パーソナライズド・グローバルヒストリーの可能性 ――国際関係史、グローバルヒストリー、そしてその先へ

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パーソナライズド・グローバルヒストリーの可能性

――国際関係史、グローバルヒストリー、そしてその先へ

 

2019年2月15日、名古屋大学

小田中直樹odanaka@tohoku.ac.jp

 

 

 

1.グローバル化のなかの歴史学

2.グローバルヒストリーvs.ナショナルヒストリー

3.グローバルヒストリーvs.欧米中心史観型進歩史観

4.強みと弱み

5.「マクロ」から「ミクロ」へ、あるいは「マクロのミクロ化」へ

 

「16-19世紀東アジア国際関係史研究の可能性」シンポジウム

未定稿ゆえ引用不可

 


 

1.グローバル化のなかの歴史学

 本稿の課題は、「グローバルヒストリー」と称される歴史学の研究トレンドについて、その定義・内容・特徴、歴史学界における理論的・方法論的な位置、長所と短所を確定したうえで、その長所を生かしつつ短所を克服した「その先」の存在を展望することにある。このうち最後の点については仮設的な問題提起にとどまらざるをえない。また、本セミナーのメインテーマのキーワードである「国際関係史(history of international relations)」と適宜関連させながら考えてゆきたい。

 まずグローバルヒストリーの定義・内容・特徴から始めよう。水島司は、グローバルヒストリーの簡潔にして優れた入門書のなかで、グローバルヒストリーの特徴を5つに分けて整理している。[1] 第1に、扱う時間が長いことであり、その背景には歴史をマクロな視点からみようとする志向性がある。第2に、対象となる空間が広いことであり、これもまた先述した指向性のなせる業である。第3に、従来の歴史研究の中心をなしてきたヨーロッパ世界、さらには同世界が主導的な役割を果たした近現代史を相対化してとらえようとするスタンスを採ることである。これは、近年の(中国をはじめとする)非欧米世界のプレゼンスの上昇を反映する事態であるとされる。第4に、地域の比較ではなく、地域間の相互連関・相互影響・相互依存を重視することである。これは、地球の歴史(グローバルヒストリー)という時空間を「丸ごととらえる歴史学」(リュシアン・フェーヴル)を現実化するための方法論を探求する試行錯誤の、ひとつの帰結であるといってよい。[2] そして第5は、種々様々なテーマが取り扱われることである。その例としては「疾病、環境、人口、生活水準」が挙げられているが、ただし、これらは、アナール学派(フランス社会史学派)の成果を想起するまでもなく、第二次世界大戦以降の各国における歴史学が積極的に取り組んできたものであり、とりたてて新しいテーマであるとは思えない。

 水島が提示した5つの特徴をまとめると、グローバルヒストリーとは「マクロな視点から時空間に接近し、また欧米中心主義を相対化しようとする志向性を持つアプローチ」であると定義できるように思われる。

 それにしても、なぜ今日グローバルヒストリーが人口に膾炙し、また、一種のブームとなっているのだろうか。この問いを出発点として、グローバルヒストリーの「今日」を明らかにしてみよう。

 すぐに思いつくのは、グローバルヒストリーの興隆は、リアルな世界におけるグローバル化という現象を反映しているのではないか、ということである。

 それでは、グローバル化とはなにか。

 この点について興味深く、また重要な指摘をしているのはリン・ハントである。[3] 彼女によれば、「グローバル化」という語をタイトルに掲げる書籍は、1990年代初めに増加しはじめ、2000年代初めまでのあいだに急上昇した。その背後にあったリアルな事態を思い出してみると、わたしたちの念頭には、まず「インターネットの発展と普及」をはじめとする経済的な変化が浮かんでくる。しかし、ハントによれば、それは間違っている。なにしろ、インターネットが民間商用解禁されたのはもっとも早いアメリカ合衆国が1990年であり、2000年になっても、インターネットにアクセスできたのは世界人口の5%にすぎない。インターネットが真に世界をつなぎ、ひとびとに「グローバル化」を実感させるようになるのは、2010年代に入ってからのことにすぎない。

 それでは「グローバル化」という語を人口に膾炙させた事態は何か、というと、それはベルリンの壁の崩壊であり、冷戦の終了である。ここにおいて「社会主義共産主義」というイデオロギーが姿を消し、その隙間を「グローバル化」というイデオロギーが埋めることになった、というのが、ハントの診断である。

 ハントの診断から学ぶべきは、なによりもまず「グローバル化」はひとつのイデオロギーであるということである。すなわち、それは、わたしたちの眼前に生じているリアルな諸事態のなかから「取捨選択」をおこない、結果として残されたものに対して「命名」という操作をすることによって生じた、人為的な存在である。

 そうだとすれば、リアルな現象であるはずが一種のイデオロギーの側面を持つ「グローバル化」を反映したグローバルヒストリーは、二重の意味でイデオロギーを負荷(チャージ)された存在としての研究トレンドである、ということになる。ここで「二重の意味で」という語が含意しているのは、様々な現象が存在するなかで時代を代表する存在として「意図的に」選択・加工・提示されたリアルな現象に対して、さらに「意図的に」対応した知的営為の産物である、ということである。

 要言すれば、グローバルヒストリーは、強力なイデオロギーを内包した研究トレンドである。大体において、「インターナショナルヒストリー」ではダメなのはなんとなくわかる気もするが、それでは「ワールドヒストリー」ではダメなのか。最近は「ビッグヒストリー」なる語も目に付くようになったが、それとの関係はいかなるものか、などなど、様々な疑問がわいてくる。

 いうまでもなく、歴史学においては、あるいは他の学問領域においてもそうだと思うが、すべて研究トレンドはイデオロギーである。歴史学についていえば、そのことを明瞭に断言したマニフェストは、マルク・ブロックとともにアナール学派創始者に数えられるリュシアン・フェーヴルの論文集『歴史のための闘い』であろう。[4] そのなかで、彼は「問題史」という研究方法を提示し、歴史研究はすべて歴史学者の問題意識から始まると喝破した。個人(あるいは個人からなる集団)の「問題意識」から始まるアーギュメント、それはイデオロギー以外のなにものでありえようか。かく断言するフェーヴルの念頭にあった、いわば仮想敵は、いわゆる「実証史学」であるが、グローバルヒストリーの場合は、歴史学者の問題意識の対象たる「グローバル化」がすでにイデオロギー性を帯びており、したがってそれ自体がつよくイデオロギー的なものであることを忘れてはならない。

 

2.グローバルヒストリーvs.ナショナルヒストリー

 グローバルヒストリーがイデオロギーであり、人為的に構築されたものであるとしたら、当然ながらそこには構築者の意図が込められている。そして、構築者の意図のなかには、かならず特定の「何か」を否定・批判しようとする意向が含まれている。ここでは、この「何か」を「敵」……というのは言葉が強すぎるので「仮想敵」と呼ぶことにしよう。「仮想敵」は、わたしたちにとって、そしてグローバルヒストリーを報じる人びとにとっても、きわめて重要である。わたしたちにとって重要なのは、仮想敵は何か、いかなる性格を持つ存在か、といった点がわかれば、仮想敵と対比することによって、グローバルヒストリーの特徴にさらに接近し、歴史学界における理論的・方法論的な位置を確定できるからである。グローバルヒストリアンにとって重要なのは、仮想敵は、グローバルヒストリーを構築する際、採用するべき構成要素を取捨選択する基準(メルクマール)として機能するからである。

 クローバルヒストリーにとっての仮想敵は、第1にナショナルヒストリーであり、第2に欧米中心型進歩史観である。

 第1のナショナルヒストリーの問題から考えてみよう。

 先述したとおり、グローバルヒストリーの特徴は、ひとつには「マクロな視点から時空間に接近」することにある。

 このうち時間の次元に関していえば、グローバルヒストリーを関する研究は、それ以前の研究と比較して、かならず必ずしも長期の期間を対象として設定しているわけではない。換言すれば、とりたてて新味はない。たとえば、今やグローバルヒストリーの古典として名高いケネス・ポメランツ『大分岐』は、イギリスで産業革命が始まり、一定程度進展するまでは、中国(とりわけ長江下流デルタ地帯)のほうが経済的に進んでいたと主張して大きな議論を惹起したが、対象とする時期は基本的に近世(16-19世紀)である。[5] そして、3世紀程度の期間を対象とする歴史研究は、「グローバルヒストリー」を名乗らなくても、ざらに存在するはずである。もちろん『大分岐』は環境史や生態史といった長期のタイムスパンに適合的な研究トレンドを意識して書かれているが、これらについても、たとえばフランスでは、とりわけ第二次世界大戦以降から重厚な研究蓄積がある。そのひとつの頂点は、エマニュエル・ルロワラデュリ「動かざる歴史」であろう。[6] 同論文において、彼は、環境史・人口史の観点から、1300/1320年から1720/1730年にかけての約400年間、ヨーロッパの経済=人口システムは「不変」であったと結論づけた。

 これに対して空間の次元はどうか。こちらについては、さすがに「グローバル」を冠するだけあり、グローバルヒストリーが対象とする地域の広さは、それまでの研究成果に比してかなり大きなものとなっている。ポメランツ『大分岐』についていえば、同署は比較史の形態をとっているが、比較の主要対象はイギリスと中国であり、その構えの大きさには特筆するべきものがある。あるいはまた、地域間の相互連関史という、比較史と比しても空間的カバレッジの大きさが必要な研究スタンスについていうと、地域間の相互連関を考える際に利用しうるアプローチとしては、近年「海域史」が重視されるようになってきた。日本でも、とりわけアジアを対象としてすぐれた研究成果が出現しているが、それらの空間的カバレッジは格段に大きなものとなっている。[7] 

 それでは、少なくとも空間の次元において「マクロな視点から……接近する」というと特徴を採用するという選択をおこなった際に、グローバルヒストリアンの念頭にあった仮想敵は何か。「マクロ」の対義語は「ミクロ」であり、ミクロなアプローチの重要性を強調して採用する研究スタンスとしては「ミクロストーリア」があるが、ミクロストーリアはグローバルヒストリーの仮想敵ではない。グローバルヒストリーが「マクロ」を自称するとき、「マクロでない」存在として念頭にあるのは「国(state/country/nation)」を分析単位とする研究スタンス、すなわち「一国史観」である。

 たしかに一国史観とは「不思議な」研究トレンドである。たとえば「フランス史」というとき、「フランス」とはいかなる空間を指しているのか。ある程度のタイムスパンを採ると「フランス」は広がったり狭まったりするが、このように可変的な空間を対象としてよいのか。社会次元でみたフランスと政治次元でみたフランス、あるいは経済次元でみたフランスは、はたして十全に一致するのか。こういった、さまざまな疑問が脳裏に浮かんでくる。これら疑問は「フランス」という語の曖昧さの産物であるが、この曖昧さは他の国にも妥当する。そうである以上、一国史観は十分に批判に値する。

 ただし、グローバルヒストリーの主要な仮想敵は一国史観ではない。それは「ナショナルヒストリー(国民史)」である。ナショナルヒストリーは、単に、国民(ネーション)を単位とする歴史を意味するものではない。史学史、とりわけ歴史学が科学として成立・確立して以降の歴史を反映して、この語にはさまざまな負荷が課せられている。[8]

 歴史学が科学として成立したのは19世紀のプロイセン、さらには統一後のドイツにおいてであったが、プロイセンやドイツが、先進国イギリスにキャッチアップすることが必要かつ可能な「相対的後進国」(遅塚忠躬)であったことを反映して、科学としての歴史学には、キャッチアップを担う主体たる国民を想像/創造するという課題が課せられた。国民を想像/創造するためには、誕生から始まる国民の人生(ライフヒストリー)を創出し、提示し、受容させなければならない。それも、なんらかの意味で科学的な方法に基づいて。このような課題を課され、このような意図のもとに紡ぎだされた歴史叙述こそ、ナショナルヒストリーである。その意味で、ナショナルヒストリーは、科学的であり、ナショナルであるという、2つの特徴を持つ研究トレンドである。

 ナショナルヒストリーが19世紀に、プロイセン・ドイツという相対的後進国で成立したという事実は、その特徴を理解するうえで、きわめて重要である。すなわち、当該研究トレンドに課された国民を想像・創造するという課題の目的はキャッチアップにあるが、そのために最適な手段は国民の動員である。いや、むしろ、動員する客体を得るためにこそ、国民を想像/創造しなければならなかったというべきであろう。ナショナルヒストリーは国民の動員を目的として構築されるストーリーであり、その意味で単に「ナショナル」ではなく、むしろ「ナショナリスティック」な性格を帯びている。ナショナルヒストリーはナショナリズムの手段なのである。そして、19世紀のナショナリズムは、ナポレオン戦争にみられるような他国の侵略からの防衛、あるいはドイツやイタリアなどの国家統一運動といった防衛的あるいは中立的な性格を帯びたものから、他国の侵略や植民地の獲得を求める意欲を駆動する攻撃的なものに変容してゆく。それに伴い、ナショナルヒストリーも他国侵略や植民地獲得を正当化する根拠として用いられることになる。

 もっとも、ナショナルヒストリーは科学的であることを自称する。19世紀とりわけ世紀後半のドイツ諸邦は自然科学をはじめとする諸科学の中心地であり、歴史学もまたそれら科学の手法を取り入れながら自己を確立していった。そして、ある学問領域の科学性を測定するメルクマールのひとつは、その価値中立性である。この時期の歴史学の科学化に最大の貢献をした人物であるレオポルド・フォン・ランケは、歴史学の課題は「それは、実際には、いかにあったか」を明らかにすることにある、と述べている。のちに、このフレーズは実証史学のマニフェストとみなされ(先述したフェーヴルなど、のちの歴史学者たちの批判対象とな)ることになるが、ここにナショナリズムの入り込む余地などは存在するだろうか。これは、ナショナリズム、それも攻撃的なナショナリズムという、まさに代表的なイデオロギーをはらむ研究トレンドが、はたして同時に、価値中立性をスローガンとする科学的たりうるか、という問題である。常識的に考えれば、ナショナリズムと科学性は相対立する存在であるように思える。

 じつは、ナショナリズムと科学性の同時存在という問題は、理論的または実践的に解決可能である。

 このうち理論的な解法としては、「科学性」という概念もまた人工的・意図的に構築されたものであり、それゆえ一種のイデオロギーである/一種のイデオロギーにすぎないと主張し、二つのイデオロギーが並存する研究トレンドとしてナショナルヒストリーを捉える、というものがある。実際、科学の代名詞である価値中立性あるいは実証性もまた、メタ次元で考えれば一種のイデオロギーであるといわなければならない。

 ただし、より重要なのは実践的な解法である。先述したとおり、ナショナルヒストリー、歴史学、さらにはいかなる科学も、それを実践するにあたっては、当事者である科学者の選択が介在する。テーマの選定というスタート地点から、成果の公表や利用というゴールに至るまで、科学者はいくつもの選択機会に直面し、特定の選択肢を選び取る。ナショナルヒストリーについていえば、これら選択のプロセスにおいて、ナショナリズムは、科学性と両立するかたちで機能しうるし、実際に機能しているはずである。

 さらにいえば、科学はすべて集団的な営みである。ナショナルヒストリーに即していえば、それは歴史学者というコミュニティがなす営為である。そして集団は、様々なかたちで制度化する。これまたナショナルヒストリーに即していえば、時がたつにつれ、大学をはじめとする研究教育機関、学会、あるいは学術雑誌といった制度が生まれ、歴史学者コミュニティを下支えする。そして、このコミュニティのなかで、ナショナリズムを志向する科学的選択プロセスがメンバーのコンセンサスを得てゆくことになる。

 こうして、攻撃的ナショナリズムを支えるストーリーとしてのナショナルヒストリーが意図してかせずにか、また意識してかせずにか、歴史学界に広まってゆく。これこそがグローバルヒストリーの主要な仮想敵である。

 

3.グローバルヒストリーvs.欧米中心史観型進歩史観

 グローバルヒストリーの仮想敵として第2に挙げるべきは欧米中心史観である。

 歴史学自体の起源をどこに求めるかについては、様々な所説がありうる。歴史学の父は、古代ギリシアヘロドトス(BC5c、『歴史』)というひともいれば、中国の司馬遷(BC2c、『史記』)というひともいるはずだ。「歴史」をいかに定義するかによって、その起源はいかようにも変化してゆく。問題は今日の歴史学、すなわち科学としての歴史学である。先述したとおり、科学としての歴史学は19世紀のプロイセン・統一ドイツで成立した。そのため、科学としての歴史学は、ヨーロッパ(のちに欧米)の「知」のありかたの影響をおおきく受けることになった。そして、時代を反映して、この「知」は、欧米以外の地域における植民地獲得すなわち帝国主義的な進出を「文明化の使命」あるいは「白人の責務」と称して「是」とする攻撃的ナショナリズムの色彩を帯びていた。

 かくなる知が歴史学に反映されると、空間的にみれば、欧米が世界の中心をなし、アジアなどそれ以外の地域が周辺に位置する欧米中心史観が生じる。この史観が時間軸に投射されれば(すなわち時間的にみれば)そこに出現するのは「進んだ欧米、遅れて欧米を追う(あるいは追えない)その他地域」という進歩史観である。そして、両者が結合したところに生じるのが、欧米中心型の進歩史観である。この史観において欧米が、様々なメルクマールにおいて上位に置かれることは、いうまでもあるまい。欧米中心型進歩史観は、要言すれば「中心に位置する進んだ欧米が、辺境に位置するその他地域を指導して進歩させ、あるいは搾取する」というものであり、攻撃型ナショナリズムの時代の知的雰囲気にフィットし、あるいはそれを強化する方向で機能した。もちろんそれがひとつのイデオロギーであることは、言うまでもないだろう。

 世界史という時空間を「欧米=中心=先進」と「その他地域=周辺=後進」に二分し、前者を後者の上位に置く歴史観はリアルな世界において欧米が世界の中心にあった時代には、圧倒的なリアリティと一定の言説的正当性を持った。しかし、とりわけ20世紀後半、第二次世界大戦が終了し、世界各地の植民地が独立し、欧米にキャッチアップしはじめ、場合によっては欧米を凌駕するに至ると、欧米中心型進歩史観は説得性をおおきく減じることになった。

 そうはいっても、いったん身についた「ものの見方」から脱却することは、容易ではない。とりわけ優位にあった欧米地域においては、みずからの優位性をみずから否定する・批判することは、困難な営みとなる。

 また日本をみると、非欧米地域に属しつつも、19世紀後半からキャッチアップを開始し、そのために攻撃型ナショナリズムを受容し、そのあげく欧米中心の連合国に敗戦したという経緯をたどったため、きわめてねじれたかたちで欧米中心型進歩史観が受容された。[9] そのため、同史観の影響力は戦後も強固であった。1970年代に入ると、ポストモダニズムの影響のもと、欧米中心型進歩史観をのりこえる必要性が叫ばれ、歴史学の分野でも様々な試みが始まったが、それらが実践すなわち歴史叙述や歴史教育の次元で欧米中心型進歩史観にとってかわったということはできない。そのことは、各種学校の歴史教科書、一般書、あるいは「講座」と呼ばれる世界通史の構成をみれば、ただちに明らかである。

 最後に、ナショナルヒストリーと欧米中心型進歩史観は、相互に独立して存在するものではない。欧米地域において進歩を実現した主体は、イギリスについては留保を付したうえで、国民の動員に成功した国家、すなわち国民国家である。そうだとすると、両者を接合すると「国民を想像/創造するための手段としてナショナルヒストリーが創出されて機能し、国民の動員に成功した国家たる国民国家が進歩を実現し、その上に立って非欧米地域に対する優位を確定する」という物語を紡ぐ歴史叙述、さらには研究トレンドになる。この、欧米中心主義・進歩主義ナショナリズムを特徴とする「欧米中心型進歩史観的ナショナルヒストリー」とでも呼ぶべき研究トレンドこそ、グローバルヒストリーの仮想敵である。したがって、グローバルヒストリーは、脱欧米中心主義、非進歩主義、反ナショナリズムを特徴とするはずである。

 そうだとすると、グローバルヒストリーは研究トレンドとしての「国際関係史」と相性が悪い、といわざるをえない。それは、国際関係史が欧米中心主義的であり、またナショナルな性格を持つからである。

 国際関係史は、しばしば「ヴェストファリア史観」を採用していると評価される。すなわち、国際関係史が想定する「国際関係」の原型・起点・典型は、ヴェストファリア条約(1648年)によって規定された国家間システム、すなわち主権(対内的には至上権、対外的には独立)を持った国家同士が軍事的(戦争)あるいは非軍事的(外交)に交渉する結果として生じる国家間関係に求められる。これが、いわゆる「主権国家体制」であり、主権国家体制は欧米で典型的に発達したと評価される。さらに、イギリス産業革命を経て欧米の優位が確定すると、これら地域の諸国は、他の地域に対して国際関係としての主権国家体制を強制するべく、世界中で行動するようになる。

 ヴェストファリア史観は、欧米起源である主権国家体制を国際関係の典型とみなす点で欧米中心主義的であり、国家をアクターとする点でナショナルである。その意味で、既存の国際関係史は、欧米中心主義型進歩史観的ナショナルヒストリーという19世紀以来の歴史学の主流の一翼を担い、そのなかで発展してきた、といえるだろう。これは、リアルな世界の変化を反映して欧米中心主義型進歩史観的ナショナルヒストリーそのものが批判の対象となっている今日、国際関係史も同様の批判を免れえない、ということを意味する。

 それでは、わたしたちは国際関係史からグローバルヒストリーに乗り換えれば、それでよいのだろうか。

 

4.強みと弱み

 グローバルヒストリーは、欧米中心主義型進歩史観的ナショナルヒストリーを批判しつつ登場した。そのことを反映して、この研究トレンドには強みと弱みが存在する。

 まず、強みとしては、とりあえず2つ挙げておこう。

 第1の強みは、いうまでもなく、21世紀初頭の現実にみられる諸事象にフィットしている点にある。わたしたちの眼前に広がっているのは、合衆国は別格として、欧州諸国の没落・衰退・地位低下・昏迷、事態打開策として設立された欧州連合の右往左往と動揺であり、それに対して、四小竜からBRICSに至る非欧米地域の経済成長と政治的プレゼンス向上である。また、核兵器をはじめとする軍拡、地球温暖化など環境問題の深刻化、人口爆発の激化、独裁と人権無視の存続、差別主義・排外主義の伸長など、進歩の停滞と、場合によっては退歩ともいえる事態である。そして、主権国家よりもGAFAをはじめとする多国籍企業のほうが力を持ち、欧州連合国際連合ASEANといった超国家的組織が誕生して成長し、政治・経済・社会など様々な次元においてヒト・モノ・カネ・情報などが自由に国境をこえるボーダレス化の進展である。これらは一言でいってグローバル化であるが、欧米中心主義型進歩史観的ナショナルヒストリーなる「ものの見方」は、どう考えてもグローバル化に対応できていない。グローバル化は、むしろ「マクロな視点から時空間に接近し、また欧米中心主義を相対化しようとする志向性」を持つグローバルヒストリーと相性が良いのである。

 第2の強みは、ナショナリズムに対する解毒剤として機能することにある。グローバル化が進む時代にあって、当初、わたしたちは、グローバル化ナショナリズムを中和し、その弱体化をもたらすだろうと期待した。第二次世界大戦においてナショナリズムの極北としてナチズム(ナショナル社会主義)や日本型軍国主義(富国強兵の一到達点)を経験してしまったわたしたちにとって、ナショナリズムはいかなるものであっても容易に攻撃的になりうるという教訓を忘れることは不可能だからである。こういうと、ナショナリズムには「良い」ものも「悪い」ものもあるという反論がかえってくるかもしれないが、「良い」ナショナリズムにあっても、それが「内」と「外」を区別し、「外」を排除する論理として機能する点に違いはない。いかなるナショナリズムにあっても、この「排除」の論理という側面は好ましくない。したがって、それは、なんらかのかたちで「包摂」の論理を含むイデオロギーによって中和されなければならない。地域間の相互連関・相互影響・相互依存を重視しつつ時空間をマクロに捉えるグローバルヒストリーには、この「包摂」の論理を下支えする物語を供給することが期待されたし、また供給しうるはずである。

 なお、国際関係史に即していえば、グローバルヒストリーの導入は、17世紀以降、主権国家体制が世界中の国際関係を規定してきたと考えるような誤謬をただす点で、重要な意義を持つ。たとえば、ここ東アジアでは、20世紀に至るまで、主権国家体制よりは、いわゆる「朝貢冊封体制」が国際関係を規定していた。ウェスタインパクトを受けて、そこから、徐々に各国が抜け、主研国家体制に参入し、あるいは強制的にくみこまれてゆく。近世以降の国際関係は、依然として多様であった。

 これに対して、グローバルヒストリーの弱みとしては、ともに抽象的なものだが、とりあえず次の2つが考えられる。

 第1の弱みは、対象となる時空間をいかに大きくしたとしても、依然としてそこには「内」と「外」を区別するボーダーがあり、「外」を排除する傾向は消滅しないことである。たとえば「日本ナショナリズム」を強化するとして「日本のナショナルヒストリー」を批判し、「アジアを対象とするグローバルヒストリー」を提唱したとしても、今度は「アジア」が「内」となり、「アジア以外」が「外」となってしまう。そして「アジア以外」を排除する論理が作動しはじめることだろう。この場合、「アジアを対象とするグローバルヒストリー」は「アジア・ナショナリズム」の孵化器として機能してしまう。

 それでは、対象となる時空間を「地球の全歴史」にまで極大化すればどうだろうか。この場合、「外」は存在しなくなり、ボーダーはなくなり、排除の論理は働きようがなくなり、万事解決……のようにみえる。これこそ、一種の「ホーリズム(方法論的総体主義)の誘惑」である。実際かくして第1の弱みは克服されうるが、ここから第2の弱みが生じる。すなわち「地球の全歴史」を分析する方法が存在しない、という弱みである。歴史学が科学であるとしたら、その最低限のタスクは対象となる時空間の特徴を明らかにすることである。対象の特徴を明らかにするには、かならず他の存在(この場合でいえば時空間)と比較しなければならない。特徴とは、他との「差異」のなかに、はじめて存在するものだからである。それでは研究対象が「地球の全歴史」という時空間の場合、差異を見出し、そこから研究対象の特徴に接近するべき存在としての比較対象としては何があるか。じつは、そのようなものは存在しない。対象が単一化する、すなわち通常の歴史学にとって「地球の全歴史」は研究対象の全領域を占めるからである。[10] 比較対象が存在しなければ、差異を見出すことができず、特徴を導出できず、分析の体をなさない。グローバルヒストリーを論理的につきつめてゆくと、最後には、それは「対象を分析できない科学」という自己矛盾する存在に至ってしまう。科学におけるホーリズムアポリアとでも呼ぶべきものが、ここに姿を現す。[11] グローバルヒストリーは、その極北において、はたして科学たりえるのだろうか。現時点では、おそらく「科学たりえない」が正答だろう。

 

5.「マクロ」から「ミクロ」へ、あるいは「マクロのミクロ化」

 研究あるいは分析の対象を「ナショナル」から「グローバル」に拡大するというのは、これは対象のスケール(範囲)を変化させることによって課題の解決を図るという、いわば「スケールのゲーム」である。そして、対象の時空間的限定が「内」と「外」のボーダーを設定することにつながるからには、そこでは同時に「アイデンティティの政治」がプレイされざるをえない。歴史学において研究対象をいかに設定するかという問題は、一種の「アイデンティティのスケールゲーム」なのである。

 しかし、アイデンティティのスケールゲームに正解はないし、終わりはない。どこまで対象を広げても、ボーダーは残り、アイデンティティは生まれ、ゲームは続く。そして、対象を広げきった途端、歴史学は科学でなくなる。対象が単一化し、比較ができなくなり、差異が発見できず、そのため対象の特徴を把握するという科学の基本的な営為が不可能となる。

 わたしたちは、そろそろアイデンティティのスケールゲームからおりるべきである。その場合、可能な営為としてわたしたちの手元に残るのは「歴史を個人の次元で捉えること」すなわちパーソナライズドヒストリーである。ナショナルヒストリーから国際関係史を経てグローバルヒストリー(および、場合によってはビッグヒストリー)に至る歴史学の研究トレンドの歩みは、ひたすらに「マクロ化」を追求するものであった。しかし、マクロな歴史学には問題がありすぎる。わたしたちは、研究対象をミクロな次元で捉え、そこから様々なスケールの事情に接近する、いわば方法論的要素還元主義を採用するべきではないだろうか。「マクロ化」から「ミクロ化」への転換の勧めといってもよいだろう。

 もちろんわたしたちは、グローバルヒストリーの強みと意義を否定するつもりはない。それがアイデンティティのスケールゲームを楽しむことにとどまり、やがてホーリズムの罠に陥り、その極北において科学の名に値しなくなることを避けるためには、グローバルヒストリーのミクロ化、すなわち方法論的要素還元主義にもとづくグローバルヒストリーを実現するための方法を構想することが必要になるだろう。「パーソナライズド・グローバルヒストリー」という造語にわたしたちが込めたのは、そのようなタスクに取組むことの必要性の認識をもつべきだという提言である。

 もちろん、これは、単なる仮説的な提言にとどまるのだが。

 

[1] 水島司『グローバル・ヒストリー入門』(山川書店・山川リブレット、2010)。

[2] Fevbre, Lucien, Pour une histoire à part entière (Paris: SEVPEN, 1962).

[3] Hunt, Lynn, Writing History in the Global Era (New York : W. W. Norton, 2014).

[4] Febvre, Lucien, Combats pour l'histoire (Paris: Armand Colin, 1952).

[5] Pomeranz, Kenneth, The great divergence (Princeton: Princeton University Press, 2000).

[6] Le Roy Ladurie, Emmanuel, « L'histoire immobile » (Annales. E. S. C., 29-3, 1974).

[7] 桃木至朗編『海域アジア史研究入門』(岩波書店、2008)参照。

[8] 以下、ナショナルヒストリーをめぐる問題系については、なによりもまず(ヨーロッパについてではあるが)Berger, Stefan, et als., eds., Writing the Nation series (8 vols., Basingstoke: Palgrave Macmillan, 21008-2015)を参照。

[9] 文明開化、脱亜論、近代の超克、戦後社会科学、近代化論など、数えればきりがない。

[10] なお「地球外の歴史」と比較することは考えられるし、実際「ビッグヒストリー」と呼ばれる研究トレンドは「ビッグバン以降」したがって地球外の歴史を(比較対象ではないが)研究対象に含めているが、わたしたちは全地球の歴史と比較できるための知識を、地球外の歴史について持っていない。ビッグヒストリーについては以下を参照。David Christian, et als., Big History (New York: McGraw-Hill Education, 2014).

[11] ホーリズムアポリアについては、世界システム論の提唱者として知られるイマニュエル・ウォラーステインの所説に対する佐藤俊樹の批判(『社会学の方法』、ミネルヴァ書房、2011、pp.168-175)を参照。