ピーター・バーク&山下達郎

ぼくは一応研究者のはしくれであり、リサーチの成果を論文や本というかたちで発表することを生業としている。そのうえで、最近の出版不況を考えると本当に幸運なことに、本を出す機会に恵まれてきたし、現在も(そして願わくば将来も)恵まれている。そんなぼくにとって、メディアとしての本の未来は、自分のリサーチの発表機会の大小に直接かかわる、きわめて重要な問題である。しかし、マスコミの報道をみると、ペーパーベースの本という形態は近い将来電子書籍にとってかわられる可能性が大きいし、そもそも出版不況でメディアとしての本そのものの将来に「?」マークが付されている。さて、どうしたものか。
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そんななか、去る日曜日に、文化史研究の第一人者であるピーター・バーク(ケンブリッジ大学)が「情報過疎と情報過密」と題するセミナーを東洋大学でおこなったので、参加してきた。第一部が長谷川貴彦くんによる紹介とバークのトーク、第二部が討論、合計四時間という長丁場である。ホントは最後まで参加しようと思っていたのだが、若干の体調不良・・・正確には「二日酔い」・・・さらに正確には「前日昼から当日午前中まで(途中ちゃんと寝たが)伊豆は網代で続いた絶賛大飲酒大会のダメージ」により、前半だけで失礼せざるをえなかった。
バークのトークは、ダメージ激しいぼくの理解が正しければ、中世から近世に至る時期において、情報量のイメージが「過疎」から「過密」へと変化したことを鮮やかに跡付けたもので、じつに面白かった。
そのうえで、彼がトークのなかで紹介した現在における「情報過密」のすさまじさには、頭をかかえてしまった。もちろんそこにはウェブの成立と電子化の進歩が関与しているわけだが、この情報大洪水のなかで本を出すことの意義はあるのだろうか/あるとすればどこにあるのだろうか/情報過剰現象にどう対応するべきだろうか・・・仙台に戻る新幹線のなか、半分夢うつつのまま、そんなことを考えていた。
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仙台に戻り、依然としてダメージをかかえつつ電子版『朝日新聞』をチェックしていたら、山下達郎のインタビューが載っていた。10月6日付け付録「be」に掲載されていたらしいのだが、最近ペーパー版の『朝日新聞』をあまりマジメに読まない(=ベガルタ仙台の記事がちゃんと掲載される地元紙『河北新報』の方を優先している)ので、見落としていたらしい。
このインタビュー記事は

「これがガラパゴス!」
曲中でそう叫ぶと、おもむろにギターを置き、スタンドマイクから離れてステージの後方へ。肉声でシャウトし、ホールの最後列まで歌声を響かせる。ライブではおなじみの光景だ。

という文章で始まる。たしかに、ぼくが聞いた仙台でのコンサート(2012年初)でも、同様のシーンがあった。そして、このセリフに、時代に背を向けたものの矜持をみてとりつつ、自虐と居直りの入りまじった雰囲気をかすかに感じとり、若干の違和感を覚えた記憶がある。
しかし、さすが山下達郎、そんな後ろ向きの甘いスタンスではないのである。

「生活手段としての音楽を冷徹に考え、ライブに先祖返りしようと決めた。今まではCDが音楽文化の中心で、ライブはその販促活動みたいなところがあった。でも、これから先は、ライブのためのCDになる」

そこまで先を見据えているのか!! まいりました。
ちなみにこれをぼくの立場に置きかえて考えてみると

トークのための本(出版)」

ということになるだろうか・・・「本」と、そして「トーク」とのつきあい方をまじめに考えなきゃなあ、と考えさせられた、秋本番の週末である。