おしごと、おしごと。

【11月14日・追記】
一晩たち、ちょっとヘロヘロしているので、今日は布団と戯れる一日にしようとはりきって(?)起きたら、パリから連続テロの報。この件に関しては、色々な人が色々なことを言うだろうが、ぼくの印象論は

  • 非常事態宣言も、イスラム教過激派によるテロも、無差別銃撃も、これまでなされてきているので、想定内。
  • 自爆テロは初の事態=想定外ではないか。要対応。

というところ。「フランス・ムスリム高等評議会」は、ただちに犯行を非難する声明を出したが、これは的確な対応だったと思う。
来年1月には2週間ほど滞仏予定だが、そのころには、状況はどうなっているんだろうか。
【本論】
晩秋の候、怒涛(当社比)の債務返済ロードが続く仙台。
今度は編訳書『「批判的転回」以後の歴史学』の解題として、フランス歴史学史について書くきなぐる毎日である……が、マンガのシナリオチェックが届くやら、はやくも2017年(!!)の出稼ぎ依頼が飛び込むやらで、債務は「い〜〜っぽ歩いって、にっほ下がる」状態である。
これって、よくみると後退じゃん。


さて、ぼくの勤務先は、2011年の地震津波原発事故で被災した学生諸君が(忘れないでほしいのだが、いまだに・いまでも)多数学んでおり、いくつかの企業や財団から彼ら向けの奨学金を頂いている。その一つにリオ・ティントコマツ奨学金というのがあるが、昨日(金)はリオ・ティントの人事担当副社長が仙台に来て一部の奨学生と昼食をともにするというので、学生支援担当というお役目柄、同席とあいなった。
リオ・ティントRio Tinto)といっても知ってる人は少ないかもしれないが、鉄・銅・ダイヤモンドなどの鉱山を世界各地に所有する、いわゆる「鉱物資源メジャー」の一角を占めるグローバルな大企業である。ちなみに同社の経営分析を専門とする研究者は世界に一人しかいないのだが、それがぼくの同僚の菅原歩さんというのは、これは楽しい偶然。
人事担当副社長のユゴー・バゲ(Hugo Bague)さんは、グローバル化が服を着て歩いているようなギラギラ・キラキラ・ビジネスマンに違いないと偏見丸出しでかまえて待っていたのだが、教員経験も有するという話の達人=聞き上手。学生諸君との会話(英語)を横で聞いていて、英語が苦手なぼくがわかる限りで感服したのであった……が、あとで、ぼくと年齢かわらないのに、ぼくの予想生涯賃金をぶっちぎりで上回る年収をゲットしていることを知ってちょっとナエたのは、ここだけの秘密だ。
ちなみにバゲさん、アントワープ生まれのベルギー人で、英独仏欄西の5か国語がオッケー(なので、ぼくは基本的にフランス語で会話)。ベルギーで教員と銀行マンを務めたあと、人事の専門家としてアボット、ノーテル、コンパックヒューレット・パッカード(40代半ばでグローバル人事担当副社長)をわたりあるいたあと、2007年からリオ・ティント。いまはスイスはルツェルン近郊に家をかまえつつ、オフィスはロンドン(!!!!)、年の3の2は海外出張というクレージーな日々らしい。
そんなバゲさんが奨学生諸君に話してくれたのは、

  • 被災経験をもちつつ前を向いて歩いている諸君はスゴイ。
  • チャンスは、来るのを待っているのではなく、つかみに行こう。失敗を恐れず。ポジティヴにいけ。
  • 異文化を知ると、自分のことがわかる。チャンスを見つけて外国に行け。
  • (「これまで仕事のうえで一番大変だった経験は?」という奨学生からの質問に対して答えたうえで)苦しい経験は、かならず報われる(rewarding)。
  • (「これまで一番楽しかった仕事は?」という質問に対して、「いろいろあるけど」と前置きしたうえで)ギニアエボラ出血熱が流行したが、同国にあるリオ・ティントの鉱山では、従業員は、家族も含めてだれも感染しなかった。対策の指揮をとったが、社会的意義のある仕事でもあり、誇らしかった。

というポジティヴなもので、ハイパー・ポジティヴという感もするが、実体験に支えられ、また聞き手(被災経験をもつ奨学生)のことをよく考えて語られていることがわかる、意義深いものだった。

ちなみにわが勤務先の奨学生諸君も、バゲさんの「今回の震災で、変わりましたか?」という質問に対して、

  • 家族や友人の存在や、朝起きて「おはよう」といって朝食をとるという「当たり前」が、じつは「当たり前」じゃないということがわかった。
  • 私たちは苦労してるんじゃないかと周囲の人々に気を使わせるのがつらかった。

とか、これまた心に響く話をしてくれて、やるじゃん、うちのガッコ。


そんな、いろいろなことを感じた一日。まだまだなすべきことは山積しているのである。