働けど働けど、わがまちは梅雨が明けざる。じっと手をみる。

もう8月だというのに、しとしと霧雨が降りつづく日々が続いているのは、こはいかに。まったくもって、洗濯したものが乾かなくて着られる服がなくなりつつあるので、そろそろいい加減にしてほしい。ついでに気温が低く、風邪気味になってしまったではないか、おいこら。
そんなわけで、ちょっと東京外国語大学に避寒に出かけてきた……というのはもちろんウソで、金井光太朗さんが研究代表者を務める科研セミナー「地域研究に基づく世界史教育の実践的研究 」に呼ばれ、件の『新世界史』執筆の裏話……じゃなくて苦労話……じゃなくて経験談を語ってきた、という次第である。
風邪気味で頭と口が(普段以上に)まわらず、参加者諸氏にはたいへん失礼だったとは思うが、共著者にして史上最強の「ヨーロッパ中世」部分を執筆した……といえば聞こえは良いが、正確には、最新の研究成果にもとづく全面書換えという暴挙!!、を敢行した……千葉敏之さんがいたので、言いたい放題の2時間半となった。
ま、立秋前に夏が来ることを祈って、とりあえずドラフトを張り付けておこう。

歴史研究者は歴史教育に(いかに)貢献しうるか?
――高校世界史B教科書執筆の経験から――


小田中直樹(2013年7月31日、TUFS、世界史科研)



目次


1.『新世界史』基本データ
2.「ヨーロッパ近代」(第14章・第15章)を叙述するという経験
3.「いま、ここにある」世界史教科書から、はるか「あるべき」教育をのぞむ


1.『新世界史』基本データ


 2014年から使用開始となる高校世界史B教科書『新世界史』(山川出版社)の執筆に参加した。同書の執筆者は、ぼく(ヨーロッパ近代)のほか、岸本美緒(東アジア、東南アジア)、羽田正(南アジア、西アジア)、久保文明(アメリカ、オセアニア、現代全て)、南川高志(ヨーロッパ古代)、千葉敏之(ヨーロッパ中世)、勝田俊輔(ヨーロッパ近世)の諸氏である。


 本書の特徴は、次の3点である。
 第一に、『新世界史』の完全改訂版である、すなわち執筆者がほぼ一新された、ということである。なお、ここで「ほぼ」というのは、そもそもは旧版の執筆者2人(近藤和彦、高山博)が継続執筆する予定だったが、諸般の事情で中途で辞退したため、南川・千葉・勝田・小田中の4人が参加することになり、いわば予期せざる結果として執筆者が一新されたからである。
 第二に、分量が四百字詰で約1200枚(註込みか否かは未確認)と多いことである。これは『詳説世界史』の900枚(註込み)に比すると、少なくとも1.3倍強、おそらくは約1.5倍であり、現行教科書では最多なのではないかと推測される。
 第三に、日本最高水準を目指したことである。すなわち、ぼくは参加していないのだが、当初の執筆者会議で「日本最高水準」を目指すことが決定された(らしい)。これは、オーソドックスな『詳説世界史』に対置される必要があったからである。もっとも、日本最高水準の具体的な内容については、具体的かつ厳密な定義はされなかった。ただし、なんとなく「なにをどこまで書いてもよい……」という雰囲気と、現時点における歴史学界の到達水準を(諸制約のもとで)可能なかぎり反映するという意思は、共有されていたように感じられる。


2.「ヨーロッパ近代」(第14章・第15章)を叙述するという経験


 ぼくは、主に「ヨーロッパ近代」に関する部分を担当したが、この時代の認識・理解・叙述にかかわる枠組については、以下の2つの理由から、さほどの新機軸は提示しなかったor提示できなかった。
 第一に、消極的な理由であるが、上記の執筆経過を反映して、担当部分の大体の分量や構成については、あらかじめ(当初執筆予定だった近藤さんによって)与えられていた。そして、スケジュールがタイトだった&東日本大震災で悪戦苦闘したため、それらを大幅に見直すことは物理的に困難だった。
 第二に、積極的な理由であるが、ヨーロッパ近代の把握枠組については、歴史研究において大きな地殻変動はおこっていないと考えた。すなわち
【大西洋革命の時代==>技術革新・国民国家形成==>ナショナリズム自由主義の実現==>近代】
という枠組については、今日の歴史学界においても基本的に広く受容されていると判断した。


 それゆえ担当部分については、全体的なストーリーとして

(1)メイン・ストーリー
進んだアジアに対するキャッチアップとしてのイギリス産業革命
==>イギリスに対するキャッチアップとしてのフランス革命
==>「ナショナリズム自由主義vs.勢力均衡・正統主義」の時代としての
==>ウィーン体制
==>1830年・1848年を画期とする前二者の優位=近代の確立
==>英仏の優位
==>英仏に対するキャッチアップとしての独伊統一運動・ロシア大改革など
==>第二次産業革命
==>帝国主義の時代への移行=近代の終了


(2)サブ・ストーリー
イギリスの財政的圧迫に対するアメリカ植民地の不満
==>USA独立
==>環大西洋革命:フランスの財政難とフランス革命
         自由主義思想のヨーロッパ還流
         南北アメリカにおけるフランス革命インパク

というものを設定した。


 もっとも、ヨーロッパ近代史研究において、新たな論点・把握枠組・アーギュメントが提示されてこなかったというわけではない。担当部分では、それらについては、おもなものをコラムで論じることにした。コラムで論じたものの例としては、産業革命・市民革命におけるグローバルな連鎖の重要性を強調する「環大西洋革命論」(ロバート・パーマー、ジャック・ゴドショ)、「産業革命とはなんだったか」を論じてきた産業革命論争とりわけエネルギー革命論(エドワード・リグリー)、幻想の共同体としての国民国家形成の意義と独自性を強調する国民国家論(ベネディクト・アンダーソン)、植民地主義の「文化的な」側面を重視する「文明化の使命」論(杉本淑彦)などがある。また、取り上げることができなかったものとしては、たとえば日常生活をはじめとする社会史研究の成果がある。
 なお、これら新しい論点を枠組としてもちいて、ヨーロッパ近代の叙述の全面的な刷新を試みることも不可能ではないだろう。
 たとえば、ローカルな日常生活史の視点を中軸においてみると、どうだろうか。おそらく「小文字の政治・経済・社会」すなわち当時の民衆が暮らしていた日常生活空間の特徴と変貌を描き、ついでその延長線上に「大文字の政治・経済・社会」のありかたを捉える、ということになるだろう。
 あるいは、グローバル・ヒストリーの成果を全面的に取入れ、「世界のなかの一アクターとしてのヨーロッパ、非ヨーロッパとヨーロッパの相互影響関係」という観点を貫徹すると、どうだろうか。おそらく、環大西洋革命論の延長線上にストーリーを組立て、また「産業革命の帰結としての帝国主義」という論理(バーナード・センメル社会帝国主義論、ギャラハー&ロビンソン自由貿易帝国主義論、ケイン&ホプキンス・ジェントルマン資本主義論)に沿って、USA独立によるイギリス帝国の構造変動(大西洋からインド洋へ)、ナポレオンの大陸封鎖と「海の帝国イギリスと陸の帝国フランスの対立」、ウィーン体制による大陸内部の安定と(その反動としての)各国の植民地進出(東方問題、アフリカ、アジア)、モンロー主義奴隷制廃止運動などに代表される国際関係の変化などが重視されることになるだろう。
 これら枠組のポテンシャルは十分理解したうえで、担当部分では、ぼくの諸リソースの不足から、それらを採用するには至らなかった。


 そのようなわけで、担当部分では「ストーリーを前面に出す」ことで他との差別化を図ることにした。それは、このように全体を構成しようとする場合、機軸の新しさや水準の高さを「枠組」の次元においてうちだすことは困難になるからである。
 いうまでもなく「ストーリー」には様々な種類があるが、ストーリーがストーリーたるためには、諸事象がなんらかの論理にもとづいて連接されていなければならない。ここで用いられるべき(用いられうる)論理としてはさまざまなものがありうる。
 担当部分では、この論理として「因果関係」を採用し、極力因果関係にもとづくストーリーを構築することを心掛けた。それは、因果関係にもとづいて諸事象を連接することによって構築された叙述は理解が容易であると考えたからである。
 ちなみに既存の教科書では、個々の事象を時系列的(ディアクロニク)あるいは同時代的(シンクロニク)に配置することによってストーリーを構築することが多い。しかしながら、時系列的にせよ同時代的にせよ、事象を単に並列しただけでは、それらのあいだの関係を読取ることは困難である(とはいわないまでも、容易ではない)。そして、関係を読取れないストーリーは、ストーリーではない。
 これに対して担当部分では、因果関係にもとづいて主要なストーリー(メイン・ストーリー、サブ・ストーリー)を構築し、これまた因果関係を重視して諸事象をストーリーの内外に配置する、という方策を採用した。担当部分では、これら通説をさらに縮減して「ナショナリズム自由主義」と「勢力均衡、正統主義」を対置させるというかたちにし、前者を「近代(近代化)」のメルクマールとして採用した。この点が、あえていえば、ぼくの新機軸ということになる。


 もっとも、因果関係にもとづく叙述は「わかりやすい」が「歴史における複雑性をアプリオリに縮減することにつながりやすい」という点で、じつは諸刃の剣である。
 歴史における諸事象の関係は、それがなんらかの論理によって接合されている場合にあっても、きわめて複雑なものである。因果関係を例にとっても、事象間の因果関係が単線的なものであることは珍しく、複数の原因が複数の結果に至ることのほうが多いだろう。しかしながら、複数の原因と複数の結果の関係を叙述することは技術的に困難だし、叙述できたとしても、その産物がストーリーとして成立っているか否かは別問題である。
 それゆえ、われわれは、えてして複数の原因および結果のなかから「主要な」原因と結果を選出し、それを結んでストーリーを構築しがちである。この手続きを踏むことにより、単一の原因が単一の論理によって単一の結果に結びつけられるというシンプルなストーリーとして、歴史を叙述することが可能になる。
 しかし、この手続きには問題がある。主要な原因や結果を選出する基準が不明確、アプリオリ、あるいは主観的であることが多い、という点である。たとえば、フランス二月革命(1848年)の原因は、しばしば、自由主義的な選挙権拡大運動の要求に対して、保守化しつつあるギゾー内閣が耳を傾けなかったことに求められてきたが、近年の研究動向によれば、このような政治的な動向とは別に、1840年代後半の全ヨーロッパ次元の悪天候・不作・生活困窮・不満という経済的な動向も重要な原因だったことが明らかになっている。この場合、われわれはどちらを主要な原因として採用するべきだろうか。また、その選択の基準は何だろうか。あるいは、ほかに主要な原因はないと想定してよいのだろうか。
 この選出基準としては、かつては「大文字の政治」あるいは「経済システム」との距離が重視されていたように思われる。前者がいわゆるクラシカルな政治史的なトレンドであり、後者が史的唯物論的なトレンドである。しかしながら、周知のとおり両者に対してはその後さまざまな批判がなされており、ストレートに援用することは、今日では困難である。ただし、両者に代わる決定版が登場したかといえば、そうではなく、今日ではむしろ「主要な原因や結果などというものは存在しない」という(ま、わりきっていってしまえばポストモダンチックな)スタンスが人口に膾炙しつつある。
 しかし、くりかえしになるが、「主要な原因や結果などというものは存在しない」というスタンスでは、高校世界史教科書に要求されるような、40万字で全世界史を記述するなどというコンサイスな歴史(通史?)を書くことはできないだろう。それでは、一体どうすればよいのだろうか。
 主要な原因や結果をつなげて叙述するという最善の方策が利用できない場合、ぼくにいわせれば、セカンド・ベストな解決法は次の二つである。
 第一は、それでも「なぜか」存在する通説に依拠することである。ぼくが前述したストーリーを採用したのは、それが現在の歴史学界においてほぼ通説となっていると判断したからである。なぜこれが主要な原因と主要な結果をつなぎあわせた主要なストーリーなのか、と問われると、的確に回答することは難しい(というか、ぼくにはたぶん出来ない)のだが、しかし、これが現在の歴史学界の通説であるという判断を全否定することもまた難しいだろう。たしかに、他に主要なストーリーは存在するかもしれない(というよりも、きっと存在する)し、このストーリーが主要なストーリーの座を追われる日が来ないとはいえないだろう。しかし、一時的な集団幻想かもしれないが、通説は通説なのである。
 第二は、みずからが採用する選出基準を明示することである。たとえば「わたしは史的唯物論を採用する」と冒頭に記されていれば、そのようなものとしてストーリーを読み、理解し、解釈し、必要であれば他の基準をもちいて構築されたストーリーと比較することによってその妥当性を検証することが可能になる。ただし、これは、日本の高校教科書としては禁じ手なのではなかろうか。いや、やってもよいのかもしれないが、ぼくはやってみなかった……というのは、これは無意識のうちに自己規制が働いたということなのだろうか。
 もっとも、どのような叙述であれ、歴史叙述には(いわんやコンサイスな歴史を書くに際しては)かならずなんらかの選出基準が伏在している、というよりも、選出基準がなければ歴史叙述は物理的に不可能である。それではぼくの場合はどうか、というと、担当部分を読みかえしてみると、史的唯物論、というと大げさだが「経済システムのありかたが重要であり、したがって主要な原因や結果やストーリーはまずもって経済システムとの関連で探求されるべきである」というスタンスを採用していることがわかる。ヨーロッパ近代はイギリス産業革命(の前史)から始まり、技術革新への欲望を駆動力として進展した、というのだから、これは、だれがどうみても経済中心主義的なストーリーである。


3.「いま、ここにある」世界史教科書から、はるか「あるべき」教育をのぞむ


 こうして出来上がった『新世界史』であるが、それでは本書はいかなる利用法を想定しているのだろうか。これはつまり執筆の意図・想定目標は何か、ということである。
 ぼくの担当部分についていえば、想定目標は、なによりもまず「因果関係で歴史を捉える」ことが可能になるというものである。換言すれば、歴史上の諸事象が織りなす網の目のなかに主要なストーリーを見出し、そしてそのストーリーを因果関係という論理で理解する能力を身につけることである。そして、個々の事象を覚えさせることや、歴史学の最先端の研究成果を提供することは、その限りにおいて意味を有することになる。
 しかし、なぜ因果関係で歴史を捉える能力が必要なのだろうか。私見では、ポイントは二つある。
 第一に、狭く歴史認識の領域についていうと、この能力を身に付けることにより、歴史を大づかみに捉えることが可能になる。人類数千年の歴史を地球大で理解するにはなんらかの論理を用いて諸事象を整除することが不可欠であり、この論理のなかでわれわれの認知能力にもっと適合しているのが因果関係である、とぼくは考えている。
 第二に、ひろくわれわれの認識一般についていうと、歴史は因果関係であると考えることは、われわれが生活している現代社会の特徴を捉えるうえで有益である。すなわち、因果関係の鎖は、過去から現在に、さらには未来に続いている。そう考えるとき、歴史を学ぶことは、それ自体で充足したクールで客観的な営為ではなく、われわれの眼前にある現代社会の特徴を、その拠って来る過去からの因果関係を捉えるなかで解明かすという、きわめてアクチュアルで主体的な営為となる。


 本書が一般的な書籍であれば、とりあえずこの辺で「オッケー」といってよい気もするが、本書は高校世界史B教科書である。高校世界史B教科書は高校地理歴史科の一環をなす世界史Bの授業のためのテクストであり、地理歴史科および世界史Bについては、現時点については2009年版「高校学習指導要領」で目標が定められている。

 (1)地理歴史科
我が国及び世界の形成の歴史的過程と生活・文化の地域的特色についての理解と認識を深め、国際社会に主体的に生き平和で民主的な国家・社会を形成する日本国民として必要な自覚と資質を養う。


 (2)世界史B
世界の歴史の大きな枠組みと展開を諸資料に基づき地理的条件や日本の歴史と関連付けながら理解させ、文化の多様性・複合性と現代世界の特質を広い視野から考察させることによって、歴史的思考力を培い、国際社会に主体的に生きる日本国民としての自覚と資質を養う。

 これら目標は、あらゆることに言及することによって何も意味していないという「悪文」の典型のような文章であるといってよいだろうが、とりあえず「歴史や特徴を理解・認識する」という手段をもちい、世界史Bについては「歴史的思考力」を媒介して、「国民としての自覚と資質を養う」という目的を達するという骨子になっている。このうち「国民としての自覚と資質」は無内容だから、世界史Bについて問題とするべきは、おそらくは歴史的思考力である。
 このように推測したうえで、ものの見方をかえてみよう。歴史的思考力の涵養という課題に貢献するには、いかなる教科書、いかなる授業、総じていかなる世界史教育が適切・必要なのだろうか。
 まず必要なのは、歴史的思考力なるものを定義することである。2009年度「高等学校学習指導要領解説・地理歴史編」によれば、歴史的思考力とは「世界の構造や成り立ちを歴史的視野から考察する能力」を意味する(ようである)。これでも定義としては曖昧なものにとどまっているが、とりあえず世界全体の現在と過去を時系列的な観点からとらえる力」といいかえてよいだろう。
 そうだとすると、因果関係で歴史を捉えるというぼくの想定目標はけっこう悪くないように感じられる。つまり、因果関係で歴史を捉える力というのは歴史的思考力の一環をなすのではないか、ということである。これに対して、個々の事象を覚えさせることや最先端の知識を提供することは「世界の構造や成り立ちを歴史的視野から考察する能力」にとって必須であるとは言いがたい。それは歴史を捉える因果関係を構築するという目標に資する限りにおいて意味を持つ。


 ここで終わることができれば自画自賛に終わって「目出度し、目出度し」なのだが、世の中はそんなにうまく出来ていない。次の問題は、因果関係で歴史を捉えることを想定目標とする場合、いかなる授業を設計すればよいか、にある。いくら教科書が新しくなったと張切っても、授業における使用法が変わらなければ、そのインパクトは限りなくゼロに等しいだろうからである。
 ぼくは、とりあえず、本書を使用するのであれば、歴史におけるストーリーを強調した授業を(その問題点は意識しつつも)展開すること、教科書「を」教える授業ではなく教科書「で」教える授業を試みること、この二点を提唱したい。その根拠は、ぼくの担当部分についていえば主要なストーリーを強調した記述になっていることと、教科書「を」教えるにはボリュームがありすぎることである。ちなみに、ぼくは、昨年から担当している企業研修において(発売後は)本書を利用してみたいと考えているが、その際には以上の二点を念頭において研修内容を設計したいと考えている。


 さらにいえば、なんらかの授業形式をもちいて、因果関係で歴史を捉える力をはじめとする歴史的思考力を育成しうるとして、そのような世界史Bの授業は高校教育全体のなかに、シームレスに位置づけられるのだろうか、という問題が生じる。世界史Bだけかわっても、学校教育はかわらないのである。
 世界史Bが、因果関係で歴史を捉える力、すなわち「因果関係重視型思考様式」とでも呼ぶべきものを育成しようとしても、他の授業が「因果関係重視型思考様式っていわれても、うちは関係ないし」(というのは、さすがにありえないと思うが……)というスタンスで設計されているのであれば、両者のあいだで、さまざまな次元において摩擦が生じることは不可避だろう。その際の争点としては、たとえば、授業形式の次元における一斉教授法とゼミ形式、授業の完結度の次元における自宅学習の位置づけ、あるいはクラスの次元における最適人数が挙げられる。


 ところが、問題はここだけにはとどまらない。授業の目的が因果関係重視型思考様式の育成になったとしても、教育(学校教育)全体の目的やありかたがそれとそぐわなければ、授業の実効性は薄いからである。
 高校世界史教育政策の次元については、この点は「学習指導要領」で担保されていると考えることも可能だろうが、教育のありかたをめぐって、よく言えば百花繚乱、悪く言えば「飲み屋談義」が続いている今日、「期待される人間像(……)」が因果関係重視型思考様式を備えた人間とならない可能性も、ないわけではない。


 その上で、さらに問題は続くのだから、教育はじつに奥が深いものである。すなわち歴史的思考力の一環として育成されるべき因果関係重視型思考様式は、はたしてわれわれの文化にフィットしているのだろうか。
 たとえばシンガポールや香港の高校教育のありかたについて話を聞くとき、日本とUSAにおけるアーギュメントの構造の相違に関する研究書を読むとき、あるいは(なさけない話だが)アカデミック・ライティングやスライドの作成法に関するノウハウ本を手に取るとき、日本とアングロサクソン諸国における支配的な思考様式の違いに呆然とせざるをえない。ぼくは「文化実在主義」に棹差すわけではないが、思考様式における因果関係の重要性の程度や、因果関係における原因と結果の関係やウェイトの捉え方が、二つの文化においては大きく異なっている。
 ぼくらが共有する文化における支配的な思考様式にとって、因果関係的思考様式はどのような位置を占めているのだろうか。それは学校教育を通じて教えこまれるべき存在なのだろうか。教えこむことは、はたして可能なのだろうか……といった、おそらくは容易に回答しえない問いが、頭に浮かんでくるのである。


 まとめよう。高校世界史B教科書を執筆するという経験のなかでぼくが感じたのは、次のようなことである。

・教科書がかわっても、授業がかわらなければ始まらない。
・世界史Bの授業がかわっても、他の授業がかわらなければ始まらない。
・授業がかわっても、教育(学校教育)の想定目標がかわらなければ始まらない。
・教育の想定目標がかわっても、それが支配的な思考様式とフィットしていなければ始まらない。

 それにしても、これは、当たり前といえばあまりにも当たり前すぎる結論ではあるのだが。