アーカイヴァル・ワークとはなにか(3)。

モンペリエの一週目が事実上終わった。最近は二週間しか滞在しないことが多いが、今回もその例に漏れないので、これで滞在が半分すぎたということになる。エロー県文書館は週四日しか開館しないが、今週は四日で61箱開け、約4500枚の資料を撮影した。残りは54箱、どうにかなるだろうか。

さて、地方文書館におけるアーカイヴァル・ワークである。箱を出してもらうまでは前回記したが、当然ながら、問題は「そのあと」。箱を開けると、わけのわからん資料がひもでくくられてとびだしてくる。

これら資料は、基本的にはアーキヴィストがトリアージ(残す価値があるか否かを判断し、不要なものは廃棄&必要なものは保存を決定)し、テーマごとに整理(してどの箱にどんな順番で入れるかを選定)するという「ひと手間」がかかっている。したがって、基本的には、どれもじっくりチェックする価値があるはずなのだが、ぼくのように短期間の滞在ゆえ時間がない研究者にとっては、一枚一枚ちゃんと内容をチェックしているひまはない。ばっとみて、自分の研究テーマにとって意味がありそうか否かをとっさに判断し、ありそうだったら「保存」作業に入る。

この「保存」作業、むかしはハンドライティング(手で書き写すこと)を意味し、膨大な時間を要したため、意味があるか否かの判断は慎重にならざるをえなかった、らしい。

ぼくがアーカイヴァル・ワークを始めた1980年代後半は、ワープロやパソコンが導入されはじめた時期にあたり、保存=タイプライティングを意味するようになっていた。だいぶ時間が節約できるようになったので、「とりあえずタイプライティングしておくか」という雰囲気が強くなっていた。

保存作業のありかたが劇的に変化したのは、デジカメが導入されてからである。デジカメで撮り、日本に戻ってオフィスのパソコンの画面上で読めばよいのだから、意味があるか否かで悩む必要はほとんどない。とりあえず撮っとけ、である。

ぼくは機械に凝るたちじゃないので、ごくごく普通の安いデジカメをずーーーっと愛用している。いま確認したら、2009年物で、もうすぐ10年。てぶれしまくるし、解像度も低いが、とにかく大体のところが読めればよい。最初に書いたとおり、だいたいにおいて一日に1000枚程度撮影するので、こまかいことを気にしていたら仕事がすすまないのである。

こうして「出納依頼、チェック、撮影、返却」をくりかえしているうちに、出納カウンダ―の担当職員さんは「またかよ」という顔になってくる。ここで愛想を付かされたらマズイので、「今度の箱は重いねえ」とか「おお、あと3箱だ」とかいいながら、ずっしりと重い箱を引取ったり返したりするためカウンターと座席を往復していると、15箱はあっというまである。

こうしてみるとすぐに理解できるとおり、アーカイヴァル・ワークには、知性を働かせる余地はない。それは、ひたすらに肉体労働である。頭を使うのは帰国してからなのだよ、ワトソンくん。