リフレッシュ、できないままに、新学期(五・七・五)。

10月である。
新学期である。
二年ぶりの学部「経済学史」講義のときである。
リフレッシュ期間であるはずの夏休みは滞仏と執筆で終わり、空気は秋。
それにしても、経済史教科書の執筆をはじめとする債務返済のため、ここ一年半ばかり、かなり煮詰った日々を送った気がする。一昨日、最後の債務たる教科書のドラフトを編集者の鈴木さんに送り、昨日からすっかりふぬけているのが自分でもわかる。
とにもかくにも、これで本業たる現代フランス地方都市計画政策史に(相当程度)専念できるかと思うと、とてもうれしいぞ。つぎはペルゴラ(モンペリエの「ゲットー」地区)かピスヴァン(ニームの「ゲットー」地区)か、ワクワクしてくる……のは、日本じゃぼくだけだろうな、きっと。うーむ、われながらマニアックである。
この間、ドラフト執筆のあいまに(ネタと気力が尽きるので、執筆は一日数時間が限度ゆえ)チョコチョコと雑多な本を読んでいた。一部を紹介しておこう。順不同。

1980年代から、オルケスタ・デ・ラ・ルスと並んで世界規模で活躍したバンド・上々颱風のボーカルだった白崎さんが全編(出身地の)酒田弁で書いた快著。その圧倒的なパワーには、ひたすらに頭が下がる。単なる酔払い(自称)のはずなのに、釜が崎の三角公園で歌い、東北復興コンサートを妄想爆発状態で企画しつづけている(継続は力なり)白崎さんは、かつての「愛より青い海」(1990)時代の美貌、近年の釜が崎越年闘争コンサートの酔払いノリ、ともに(you tubeでみられるが)相異なる意味で魅力的だ。
いや、良い本を読んだ。

  • 遠藤比呂通『希望への権利』(岩波書店、2014)

釜が崎といえば、わすれちゃいけない遠藤さん。われらが東北大学は法学部憲法担当助教授の地位を投げだして釜が崎で弁護士事務所を開いてしまうという「一身にして二生を生きる」快男児のエッセイ。京都の朝鮮学校に対する在特会のヘイトアクションに対する民事裁判でも学校側の弁護人を務めるなど、もーからんしごとを続けるスタンスに、ひたすら喝采。
うーむ、漢(性差別主義的言質)である。

高円寺を「ヘンな」世界につくりかえつつある一人・松本さんの「脱力系オルタ文化」マニュアル本。
世界は狭い、その気になれば。
世界はかえられる、その気になれば。
もちろん問題は「その気になるか?」である。その気になった松本さんは、すごい。

  • 磯田道史『無私の日本人』(文芸春秋・文春文庫、2014、初版2012)

仙台周辺だけでイジョーに盛上がった映画『殿、利息でござる!!』の原作。江戸時代の庶民に根付く「無私」の精神を描くというふれこみだが、これがじつは《お上に逆らえない下々+ひたすら無能で強欲なお上=日本》という、涙なしでは読めない日本人論。磯田さんの、篤実な歴史学者として資料を踏まえた淡々たる筆致が、江戸期に遡る日本人のなさけなさをあますところなく活写していて、さらなる涙を誘う。
よーするにバカなのですね、ぼくも含めて。これじゃ欧米に負けるわけだわ、まったく。

というわけで、すべてはダレスにやられた1951年に決まったのである。
なんなんだよ、まったく。