『思想としての「大塚史学」』

【4/27追記】
これ(==>)は、職場にある桜並木。この近くが絶好のお花見スポットになるわけだが、今年も学部ゼミの花見は寒さにふるえながらの2時間一本勝負となった。
なお、下記文章については、稲葉振一郎くんから「それじゃあ中野敏男さんのところに行ってしまうと思う」というコメントをもらったが、それが中野敏男さんのところに行ってしまわないのがス・テ・キなんだわさ。そんなわけで一回恒木さんの話を聞いてみたいなあ。
ちなみに25日と26日は、麹町のJSPSにつめて、科学研究費審査報告書の検証作業。検証するぞ、検証するぞ、検証するぞ……と唱えつつ、なれぬデスクワークで疲労困憊しつつ学界の不条理に思いをめぐらす(なんじゃそりゃ?)二日間となった。ちなみにJSPSのとなりにはシブいオープンカフェがあり、一泊した26日朝はモーニングコーヒーとしゃれこんだが、となりにヘビースモーカーの若いサラリーマンが来てまってん。ぼくはタバコは(自分ではすわないものの)それほど嫌いじゃないが、「嫌煙ファシズムの時代、クライアントに嫌われるぞ、それじゃ」と余計な心配をした、初夏のような都心の朝であった。
【本題】
なんだかわからんが多忙である。民間企業でいえばこんなのは「普通、いや普通以下」なのかもしれないが、自覚症状としては多忙である。
そんななか、雪見と花見が同時に出来る!!、という信じられない週末をすごしつつ、恒木健太郎『思想としての「大塚史学」』(新泉社、2013)を読了。ぼくの師匠の師匠の師匠にあたる経済史学者・大塚久雄のテクストをしっかりと読みこみ、その意義と限界をえぐりだした快著である。
大塚については、ぼくも前に−−『大塚久雄』というタイトルにしたいと頼んだが、人知を超えた理由で『日本の個人主義』なる意味不明なものになってしまった新書のなかで−−書いたことがあるが、この本はけた違いに充実している。大塚のアーギュメントにおける「生産力」と「生産倫理」の関係しかり、彼の「ユダヤ人」評価がはらむ危険性しかり、彼に与えた「二重構造」論のインパクトの評価しかり……いちいち「うむ、うむ」と感心しながら読んだのだった。これは、著者の視野の広さのなす業だろうか。
ちなみに『図書新聞』から書評の依頼が来たが、自分でも制御不能な日常となりつつある+αの理由で断ってしまったのは、ヒミツだ。