悲喜こもごも

あっというまに二週間がすぎ、明日は帰国である。
しかし、明日は台風並みの低気圧がフランスを直撃することが予想されており、おまけに、冬のバカンスが明日から始まり、ということは当然国鉄労働者が(イヤがらせで、というか、ポリティカリー・コレクトなワーディングでいうと効用最大化をめざして)ストライキを打つわけで、これらのハードルのはざまを縫いながらTGVでCDGにたどりつき、ついで20時のフライトにのりこめるか……障害走みたいな感じがしてくるが、今回はプレエコが空いていて上げてもらえたのが唯一の慰めである。
さて、この間、リサーチに関しては「悲喜こもごも」の日々を過ごした。


●悲
2015年12月に、モンペリエ市立文書館(AMM)の近現代関係資料保管庫の天井の一部にアスベストが発見されたため閉鎖され、資料アクセスがダメになった。ぼくは、プティ・バール(Petit Bard)の次はラ・ペルゴラ(La Pergola)という地区の再開発を調べているが、この地区は1960年代に開発されたので、当然この閉鎖に影響を受けるわけである。かなりの資料は集めていたので、あと20箱弱というところまで来ていたのだが、残りもぜひ見たいという理由があった。
ラ・ペルゴラは(モンペリエが位置する)エロー県低廉住宅局(ODHLMH)という県の外郭団体が開発した団地からなり、その後も同局が団地の維持管理を担当してきた。ということは、ラ・ペルゴラ関係の資料は同局の後継機関であるエロー・アビタ(Herault Habitat、HH)がもっているということになる。そして、一般的に、県や市町村の文書館に入っていない資料にアクセスすることは、きわめて困難である。
したがって、ラ・ペルゴラについてリサーチする場合に利用が容易なのは、AMMかエロー県文書館(ADH)に所蔵されている各種資料であるということになる。この間ADHでもチェックをしてきたが、ラ・ペルゴラ関係の資料は多くないことがわかってきた。だから、最後の砦が、ラ・ペルゴラなど市内各地区の再開発に関する資料であり、これら資料を保管しているAMMなのだ。AMM近現代関連資料にアクセスできなくなったのが打撃であるというのは、つまりはそういうことである。
そして、事態は

  • 当初は「三カ月で脱アスベスト化を終えてアクセスを再開する」という話で、さすがに「フランスで、これはないだろう」と思っていたのだが、そのとおりで、
  • 2016年夏に聞いたときには「ごめん、まだ閉まっている。でも、天井の脱アスベスト化工事は完了し、アスベスト残存の簡易チェックは終わって残存していないという結果が出たので、2016年10月の市・衛生安全委員会でゴーサインが出れば、再開できるだろう」という話になり、まあ一年だから妥当な期間だろうと思っていたのだが、
  • 今回、モンペリエ到着の翌日(1月23日[月])一番でAMMに同委員会の決定を聞きにいったら、なんと「市役所の専門部局(施設部みたいなものか?)が担当し、最初からやり直すことになった。検査で六カ月、工事の入札で六カ月、本格的な脱アスベスト化で一年、合計で二年。したがって再開は2019年春の予定になった」といわれ、これには絶句。合計で三年強の閉鎖かよ!! うーむ。
  • しかも、よく考えてみると、2019年春には、AMMは(かつてADHが利用していた建物への)移転が予定されている。絶対、もめる。
  • さらに、ウラ話を聞いたら、移転予定先の建物は、しばらく空き家だったため、昨年末に不法占拠(スクワッティング)され、今日に至っているらしい。ますます、もめる。

というかたちで、まことワルイ方向に進んでいることが、今回わかったのであった。これは、ヤケ酒とふて寝に走るしかないではないか。


●喜
それでも、せっかくモンペリエに来たわけだし、天気も「好天だが地中海沿岸らしから寒さ」または「ちょっと暖かいが雨と風」という「リサーチ日和」なので、今後のことを考えて、24日(火)は隣県ガールの県庁所在地ニームの市文書館AMNでインベントリー(資料目録)をチェック。25日(水)からは、ADHにかよい、残っている資料の「落穂拾い」をすることにした。そんなわけで、市のはずれにあるザハ・ハディド設計のADHに出かけ、

  • 相手をしてくれた職員のミションさんに「AMMがねえ……ラ・ペルゴラ調べてるんだけどねえ……HHに資料開示を求めるのは難しいだろうしねえ……」とグチっていたら、なんと!!
  • ミションさん「HH、去年夏に資料をADHに移管してきたよ」というではないか。じつは、HH、本部建物を新築するため一時移転中なのだが、移転の際、もっていた資料を「邪魔者」としてADHにおしつけたのである。
  • 「でも、インベントリーに出てないけど?」と聞いたら、「うん、まだ整理中だから。でも、HHのアーキヴィストが有能で、ちゃんと整理してあったので、移管の時点で、あとは資料請求番号を付替えるだけだったんだ。で、付替えも終わったので、じつは整理は終わっていて、一般公開していないだけ。もしも見たかったら見せてあげるよ」と言ってくれるではないか!!
  • ミションさんはとてもテキパキとした女性で、「じゃ、とりあえずHHから移管されてきた資料のインベントリーを印刷してあげる。別の場所に保管してあるので、まず一番みたい資料の番号をチェックし、教えてくれれば、なるべく早く運んでくるよう手配するよ」だと。信じられん。ホント、ミションさんが神さまのようにみえた水曜日。
  • インベントリーをチェックすると、ラ・ペルゴラの建設・管理・改修関係の資料は30箱強のシリーズにまとめられていることがわかった。これと、あとはHHの役員会(CA)議事録、そして予決算関係資料をチェックすれば、かなりのことがわかりそうだ。
  • 25日(木)、ミションさんに「とりあえず、今回は、ラ・ペルゴラ関係資料のシリーズをみたいんだけど」と申し出、閲覧室への運搬の手配をお願いする。さすがフランス、資料が届くまでに五日かかり、届いたのは31日(火)昼だったが、届いただけでも大したものだといわなければなるまい。なにしろここはフランス、おまけに、今回モンペリエに来るまではアクセスを完全に諦めていた資料が目の前にあるのだから。
  • そんなわけで、31日から、30箱をチェックしおわった2日(木)までの三日間は、頑張った。頑張りすぎたせいか、目の前がチカチカした(ホントに)。今日は、また落穂拾いに戻り、かくして悲喜こもごもの滞在を終えたのであった。


歴史学者の醍醐味を堪能した二週間となった……か?