Keon Buyens (1969-2016)

来春、3年に一度のカンファレンスがルーヴェン(Leuven、ベルギー)であり、出かける準備を始めるうちに「そういえば、クーンはどうしているだろうか」と思い、コンタクトをしようとしたころ、9月に亡くなっていたことを知った。彼が住んでいるリール(Lier)はルーヴェンの近くなので、会っておきたかった。前回(2014年春)会ったときに体調がすぐれないことは聞いていたので、「間に合わなかったか」という思いで一杯である。
クーン(Koen、正式にはクーンラート[Koenraad])と初めて会ったのは、もう四半世紀も前の1991年9月、フランスはトゥール(Tours)でのことだった。ぼくは、ロータリー財団から奨学金をもらい、1年の予定でレンヌ(Rennes)に留学することになったのだが、フランス語の試験の成績が悪かったせいで、レンヌ生活の開始前に1か月間トゥールにある語学学校でフランス語を勉強せよという条件が付いたのだった。
トゥールでは、どういうわけかクラス分けテストで高得点をたたき出してしまって上級レベルのクラスに入れられたせいか授業内容がまったくわからず、おまけに論文作成という宿題を抱えてきたこともあって、ほとんど学校には通わず、かなりの時間をトゥール市立図書館で19世紀前半の『官報』をめくることに費やすという日々をすごしてしまった。いま考えると、じつにもったいないことである。
それでも、どういういきさつだったかは忘れてしまったが、何人かの友人が出来た。なかでも、いつもつるむことになったのが、同じロータリー財団の奨学生でヘルシンキから来たマリ(女性)と、そして私費で短期語学研修に来ていたクーン(男性)だった。クーンはフラマン系ベルギー人なので、フランス語に磨きをかけたい、というわけである。2人とも、シンプルでマジメでユーモアと思いやりがあり、端的にいって付き合いやすかった。
「ロワール河周辺のお城めぐり」の起点として知られるトゥールは、小さな町だが、旧市街の真ん中にはカフェが立ち並ぶ広場「プリュムロ広場(Place Plumereau)」があり、夜な夜な若人が集まり、とりわけ週末には大騒ぎになるという、たいへんサンパなところである。さっぱり学校に行ってなかったのに(今と違ってケータイもないのに)どうやって約束を取り付けていたのか、いまとなっては定かでないが、ぼくも、マリやクーンと、プリュムロ広場で夜を明かしたり、安レストランで夕食をとりながら将来を語りあったりと、貴重な時間を共有することになった。
その後も2人とは交流が続いた。
マリとは、ぼくのかみさんも含めて3人で「フランスアルプス一週間スキー三昧」というステキなバカンス……じゃなくて「地獄のスキー合宿」(なんたって相手はフィンランド人、朝食とったら「ゲレンデいってきまーす」である)にいったり、クリスマス直前のヘルシンキのマリ宅にお邪魔して本場のサウナを試したり、21世紀に入って彼女が来日したときは、娘も連れて東京で再会したり、おお、われながらちょっとグローバル。
ちなみにマリは、大学修了後フィンランド外務省の外交官となり、国連本部や欧州連合本部に駐在するなど、ホントにグローバルな日々を送っている。たまに「ハーイ、いまNY」とかいうメールが届くのは、これはご愛嬌だろう。
クーンは、語学研修の終了後、リールの実家に戻った。あの頃、彼はアントワープ大学で学んでいたのではないだろうか。リールからは通学範囲である。ぼくら夫婦も、なんどかリールのクーンの実家を訪問し、ご両親に会ったり、泊めてもらったり、親切にしてもらった。もっとも、1994年に仙台に移ってからは、訪欧する機会が減ってしまい、彼とも年賀状をやり取りするだけの関係が続いた。それでも、結婚式の招待状を届けてくれたり、マメなやつだった。
しばらくたって2010年秋。ルーヴェンでカンファが開かれることになり、クーンからは結婚後に新居を構えていたメヘレン(Mechelen)からリールに戻ったという連絡が来ていたので、久々に会うチャンスが生まれた。ベルギー国鉄リール駅で再会したクーンは、昔のままのシンプルでマジメでユーモアと思いやりのある人間だった。
市役所広場で(ベルギーと言えば)ビールを飲みながら彼の来歴を聞き、ひっくりかえった。そもそも彼は将来を嘱望されたバイオリニストで、高校時代にはブリュッセル王立音楽院コンクールで1位をゲット。でも、諸般の事情で演奏家の道は諦め、アントワープ大学法学部、ルーヴェン・カトリック大学ロースクールを経て、弁護士になった。ところが、弁護士の仕事がつまらなくなり、音楽史の研究者になるべく、仕事を辞めてブリュッセル自由大学大学院に入学、ハイデルベルク大学ハーヴァード大学への留学を経て学位を取得し、ブリュッセル自由大学歴史学科の教授になった、というのだ。す、すごいグローバル。
アントンとセンタという2人の子供にも恵まれ、幸せそうだった(ちなみに、完全に奥さんのイルゼの尻に敷かれていた)。
2014年春、2回目のカンファに参加するためルーヴェンに出向き、またリールでクーンに会った。そのとき、かなり体調が悪く、大学も休職していることを知った。手術はムリで化学療法をしているということで、けっして調子は良くなかったはずだが、一日つきあってくれた。リール中を歩きまわりながら、色々なことをしゃべった。
そして、それがクーンと過ごした最後の時間となった。


来春ルーヴェンに行く際にクーンの墓に詣でたいが、先日出したお悔みメールに対するイルゼの返事は、まだ来ていない。また会おう、クーン(Au revoir, Koen)。