謹賀新年

2016年である。


①仕事的にも(=一応しごとがたてこんでいて新しいリクエストに答えられそうもない)身体的にも(=12月に入って朝起きると首が回らない/曲がらないようになった)どうにも首がまわらない状態で新年を迎えることになった。どっちもトシのせいだな、トシ。
今年は、とりあえず

  • 4月にソウルでシュテファン・バーガー他編『Writing the Nation』シリーズの書評シンポジウムがあり、トーク
  • 6月に"Naissance d'un quartier: Petit Bard (Montpellier), 1962-2012"(ある「地区」の誕生―モンペリエ市プティ・バール地区、1962-2012)なる論文の締切。
  • そのあとは、塩漬けになっていた(というか、個人的には塩漬けのまま墓場にもってゆけると信じつつあった)『ライブ・経済史』の書下し作業。

というあたりがメインのしごと。
このほかに、他人の本の監修(なんだそりゃ?)やらマンガの監修やらが入っており、とりあえず少なくとも来年3月までは新規企画は「ノー・サンキュー」状態である。ホントにノー・サンキューなので、そこんとこよろしく。


ちなみに、昨年末になって旧著『歴史学ってなんだ?』(PHP研究所PHP新書、2004)のベトナム語訳のオファーが届いた。たまにはうれしいニュースもあるもんだなあ。生きていてよかったなあ(しみじみ)。こういう「他力本願」企画はエブリバディ・ウェルカムなので、ぜひよろしく。


②そんな悲惨な状況であるが、昨年末には従軍慰安婦問題について日韓で政治決着が図られ、冬休みならではの酔払った頭でいろいろと考えさせられることになった。
まずもって、歴史屋としては、声明にあった「軍の関与」という文言をいかに理解するべきかが問われている……はずであるが、これについては、件の陸軍副官通牒が現存しているかぎり、否定する専門家はいないだろう。かつて従軍慰安婦論争では「軍の関与」の具体的な内容について議論が展開されていたことを想起するとき、なんというか「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜るばるっ来たぜ函館え〜〜〜〜〜」的な諸行無常感をもってしまう今日この頃である。
そして、それ以外は「記憶の現代政治」という歴史屋の守備範囲外すれすれの話ばかりとなり、個人的には「これでいいのか、ホントに??」というのが率直なところである。なんだかなあ……日韓のお偉いさんが喧嘩しているよりはマシのかもしれないが、殴ったほうが殴られたほうに対して「もう忘れような、おい」と言うとか、殴られたほうが「それなら弁償のカネはオタクで出すよね」と条件闘争に転じるとか、一市民としてすら理解しがたい交渉が展開されたのだから、これはもうお手上げである。こういうのを「レアル・ポリティーク」とか言うのかもしれないが、そんなの「理屈ナシ」に等しいぞ、うん。
こうしてみると、やっぱり「ミネルヴァのふくろうは黄昏に飛ぶ」のかねえ。歴史屋の仕事(メチエ、クラフト)って何なんだろうねえ。


③なんて考えながら『Writing the Nation』シリーズを読みつづける冬休み。とにかくこのシリーズ、全8巻で、一冊あたり400ページ強、読んでも読んでも終わらない。オマケに重く、一冊1kg近くあるので、全部で8kg……ホントにソウルにもってゆくのか、これ? 
それでも(担当巻以外は斜め)読みすすめるうちに、色々なことを考えさせられるようになった。たとえば1990年代ごろから「歴史から記憶への興味関心の移行」が始まり、いまは「記憶ブーム」であるという指摘も、当たり前と思われるかもしれないが、あらためて「そうだよなあ」と思った点のひとつである。「世界記憶遺産」とか、ちょっと前までは聞いたことのないタイトルがパリスのリンゴになる時代に、ぼくらは生きている。「歴史の同時代現象化」((c)フランソワ・アルトグ)が、小難しいリクツをこえ、いま・そこにある事象として体感される時代である。
それでは、歴史屋は「記憶ブーム」にどう付き合えばよいのだろうか。密着するのも難しそうだし、敬遠するわけにもゆかないし、つまりは「適切な距離」ということなんだろうが……うーむ。


初手から悩む新年なのであった。