海外逃亡中につき。

6月に書上げたペーパーだが、無事にアクセプトされて掲載が決定した。
Naoki Odanaka, "Cinquante ans d'un quartier montpellierain : le Petit-Bard, 1960-2010" (Bulletin Historique de la Ville de Montpellier 38, forthcoming in 2016)
モンペリエのいち地区の半世紀を追うという超マイナーなテーマのペーパーだが、7月16日(土)に暑い京都の関西フランス史研究会で話したら、谷川稔さんや中山洋平さんから暑い……じゃなくて熱いコメントをもらったので、それなりの意義はあるかもしれないというべきだろう。


さて、本題である。24日(日)から3週間の予定でモンペリエに来ている。今日で一週間目が終わったことになるが、あっという間の一週間だった。
そもそも肝心のモンペリエ市文書館(AMM)が

  • 昨年末から同時代部門(section contemporaine、大体1970年代以降が対象)の資料が、保管庫のアスベスト汚染問題でアクセス不能となったのに続き、
  • 近代部門(section moderne、大体フランス革命から1970年代までが対象)についても、数週間前に、館長から「セキュリティ上の理由」でアクセス不能となったというメールをもらう

というステキな状態で、頭を抱えながら当地に着いたのであった。
大体において「セキュリティ上の理由」というのが何を意味するのかまったくわからないのだが、こういうときは「とにかく現地にいって直接聞く」というのが、フランスとつきあうときの鉄則である。
当然ながら鉄則に従い、時差ボケと長旅の疲れで眠い目をこすりつつ25日(月)の朝イチでAMMにゆき、もっとも信頼できるアーキヴィストのピエール=ジュアン・ベルナール(歴史系の大学院を修了しているので、いちばん話が通じる)や、同時代部門のトップであるロール・マソンにランデヴを強要……じゃなくてお願いして、どうにか事態がわかった。要するに近代部門の資料も問題の保管庫に所蔵されていたため、念のため=「セキュリティ上の理由」でアクセスを止め、アスベスト汚染がないか否かチェックしていた、というわけである。
保管庫の脱アスベスト化工事は終わり、また資料についてはアスベスト汚染の有無を調べるテストで「汚染可能性0パーセント」という結果が出たので、あとは市役所の健康・環境委員会のゴーサイン待ちだけ……なのだが、次の委員会の開催が10月半ば!! さすがミディ=地中海沿岸地方、時間の流れ方が違うわ、まったく。


かくのごとく今回はAMMではなにも出来ないので、久しぶりにエロー県文書館(ADH)に通う一週間。いちおう次の研究対象となるはずの地区に関する資料を探したが、なかなかみつからない。やっぱりAMMかねぇと思いつつ、ザハ・ハディドのデザインになる素晴らしき(?)建物を満喫する毎日であった……が、どうでもいいけど町はずれに移転したADH遠すぎ。
しかし!!  
ADHも、来週から夏休みに入る予定。
そこで、来週は、モンペリエ広域自治体連合立中央図書館で地元紙をめくることにした。
ところが!!  
同図書館も、今度は来週末から夏休みに入る予定。
バカンスの時期に来る方が悪いといえば悪いのだが、最後の一週間はなにをすればよいというのだろうか? じつは、ロール・マソンと話していたら、健康・環境委員会のゴーサインがすぐに出るとは限らないので、バックアップ=別の研究対象を考えておいたほうがよいとアドバイスされた。たしかに「ここはフランス」なので、それは大いにありうる。そんなわけで、最後の一週間は、隣県ガール(Gard)の県庁所在地ニーム(Nimes)か、エロー県第二の都市ベジエ(Beziers)の市文書館を訪ね、資料の保管状況をチェックすることにした。「はじめの一歩」なので、それはそれなりに楽しみではあるが、しかし、そもそも開いているのか両市文書館?
おお、あっちに行ったりこっちに行ったり、すばらしきドタバタの3週間となりそうではないか。


そんなノー天気な日々がつづくモンペリエは灼熱の夏日が続いているが、今年は風が強く、日陰に入ると一気に体感温度が下がる。快適な空気のなかで、今後の研究ハンドリングを考える日々としたいのだが、さて。