書斎の窓』空前絶後(?)の書評にワクワクドキドキしてきた諸君、さあ、いますぐ書店へ走って9月号(タダ)をゲットせよ!!