「オーディエンス」はだれか。

札幌でボーダー・ヒストリーのカンファがあり、オーディエンスとして参加してきた。シュテファン・バーガー、クリス・ローレンツ、イム・ジヒョン、テッサ・モリス=スズキなど、そうそうたるゲストを海外から招き、また日本、韓国、アメリカ、香港、中国などの若手研究者がトークを担当するという、じつに充実した二日間だった。

そのなかでもっとも印象的だったのは、カンファの最後に、テッサさんが提示した「とても良い会議だったが、この会議のオーディエンスはだれなのか?」という問題だ。そう、たしかに、こんなカンファに参加し、議論を共有できるのは、英語をしゃべり、一定のアカデミックな知識をバックグラウンドとして持つ人々たる「国際的中間層(international middle class)」に限られるのかもしれない。もっとも、ぼくなんか、英語のスピードについてゆけず、どうみても「国際的中間層」落第であることを実感したが、これはまた別の話。

それでは、こんな場で提示され、共有された知識は「国際的中間層」の独占的所有物にとどまり、彼らがおりなす空間で消費・費消されてしまうのだろうか?

ぼくに言わせれば、そうではない。

「国際的中間層」なんて階級がほんとに存在するのか否か、ぼくには「?」だが、彼らが構成する社会空間から、その外部に広がる社会空間に向かって「知識」という財が広がる経路なんぞ、ちょっと考えただけでも山ほどあるじゃないか。

-小中高の教科書。

-テレビ番組の監修。

-最近目につくようになった「歴史マンガ」。

-企業の社員研修(最近の企業は、グローバルに戦うため、マネジメントとかテクノロジーだけじゃなくて、歴史や哲学といったリベラルアーツも教えているのだ)。

-いうまでもなく、概説書。

-そして、授業。

カンファのキーノートを担当なさった岩下明裕さんは「ボーター・ツーリズム」の提唱者兼実践者として知られているが、「民間の旅行業者と比較して、なにが違うのか?」という質問に対して「アカデミックであることだ」と答えていた。そう、各種の営みに対して、様々な経路を通してアカデミックな基盤を提供することこそ、ぼくらがなすべきことであり、しなければならないことであり、もっといえば、ぼくらにしかできないことである。「国際的中間層」の孤立を嘆いているヒマがあったら、広くつながるための経路を探すことだ。自分が持つ経路を活用することだ。そして、新しい経路を創造することだ。

なすべきことは、まだまだ山積してるじゃん(There still rest many things to do, right?)。