『フランス現代史』を書きおえて。

月曜日に担当編集者さんと最終打合せを終え、火曜日にドラフトを直して送付した。とりあえず、これで新書『フランス現代史』は一件落着。7月と8月は地獄(当社比)のドタバタデイズが待っているので、その前に終えられてホッと一息ついている。ゲラを9月に出してもらうことにし、刊行は年内だろうか。

当初「250枚」といわれていたのが、とりあえず書きはじめたら400枚+図表ということになり、当然ながら「カット」指令発動となってしまった。結局320枚(および目次・索引・年表)程度だろうか。書いていて若干くどいなと自分でも思っていたので、こんなところが妥当なんだろう。

それにしても知的「土地カン」がなく、調べては書き、書いては調べる、という自転車操業の二ヶ月だった。そんななかでも得るところはあるもので、色々なことを学んだ。

なかでも重要だったのは「ミッテランの実験の失敗」(1982/3)すなわちケインズ主義的需要喚起政策から新自由主義的緊縮政策への移行の理由で、この点をちゃんと説得的に説明している概説書は、ぼくが知る限り存在しない。すなわち、この理由は、たいていは「インフレ対策」とか「フラン防衛」とかに求められるのだが、インフレやフラン安は、経済学的に言うとマネタリーな現象なので、それ自体が問題ではない。それがリアルな現象、すなわち購買力や失業といった国民生活の実質的な側面に影響を及ぼして、はじめて真の問題となり、経済政策の対象となるのだ。

そんなわけで、なんでミッテラン政権が政策転換に追込まれたのかどうしてもわからず、しばらく「ウーム」と悩んでいたのだが、現代フランス経済に関する本を何冊か読んでいて、ようやくわかった。要するに「スネーク・欧州通貨制度・通貨統一」という欧州統合政策が「コルセット」として機能し、実験の継続を阻んだのである。

ここが腑に落ちて、ようやく「書ける」という気がした。たかが新書、されど新書、じつに危なかったのである。

戦後フランスにおけるケインズ主義的需要喚起政策は、おもに「競争的平価切下げ政策」というかたちをとってきたが、欧州統合に伴い、またニクソン・ショックによって変動為替相場制に移行しなければならなくなったこともあり、平価切下げが事実上不可能になってしまった。そうだとすると、残された(この場合は石油危機がもたらした)不況対策は、通貨供給を絞り込み、事実上強制的に産業構造を転換させる、通称「競争的ディスインフレ政策」しかなくなる。これが、政策転換後にミッテラン政権が採用し、その後、経済政策のスタンダードとなり、民衆層の怨嗟の的となる「緊縮政策」である。

もちろん競争的ディスインフレ政策を採用したのは、フランスではミッテラン政権が最初だったわけではない。すでに、ジスカールデスタン政権下で、シラク内閣(経済冷却計画、1974)やバール政権(バール・プラン、1976)が同政策を実行に移している。重要なのは、ケインズ主義的需要喚起政策に親和性が高い左翼政権たるミッテラン政権までもが競争的ディスインフレ政策を採用した、という点にある。

こうなると、左翼はアイデンティティ危機に陥る。この危機を脱するには、じつに15年近くを要した。シラク政権下のジョスパン内閣(1997)は、左翼のアイデンティティを経済領域から社会領域に移し、社会的リベラリズムの実現こそ左翼の本領であると主張することにより、左翼アイデンティティの復活と高い国民的人気を実現した。

しかし、社会的リベラリズムの次元で右翼との差別化を図るという戦略は、経済的困窮に苦しむ民衆層には届かない。彼らは、緊縮政策に反対する「左翼の左翼」か、経済的困窮の原因を「統合欧州」や「移民」に求める「極右」を支持するようになってゆくだろう。

これが、現代フランスのダイナミズムの一端である。

さて、それでは、日本はどうだろうか。