ストーリー・メイキングとストーリー・テリング

秋学期が始まると、とにかく時がたつのが早い。しかも諸般の事情でちょこちょこと短期の出張を突っ込んでしまったので、気忙しくて困る。ちなみに、来週からは、釜山、福岡、大阪・東京、一週あけてソウル、というステキな週末巡業が始まる。体力のないぼくには、ちょっとしんどいなあ。
そんな中、先週末はJSPSに出張したついで(?)に大阪に出向き、大阪大学歴史教育研究会に参加してきた。桃木至朗さんを牽引車、じゃなくて牽引者とする同研究会は、歴史学の領域における高大接続において圧倒的な成果を挙げてきたが、いよいよ中間とりまとめということで、大学教養課程レベルの通史テクスト『市民のための世界史』を大阪大学出版会から刊行するらしい。今回は、近現代を担当する秋田茂さんと、序論・結論を担当する桃木さんが、執筆部分の内容を報告した。ともにたいへん興味深く拝聴。
報告の具体的な内容については「刊行まで引用不可」の精神を尊重して触れないが、秋田さんが漏らした執筆の感想には深く考えさせられた。既存のテクスト(とりわけ高校教科書)が個別事象の羅列に終わっていてつまらない、というのは、よく聞く批判であるが、ここで、ぼくのような単純な人間は「それじゃ、それら事象を(なんらかのかたちで)つなげて書けばいいんでしょ」と考える。これに対して秋田さんは、テクストを執筆するなかで、事態はそれほどシンプルではないことに気づき、「つなげて書くこと」は「面白く読めること」とイコールではないことに思い至る。


ここで、つなげて書くことを「ストーリー・メイキング」と「ストーリー・テリング」の2つの層にわけて考えてみよう。前者が「歴史解釈」、後者が「歴史叙述」に相当する、と言ってもよいかもしれない。そうすると、

  • 2つの層ともに、事象の「つなげかた」には様々なものがあるのではないか。
  • 歴史解釈における「つなげること」と歴史叙述における「つなげること」は別物ではないか。
  • 歴史解釈や歴史叙述の面白さは、そこにおける「つなげかた」が、ひろくは人間の認知パターン、狭くは文化おのおのの「納得の構造」((c)渡辺雅子)と、整合的であるか否かに左右されるのではないか。

などなど、様々な問が生まれてくる。
これら問に対して適切に回答できたテクストだけが、読んで面白いものとなるのだろう。しかしてそれはいかに……などと考えつつ、風邪気味で回らない頭を抱える肌寒い大阪の一日であった。