フランソワ・フュレという「憂鬱」

どうにも不快になる読書体験というものが、この世には存在する。
たとえば、普通なら「日本の若者は、不安はあるけど不満はないんだ。」という20字(除句読点)ですむものを、せっかくだから一冊に引き伸ばしてみました!!、みたいな本を、先日しごとで読む機会があった。20字なら2秒ですむのに一冊だと2時間はかかるから、これも不快といえば不快な体験ではある。でも、こういうのは「用が済んだらバイビー、ごめん、すぐ忘れます、トシなので」ですむから、ま、さほど実害はない。じつは、すでにタイトルも覚えてない(しかし著者が社会学期待の星というのは……大丈夫か日本の社会学界?)。
問題は「のどに刺さったサンマ(魚種指定)の小骨」みたいに、いつまでたってもチクチクする不快感が消えないやつである。
ちなみに仙台方言では、この感覚を「イズイ」と称するが、ぼくのしごとの領域に近いところでいうと、わがイズイ読書体験の筆頭に挙げられるのはフランソワ・フュレ『フランス革命を考える』(岩波書店、1989、原著1978)だろうか。フランス革命研究のトレンドを一気にぬりかえた「修正主義派」のマニフェストとして著名な一冊である。仕事柄、何度か(日本語訳で……手抜きですみません)読んできたのだが、どうにも不快なのだ、これが。違和感がぬぐえないというか、自分が全否定されているというか、「君にはわからないだろうな」と鼻であしらわれているというか、なんというか、かんというか、とにかく不快なのだ。ちなみに、そんな読後感を覚えるのは、独りぼくだけだろうか?
そのフュレだが、死後十年以上たち、ようやく本格的な研究書の対象となった。クリストフ・プロシャソン『フランソワ・フュレ:憂鬱の道程』(Christophe Prochasson, Francois Furet : Les chemins de la melanchorie, Paris:Stock, 2013)である。フュレの気難しそうな顔写真がドカーンと表紙を飾る大部の一冊だが、この週末に一読し、わが読後感の原因、というか遠因がちょっとわかった……ような気になった。
フュレは、パリの裕福な家庭に生まれ、エリート養成校(グランゼコール)の人文科学系トップに君臨する高等師範学校の入試に失敗して(しぶしぶ?)パリ大学に進み、大学ではなく高等研究院(EPHE、のちに社会科学高等研究院[EHESS])にポストを得た。「地方の普通の家庭出自+刻苦勉励+グランゼコール+大学教員」というフランス知識人の典型とは対極的な人生をたどったわけである。その後も彼は、フランス知識人の対極的な存在の典型を、おそらくは意図的に【ここ小田中のオリジナリティ、よろしく】演じることになる。
そんなフュレの人生を、プロシャソンは「憂鬱」というキーワードで表現する。知識人の典型の対極の典型として行動する……というのでは、語の真の意味での「コンプレックス」をもたなかったはずはないだろう【ここも小田中のオリジナリティ、よろしく】。
ただし、問題はそこにとどまらない。フュレの「憂鬱」は、制度化された存在としての大学教師たるぼくの「憂鬱」の鏡像として、そこに再現出するのだ。「普通の家庭を出自とし、刻苦勉励により、大学教師というポストを得た」というアイデンティティが、その対極のアイデンティティを色濃く感じさせるフュレの文章を読むことによって、かすかに動揺を始めるのである。
普通の家庭? 
刻苦勉励? 
大学教師というポスト?
かくしてぼくは「憂鬱」になり、いわく言いがたい不快感を覚えはじめる。


もっとも優雅に「憂鬱」にふけっているヒマは、ぼくにはそれほどないのだが(そんなヒマがあったら資料探さにゃいかんけん)。